幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「新薬スタチンの発見 コレステロールに挑む」遠藤 章著 ”熱意と発想、努力にプラスして特許や契約の落とし穴を知る”

2024-07-31 01:03:01 | 本の紹介
・以前の上司とは違い、私の研究テーマと研究の進め方には寛大であった。お蔭で、コレステロール合成阻害物質の探索研究が認めてもらえそうな雰囲気がでてきた。

・米国留学中から「コレステロールの吸収阻害剤よりも合成阻害剤のほうがはるかに優れたコレステロール低下剤になる」「カビとキノコの中には他の微生物との生存競争に打ち勝つための武器として、コレステロール合成阻害物質をつくるものがいる」と考えていたので、発酵研に移ったのを機に実践計画の構築に取り組んだ。

・カビとキノコから目的の物質が必ず発見できるという保証はない、賭けのような研究になるので、二年間に数千株の微生物を調べても感触が掴めなかったら研究を打ち切る考えであった。当時発酵研では約2,000株のカビとキノコを保存していた。微生物学の専門家たちが微生物の収集を続けていたので、数千株のカビとキノコを集めることには問題がなかった。必要な研究設備もほぼ整備されていた。
 問題は少ない人数でこれを実行できるかどうかであった。その鍵を握るのが一度に100以上の検体(微生物培養液、活性成分の抽出・精製工程から出る検体など)を検定(コレステロール合成霜害活性を測定)する実験方法の構築とそれに用いる高価な放射性物質(放射性酢酸など)の使用量を極力減らすことであった。この二つの問題はラットの肝酵素を用いる既存の検定法を1/15から1/25にスケールダウンした方法を構築し、さらに二日かあkった検定作業を一日で終えるように改良したことで解決できた。人では私を含めて最低4名を必要としたので、当時(1970年)私と一緒に働いていた二名の研究補助員(高卒)だけでは人でが不十分だった。
 1971年4月に、大学新卒の新入社員一名が加わるのを待って、研究補助員に名と筆者の四名で、培養液からコレステロール合成阻害剤を探す「スクリーニング」を開始した。
 この方法で、72年1月までに2,600株の微生物を調べたが、新薬の種にはなりそうもない既知の有機酸(リンゴ酸とシュウ酸など)が活性物質として抽出された。次に、培養液ではなく、培養液を有機溶媒で抽出して有機酸を除去した抽出法を用いる方法に切り替えた。この改良法で1,200株を調べたところ、72年4月に、イネとキュウリに寄生する植物病原菌と青かびの二株が残った。
 1972年9月から、青かびP-51株の培養液(250リットル)を用いて活性物質の抽出精製に入った。溶媒抽出、シリカゲルとフロリジルを担体とするくろまとグラフィーなどを組み合わせた結果、8mgの活性物質(ML-236と仮称)が得られた。ML-236は機器分析から新物質であることが確認された。コレステロール合成阻害活性は非常に強く、・・・。
フラスコでの生産性が一挙に40倍に跳ね上がった。飛躍の最大の原因は麦芽エキスにあった。

・1974年3月から75年暮れまでの二年近くかけた不慣れな動物実験で、ラットに効かない原因をほぼ解明できた。この間の実験を通して、私は血中コレステロールが過剰な動物モデルがあれば、それにはコンパクチンが効くだろうとした当初の考えに自身が湧いてきた。

・ニワトリとイヌに劇的な効果!

・開発プロジェクトの最初の仕事はコンパクチンおよび化学者たちが合成したコンパクチン誘導体(10種余)の中から候補物質一つを選抜する作業であった。

・観毒性の疑いで再度の危機

・1979年1月4日に農工大に着任。同11日、村川と一緒に紅麹菌10株をにシュルの培地で培養した。・・・10株中の一株で10種以上の紅色系色素に加え、三種のコンパクチン同族体をつくることがわかった。・・・三個の同族体には極性の高いものから「モナコリンJ」「モナコリンK」「モナコリンL」と命名した。

・モナコリンKの特許は日本の他に、・・・30か国に出願されたので、メルクは三共から実施権を得ない限り、これらの国では目日のリンの開発ができなくなった。しかし、メルクは三共にモナコリンKの実施権んを要請せず、米国、カナダなど一部の国でメビノリンを商業化した。・・・
 メルクは三共と秘密保持契約を交わして、二年以上もの間、三共からコンパクチンの秘密情報・資料と結晶を再三入手しただけでなく、私たちの指導も受けていた。その一方で、彼らは勝手にメビノリンを発見し、権利を独り占めにしてしまった。「プロポーズを信じて二年以上つきあったのに、裏切られた」のである。我が国の常識ではあり得ないことであろうが、契約違反にはならないのだから、文句をつけられないであろう。それにしても、海外との付き合い方に慣れていればこうはならなかったに違いない。
 私がモナコリンKを発見していたので、メルクはメビノリン(ロバスタチン)を米国とごくごく一部の国でしか開発できなかった。

