梶川哲司氏 (ロゴセラピスト協会論集第3号 「はるかなるものへの想い」から)
≪体験価値について≫
ロゴセラピーでは、人はその人生を意味あるものにするために3つの機会が備えられている、と捉えます。それは、何かの活動を通じて作品や業績を作り出す「創造価値」の実現、また自然や芸術に触れ、他者との愛を体験することによって自らが精神的に豊かになる「体験価値」の実現、さらに不可避で運命的な苦悩を引き受けることによって自らが内面的に深まる「態度価値」の実現という、それぞれの機会です。もちろん一般的な考えでは、創造価値の実現が高く評価されるのですが、態度価値の存在を明らかにしたことはフランクルの大きな功績です。
しかしここでは、体験価値の実現について考えてみましょう。
フランクルの著作で言及されている体験価値の「体験」とは、「自然、芸術、人間を愛すること」です。例えば彼は、「高山に登り、アルプスの夕焼を体験し、背筋が寒くなるほどの自然の極めて美しいすばらしさに打たれた人間に、・・・かかる体験の後に彼の生命が全く無意味になりうるかどうか聞いてみるとよい。」6)と述べています。同じように、大好きなシンフォニーを聴いたり、人を愛し愛される体験をした時、その人は生きていて本当に良かった、この世界のなかで生きている意味がある、としみじみ思うものです。こうして、心の深みから自らの人生を肯定し、自分が生きているこの世界を“善し”と思える体験こそが人生を意味あらしめる、これが体験価値の実現です。
しかしすでに述べたように、今までの物質生産至上主義の陰で、体験価値の実現は過小評価される傾向にありました。また求められる体験そのものも、フランクルの意図から大きく離れる傾向が見られます。自然や芸術はいうまでもなく、愛すらも商品化され、体験する当人の実存性が失われているのが現状です。たしかに仕事から離れて自由な余暇を過ごすことは大切なことです。しかし今日求められている多くの余暇体験は、単に実存的空虚感を満たす代償に過ぎない “快の追跡”となっている現実があります。
では、フランクルが言及する体験と快感の追求はどのように違うのでしょうか。それはまず、「体験」とは自然や芸術、あるいは人間を“対象化”しないことです。また程度の差はあっても自らが圧倒的に魅了されることであり、その結果、自らの生とこの世界を肯定できる実感が伴うことだと思われます。ただ空虚感を満たそうとして、商業ベースに乗せられた意図的な快の追求には自足するということがなく、そのめざすところの快感は“more and more”ともいうべき構造を持ちます。またそれは、刹那的で自己中心的なために、自分の人生やいま生きているこの世界のことまで考える視点に欠けます。フランクルの言う体験とはこのようなレジャーとは異なり、満ち足りて、自らの人生といま生きているこの世界を強く肯定できる体験のことを意味します。
そもそも本来の余暇は、西洋の伝統においては「コンテンプラチオ(観想)」ともいうべきもので、実益をめざさない人間活動であり、「世界の根源にあるものを肯定し、それと一致すること、いやむしろ、自分がそのなかにつつみこまれる」という体験を意味していました。こうした余暇観は、「祭りを祝う」という形で洋の東西を問わず、今もその名残を見ることができます。
ここでフランクルの言う自然を体験する実例として、哲学者・森有正(1911~73)の体験談を紹介します。南フランスに滞在していた森はある時、深夜の田舎道で車が故障し、真っ暗な闇のなかで故障車を押さざるを得なくなります。車を押して疲れ切り、道端の草の上に座り、仰向けになって休もうとしたまさにその瞬間、まるで手が届きそうなくらいの近さで美しい星空を「体験」したのです。彼はそのときの様子を、「全身を痺れさせるような罪責感を感じた」と述べ、「何かに対して自分が非常な責任があるような気がした」と解説しています。星空の美しさに圧倒され魅了されて、「自分と世界との存在」つまり実在感を強烈なリアリティをもって感じた時、彼はこの世界に生きる責任感を意識したと言うのです8)。フランクルの言う体験とはこのようなことではないかと思われます。
あるいはまた、それほどではないにしても、海をながめることも私たちに不思議な体験をもたらします。