・79年に、私はモナコリンK、LとともにモナコリンJを発見し、国内特許を出願していたが、私自身の不注意が原因で、海外特許が残念ながら取得できなかった。国内での出願から一年以内に外国出願手続きをしなければならないのに、気がついたときには期限がすでに過ぎていたのである。この結果、万有製薬が日本国内でモナコリンJからシンバスタチンを製造すれば、(モナコリンJの)特許に抵触するので、私に特許料を支払う義務が生ずる。しかし、メルクが海外で合成したシンバスタチンの原体を輸入し、それを製品にして売るなどしていれば、モナコリンJの特許には抵触しないkとになる。シンバスタチンの全世界での年間売り上げが数千億円に達するので、海外特許を取得していれば、莫大な特許使用料(売り上げの1%でも年間数十億円になる)が入っていたであろう。
 三共の「プラバスタチン」は微生物を使ってコンパクタチンからつくった版合成スタチンである。コンパクタチンとの違いは胴部に水酸基が一個余分についただけである。

感想
 新しい画期的な発明には、情熱を持った人がいますね。
そしてその人が研究することができる周りの理解が必要なようです。

 小林製薬の紅麹サプリはまさに医薬品のコレステロール削減なので、コレステロール低下に効果があります。
 なぜ医薬品成分が食品だったら、何の規制もないのでしょうか?

『人間を磨く人間関係が好転する「こころの技法」』田坂広志著 ”一つでも二つでも実践すると人間関係が良くなると思いました”

2024-07-30 12:52:12 | 本の紹介
・親鸞ほどの宗教的人物でも、歳を重ねてなお、「人間の心は、へび、さそりのごときものだ」と述べている。どれほど人間としての修行を積んで歩んでも、心の奥に未熟さを抱えて生きるのが人間の姿だと語っている。

・古典からは「理想的な人間像」ではなく「具体的修行法」を学ぶ
 古典を読むとき、その著者の示す「人間としての謙虚な姿」もまた、我々が、深く学ぶべきものなのであろう。

・「我欲」や「私心」を否定せず、ただ静かに見つめる

・自分の中に、「統一的人格」ではなく「様々な人格」を育てる

・難しい人間関係に直面したときが、人間を磨く最高の機会
①一つの理想的な「統一的人格」を持つ人間をめざすのではなく、自分の中に「様々な人格」を育て、それら人格を場面や状況に応じて適切に使い分けることのできる人間をめざす。
②自分の心の中の「小さなエゴ」を捨て去ろうとするのではなく、その「小さなエゴ」の動きを、静かに見つめることのできる「もう一人の自分」を育てていく。
③ただ、「理想的な人間像」を論じるのではなく、そうした人間像に向かって一歩一歩成長していくための「具体的修行法」を身につける。

・人間関係が好転する「こころの技法」
1)心の中で自分の非を認める
2)自分から声をかけ、目を合わせる
3)心の中の「小さなエゴ」を見つめる
4)その相手を好きになろうと思う
5)言葉の怖さを知り、言葉の力を活かす
6)別れても心の関係を絶たない
7)その出会いの意味を深く考える

・人は、非があり、欠点があり、未熟であるから、周りの人の心が離れていくのではない。
 人は、自分の非を認めず、欠点を認めず、自分には非が無い、欠点が無いと思い込むとき、周りの人の心は離れていく。

・「感謝は、すべてを癒す」

・人とぶつからない人生、心が離れない人生が、良き人生ではない。
 人とぶつかり、心が離れ、なお、それを超えて、深く結びつく人生。
 それこそが、良き人生である。

・心がぶつかったときこそ、「絆」を深める好機
 互いにぶつかったとき、相手も、自分と同様、「深層心理」の世界では、「自己嫌悪」の感情から、相手に謝りたいと思っている。そして、「他者不安」の感情から、相手と和解したいと思っている。

・「ぶつかった相手に対して、こちらから心を開いて語りかけ、
  それでも、相手の心が開かなかったおきに、どうするのか?」
①人間の心は、我々が思っている以上に、しなやかだ、ということである。
②自分の心を開くことで、何よりも、自分の心が救われる、ということである。
③相手がこころを開いてくれなくても、こちらの心は伝わっている、ということである。

・河合隼雄氏との対談で
①自分に本当の自信がないと、謙虚になれない
②自分が本当に強くないと、感謝ができない 

・本来、「欠点」は存在しない、「個性」だけが存在する

・我々が、相手の心に「正対」し、「心で正面から向き合う」ことができるならば、それが、どれほどこじれた人間関係でも、何かが変わり始める。ときに、おかしくなった人間関係が、不思議なほど、好転していくときがある。
「相手に正対する」とは、「相手を一人の人間として敬意を持って接する」ことだからである。

・相手を好きになろうとすることは、最高の贈り物

・言葉の怖さを知り、言葉の力を活かす
 言葉の使い方を誤ると、嫌いな人を、ますます嫌いになっていく。
 また、言葉の力を活かすと、逆に、嫌いな人でも、好きになって行く。

・人間の「心」というもをある状態にするためには、「心」そのものに直接働きかけるよりも、まず、「身」に働きかけることが、「心」の状態を変える最も効果的な技法であることを知っているからである。
 多くの宗教的技法が、身体や言葉を使った「修行」を重視するのは、それが理由である。

・日常、何気なく使っている言葉は、深層意識に想念として浸透していく。

・人は、相手を好きになるから、好感の言葉を語るのではない。
 好感緒の言葉を語るから、相手を好きになる。

・「愛情」とは、関係を絶たぬことである。

・評論家の草柳太蔵
 「最近の若い人は、なぜ、『顔も見たくない』という別れ方をするのか?
  なぜ、そうした『無残な別れ方』をするのか?」

・どのような出会いにも、必ず、深い意味がある

・「人生の解釈力」とは、「人生の物語」を生み出す力のこと


感想
 人間関係は難しいです。
苦手な人もいます。

 会社時代、苦手な人を嫌いに思わないようにしました。
好きまでは行きませんが。
こちらが嫌いだと思うと、それが言葉や態度に現れ、相手も気付き相手も私を嫌いに思ってしまいます。

 そこで思ったことは、その人にも家族や友達がいる。私は仕事で本の限られた時間だけの接点だが、そういう人は長い接点を持っていて、何とかされているということです。

 もう一つ思ったのは、私のコミュケーション能力のバロメーターだということです。
その苦手な人に対応するコミュニケーション能力がまだ自分には備わっていない。
神様が私のコミュニケーション能力を高めるために与えてくださったと思うようにしました。

 この本には人間関係を好転する本質が多くあるように思いました。

「しにたい気持ちが消えるまで」豆塚エリ著 ”自殺未遂して生きたいと思う”(東京いのちの電話広報誌より)

2024-07-29 15:26:26 | 本の紹介

・死にたい、と漠然と思い始めたのはいつだったろう。
 小学校高学年の頃だったろうか、死というものに興味を持ち始め。憧れ始めたのは。
 それからずっと、来る日も来る日も、死にたいと思ってきた。けれども、この日は違った。
 はっきりと、「死ななきゃいけない」と思った。今しななきゃいつ死ねる?
 死ぬなら今だ。今なら死ねる。
 いても立ってもいらてななかった。
 とても幸福な気分だった。何か正解を見つけたような気持だった。
 ひらめきに興奮していた。
 高校の制服姿で、屋上に上がろうとしてみたが、屋上に続く扉は固く閉ざされていた。
 それでもあきらめきれなかった。焦りもあった。今の気分が変わらないうちに、どうにかしないといけなかった。
 部屋に戻ってベランダのサッシを開け放した。
 住んでいた部屋は三階で、正直、死ねるかどうか自信がなかった。
 死ねなかったら? 痛かったらどうしよう? そんなことを考えた。
 死ねなかったら死ねなかったときだ。そのときは神様がそうしたということにしよう。
 少なくとも骨折ぐらいはするだろう。そうなれば少しは学校を休める。
 できれば、苦しみなく死にたいな。
 十二月十四日、空はよく晴れで曇り一つなかった。その空気は冷たかったけえど、陽射しはぽかぽかと暖かかった。
 とても明るく、清々しい朝で、こんな日に死ねるなんて、と感動すら覚えた。