「はまなすやいまも沖には未来あり」(中村草田男)という有名な句があります。ハマナス(浜梨)は『知床旅情』に唄われるように、北海道など北部海岸に自生するバラ科の植物で、この一語だけで眼前に海と空の無限の広がりがイメージされます。おそらく作者は少年時代、何度も砂浜にすわり、はるか沖合をながめながら未来の夢に胸をふくらませたことでしょう。やがて歳月が流れ、現実の厳しさの前に若い頃の夢もどこかへ消え去り、人生の重荷をひしひしと感じる毎日となりました。しかしそんな今でも、浜辺に出て海をながめれば、まるで少年の日に帰ったように未来への明るい希望がわいて来る・・・。私はこの作品をこのように解しています。
こうしてなぜか私たちは、海空の無限の広がりと、寄せては返す波の動きに、心の癒しを感じて自らの生と自らが存在するこの世界を肯定し、生きる力を得ることができるのです。これもまた、フランクルの言う自然を体験する実例のひとつです。
さらにフランクル的に自然を体験する事例として、『桜桃の味』(キアロスタミ監督、イラン映画。1997年)という映画が思い起こされます。パンフレットの採録シナリオから要約して紹介します。
テヘランの郊外の山道で、気難しそうな中年男・バディが、車を運転しながら誰かを探しています。実は自殺するつもりでその手伝いを探しているのです。睡眠薬を飲んで穴の中に眠る自分の上に、翌朝、死んでいるのを確かめて土をかけてくれ、謝礼はたっぷりはずむというのです。ほこりっぽい殺風景な山道を、何度も行き来しながら、道端の男を見つけては車に乗せて頼んでみる。しかしそんな手伝いは誰もが嫌がり、みな逃げ出してしまいます。自殺の原因や背景は全く語られません。しかし陰鬱なバディとは対照に、街角のイラン人は何と明るいことか。途中、バディの車が脱輪します。周りで畑仕事をしていた人々が、まるで楽しいことがあったかのような笑顔で車を起こしてくれます。しかし当のバディは、素っ気なく「ありがとう」とたった一言。車から降りて道端に座り、独りでふさぎ込むシーンもあります。
突然、スクリーンにトルコ人が現われます。街の博物館で働く彼は、子どもの白血病治療のために金が要るので、この辛い仕事を引受けます。承諾した彼を街まで送り届けようと、バディは彼の道案内で車を走らせます。運転するバディに彼は自分の思い出話を語り出すのです。
「・・・結婚したばかりの頃、すべてが悪くなるばかりだった。わしは疲れ果て、死んだら楽になると思った。ある朝、暗いうちに、車にロープを積んで家を出た。わしは固く決意していた、自殺しようと。家のそばの果樹園に入っていくと、1本の桑の木があった。まだあたりは真っ暗で、ロープを投げたが枝に懸からない。そこで木に登ってロープを枝に結んだ。すると手に何か柔らかい物が触れた。熟れた桑の実だった。1つ食べた。甘かった。2つ食べ、3つ食べ・・・いつの間にか夜が明け、山の向こうに日が昇った。美しい太陽! 美しい風景! 美しい緑! 学校へ行く子どもたちの声が聞こえてきた。子どもたちが下から木を揺すれという。わしは木を揺すった。皆は落ちた実を食べた。わしは嬉しくなった。それで、桑の実を摘んで家に持って帰り、まだ寝ていた妻も起きてそれを食べた、美味しいってね。わしは死を置き忘れて桑の実を持って帰った・・・」。
運転しているバディはムッとした顔で、「桑の実を食べたら万事うまくいくとでも?」。「いや、そうは言わんよ。しかしわしが変った。わしの気持ちが変ったし、考え方も変った。すべてが変ったのだ。この世の人間は誰でも悩みを抱えている。生きている限り仕方がない。ひとつ笑い話をしよう。あるトルコ人が医者に行って訴えた。『先生、身体を触るとあらゆる所が痛い。頭を触ると頭が痛い。足を触ると足が痛い。腹も痛い。手も痛い。どこもかしこも・・・』。医者は男を診察して言った。『身体は何ともない。ただ、指が折れている』と。あんたも身体は悪くない。ただ考えが病気なのだ。わしも自殺をしに行ったが桑の実で命を救われた。ほんの小さな桑の実に。あんたの目が見ている世界は本当の世界とは違う。見方を変えれば世界は変わる。幸せな目で見れば、幸せな世界が見える。人生は汽車のようなものだ。前へ前へただ走っていく、そして最後に終着駅に着く。そこが死の国だ。死はひとつの解決法だが、旅の途中に実行してしまったらダメだ。そこを左折するんだ」。
ハンドルをきるバディになおも話しかけます。「希望はないのか? えっ? 朝起きた時空を見たことがないかね? 夜明けの太陽を見たいと思わないか? 赤と黄に染まった夕焼け空を、もう一度見たくはないのか? 月はどうだ? 星空は見たくないか? 目を閉じてしまうのか? そこは右へ行ってくれ。あの世から見に来たいほど美しい世界なのに、あんたはあの世に行きたいのか。もう一度、泉の水を飲みたくはないかね? 泉の水で顔を洗いたくないかね? そこを左へ。自然には四季がある、そして四季それぞれの果物がある。夏には夏の、秋には秋の、冬には冬の、春には春の果物が・・・」。
車は街に近づき、やがて緑も見える舗装道路に入ります。「すべてを拒み、諦めてしまうのか? 桜桃の味を忘れてしまうのか? だめだ、友達として頼む。諦めないでくれ。そこを右へ。次も右へ。すると大通りに出る。そこを左に行ってくれ」。
やがて車は博物館の前に止まり、彼は車から降ります。明日の朝のことを何度も念を押すバディに、「大丈夫だ。きっとあんたに再会できるさ」と言うのですが・・・。9)(傍点引用者)
映画では、さながら車中がカウンセリングルームとなり、自殺念慮のバディにトルコ人の男が懸命に説得をしている構図となっています。不機嫌で黙ったままのバディですが、トルコ人の長い話の後で、ハンドルを切って新しい道へ進んでいくことに(事実、殺風景な山道がいつしか緑も見える舗装道路に変わり街へ近づいていく)、こころの変化が象徴されています。
しかしここで注目したいのはトルコ人の体験です。彼が自殺しようと思いつめていたとき、小さな桑の実と朝日の美しさをきっかけに、世界を見る視点がガラリと大きく変わったという点です。思いこみの呪縛から解放され、「コペルニクス的転回」ともいうべき体験を経た後に見る世界は、何と美しく、好ましい世界であることか。これこそフランクルの言う体験価値の実現ではないでしょうか。
こうして私たちもまた改めて周りを見渡してみると、何とも美しい自然に囲まれて生きていることがしみじみと感じられます。
≪夕日を見るということ≫
最後に自然を体験する事例として、夕日を見る体験について考えます。このことについては、『夜と霧』に描かれたフランクルの次の体験が印象的です。
とうてい信じられない光景だろうが、わたしたちは、アウシュヴィッツからバイエルン地方にある収容所に向かう護送車の鉄格子の隙間から、頂が今まさに夕焼けの茜色に照り映えているザルツブルクの山並みを見上げて、顔を輝かせ、うっとりとしていた。わたしたちは、現実には生に終止符を打たれた人間だったのに――あるいはだからこそ――何年ものあいだ目にできなかった美しい自然に魅了されたのだ。
また収容所で、作業中にだれかが、そばで苦役にあえいでいる仲間に、たまたま目にしたすばらしい情景に注意をうながすこともあった。たとえば、秘密の巨大地下軍需工場を建設していたバイエルンの森で、今まさに沈んでいく夕日の光が、そびえる木立のあいだから射しこむさまが、まるでデューラーの有名な水彩画のようだったりしたときなどだ。
あるいはまた、ある夕べ、わたしたちが労働で死ぬほど疲れて、スープの椀を手に、居住棟のむき出しの土の床にへたりこんでいたときに、突然、仲間がとびこんで、疲れていようが寒かろうが、とにかく点呼場に出てこい、と急きたてた。太陽が沈んでいくさまを見逃させまいという、ただそれだけのために。
そしてわたしたちは、暗く燃えあがる雲におおわれた西の空をながめ、地平線いっぱいに、鉄色から血のように輝く赤まで、この世のものとも思えない色合いでたえずさまざまに幻想的な形を変えていく雲をながめた。その下には、それとは対照的に、収容所の殺伐とした灰色の棟の群れとぬかるんだ点呼場が広がり、水たまりは燃えるような天空を映していた。
わたしたちは数分問、言葉もなく心を奪われていたが、だれかが言った。
「世界はどうしてこんなに美しいんだ!」10) (傍点引用者)
フランクルは、強制収容所では予想に反し、精神的な生活をいとなんでいた感受性の強い人間の方が外的状況の困難さによく耐えたと述べています。彼らは、そのおぞましい世界から遠ざかり、内面の豊かな世界へとまなざしを向ける術(これは自己距離化や自己超越という人間の精神次元のはたらきです)を心得ていたからです。こうして内面的に深められた被収容者たちには、たまに接する自然が強烈な体験となって、現在の恐るべき状況を忘れさせることすらあるというのです。そのような事例としてこの夕日を見る体験が語られています。しかしここで注目したいのは、こうして美しい自然に魅了された体験が最後には、自分たちの住むこの悲しみと矛盾に満ちた世界すらも、肯定しうるという事実です。
夕日を見るということに関連して、唐突なようですが、神谷美恵子(1914~79)について触れておきたいと思います。神谷は、人間の生きがいについての深い考察をした精神科医として知られていますが、とりわけハンセン病患者施設・長島愛生園における精神医療活動を、15年余りも献身的に続けてきたことで有名です。彼女の代表的な著作である『生きがいについて』(1966年、みすず書房)には、フランクルの著書からの引用は決して多くありませんが、著書にあらわれた彼女の思想とその誠実な生涯は、実にロゴセラピー的であるといえます。その彼女の夕日を見る体験を紹介します。
私のまわりには悩みや苦しみがあふれている。らい*や精神病にかかった人、およびその肉親の苦しみは、多くは一生つづいて行く。また、一見はなやかな生活をしている人でも、絶海の孤島にいるような孤独に心を凍らせている人のあることを私は知っている。この人たちに対して、いったい精神医学は何ほどのことができるというのだろう。・・・
(この)無力感にうちひしがれるとき、私は好んで山の稜線に目をあげる。そこに一本または数本の木が立っていればなおさらよい。木々の間を通してみえる空は神秘的だ。その向こうには何が―との思いをさそう。
ことに夕やけの時など、山が次第に夕もやの藍に沈んでゆくと、稜線に立つ木の枝がくっきりとしかし模様をえがき、それを通して、この世ならぬ金色の光がまぶしく目を射る。地上にどんな暗いものが満ちていようとも、あそこにはまだ未知なもの、未来と永遠に属する世界があると理屈なしに思われて、心に灯がともる。非合理な「超越」への思慕も昔から人の心を支えてきたのだ。この思慕がみたされるとき、初めて心に力が注がれる。11)(傍点引用者。*この言葉は現代では差別的表現ですが、著書からの引用に限りそのままとします。)
精神科医である神谷は長年、長島愛生園で病苦に苦しむひとりひとりの患者の訴えに、直接耳を傾けながら医療活動を行なっていました。そして自らも、「どうしてこういう深刻な苦しみが人生には存在するのだろうか」と自問して苦悩するのです。患者の訴える実存的な苦しみに答えを見いだせず、それを自らの課題として引き受けて誠実に生きようとする彼女は、言いようのない「無力感」におちいるのです。しかしそのとき、彼女は目を上げ、空をながめ、夕やけに染まる山の彼方を見つめるというのです。
これをフランクル的に解釈すると、夕やけをながめる体験を通して、理性を超えた話ですが、この地上の運命的な苦しみに答えを用意してくれている世界(超意味)のあることが予感できるというのです。こうして神谷は、自らの内にある「超越への思慕」つまり“はるかなるものへの想い”が満たされて、生きてゆく力を自らのうちに感じるというのです。
≪おわりに≫
以上、私自身の教師生活と今までかかわってきた環境保護運動について述べた後、ロゴセラピーに即して「夕日をみる会」の活動を紹介し、最後に体験価値について考察しました。
まず自分自身の職業生活とボランティア活動を省みると、学校と地域の間を忙しく往還してきた活動が、ささやかながら地域の環境保全に役立ち、さらに教育現場でも生かせることができてうれしく思います。ときには、忙しさにかまけて生徒をおろそかにしたことも、二つの活動の過度の緊張感から自らの世界に閉じこもってしまったこともありました。しかしいま振り返ってみて、自分の使命を職業的な仕事や家庭の役割だけに限定しないで、周りの世界からいったい何が自分に要請されているのかと、常に思いめぐらしてきたことが大切だったと思います。ロゴセラピーで強調される「意味を見出す」とはこのようなことだったのかと、改めて考えている次第です。
また、刹那的で自己中心的な風潮の今日、私たちが意義深く生きるために体験価値のより深い理解が必要です。とりわけ自然を体験するとはどのようなことか、本稿で詳しく考察しましたが、このことを保障する自然環境の保全の重要性は言うまでもありません。特に夕日を見る体験は、ある時に、またある人にとって、単なる美しさ以上のものとなり、どこか超越的な「超意味」の世界を予感し、かいま見る機会ともなるのです。
はるかなるものへの想いわがうちにあると知りたる海の入り日に
ロゴセラピスト論集13号より
感想;
梶川哲司氏が、長い闘病生活を送られ、4/24(月)ご逝去されました。
A級ロゴセラピストとして梶川哲司氏は、下記URLにて紹介されています。
https://japan-logotherapy.com/a_kajikawa.html
https://japan-logotherapy.com/a_kajikawa.html
ご冥福をお祈りいたします。