 この日のために生まれてきたのだ、と。

 うきうきして、でも少し寂しかった。名残惜しさはあった。やらなきゃいけないことはたくさんあって、仲のいい友達もそれなりにいた。恋人だっていた。
 それでも、私はやらねばならないと思った。世界から剥がれ落ちてしまった私を、誰も必要とはしないだろう。
 悲しんでくれたら嬉しいい。そうやって誰かの、何らかの記憶に爪を立てることができたら。あるいは復習だったのかもしれない。・・・
 三階のベランダから、私は飛び降りた。

・この日のことを私は何度も振り返る。感覚を、感触を、情景を、忘れないように。
 あるいは、どうしてこうなったのか、と考える。
 私は死ねなかった。神様は私を生かした。
 けれど、罪を与えた。
 胸から下に麻痺が残った。歩くことも、立つことさえかなわない。手指にも麻痺があって、思い通りに動かしにくい。今の医学では一生治らないとされている。
 頸椎損傷。それが私の身体に残った障害の名前だ。
 あの日から十二年経った。私は車椅子で生活している。

・学校では授業以外のほとんどの時間を図書室で過ごした。朝、本を借りて放課後までに読んでしまい、また借りてその日に読んでしまって次の朝に返す、という日々だった。私立図書館の存在を知ってからは、休みの日に通うようになった。

・両親から愛されることに絶望してから、孤独は苦でなくなった。むしろ、一番自分らしくいられるのが、一人で過ごす時だと気がついた。誰かと一種にいる方が孤独なくらいだ。一人の時間とはなんと贅沢で豊かだろう。一人でいて、退屈を感じたことはない。それを教えてくれたのが、皮肉にも義父だったのだ、と最近気がついた・・・
 義父との暮らしは窮屈で、悲しいことばかりで、あまり好きにはなれなかったが、義父がいてこそ今の私があることは間違いない。

・人を好きになると、相手に嫌われるのではないか、という気持ちばかりが膨らんで、自分なんてとるに足らない人間だと思えてくる。だから尽くしたいと思う。とは言えできることなんて思いつかなくて、ただひたすら楽器を吹き、絵を描いた。

・人間関係で何かに失敗するたびに、もうこんな失敗を繰り返さないという戒めのために切っていたところがあった。
 自ら罰する。痛みは許しだった。そして、痛みは私を裏切らないし、否定しない。
 黄色い液が染み出してきて、血が止まるまでの様をじっと観察していると、不思議と心が落ち着いた。
 一方で、馬鹿馬鹿しい、と思ってはいたが、自分の地が赤いことを確認すると、なぜかほっとした。そしてそれは本当だったなあと思う。
 心の痛みに比べ、ひりつく切り傷の痛みは甘美でさえあった。

・傷は戒めであり、お守りだった。生きている証であった。・・・
 とはいえ、自傷に溺れていった先に、徐々に自殺が具体的なものとなり、現実味を増してきたようにも感じている。

・中学の頃から、常に自己否定を行う、もう人の自分のような意識が頭の片隅にあった。

・意識が身体と別々にあるみたいで、人から話しかけられているのに、その話がうまく理解できず、「そうですね」とただ繰り返す自分をどこか遠くから「ちゃんと話を聞けよ」「ちゃんと反応しろよ」と非難しているのだ。テレビで観ているかのような第三者的な感覚だった。

・だから飛び降りた日のことが不思議でたまらない。
 もしかしたら、本当に彼女が自分と入れ替わっていたのかもしれない、とすら思う。
 記憶はしっかりとあるし、飛び降りた瞬間から、病院に搬送されるまで、意識はあった。
 しかし、じつは飛び降りてから、今まで、自傷に及んだことは一度もない。
 まるで憑き物が落ちたみたいに、あれほど辛辣に私を攻撃してきた彼女もいなくなった。
 彼女は、死神だったのだろうか。
 リストカットの痕は未だに手首に残っている。

・すると母が怒鳴り始める。アパートの壁は薄い。隣のテレビの音が聞こえるほどだ。ちょっと静かにしなよ、という注意も虚しく、逆上した母が私に今食べている朝ごはんをを投げつけ始めた。皿が我、食べ物が飛び散る。制服にスープとコーヒーとドレッシングの大きなシミができる。私は泣きながらやめてと叫ぶが、母は止まらない。パスコンを、配線を引きちぎりならが投げつけ、デスクトップを投げつけてくる。壁に穴が開く。そこでようやく母が止まった。陶器の破片を母が踏み、畳に血がにじむ。
「学校行くから」
と私は精いっぱいの虚勢を張って鞄を持って立ち上がる。
「着替えていきなさい」
母が言う。大人に相談しようと思っていたので、そのまま無視して行こうとすると、母から作欲静止される。仕方なく着替え、家を出た。
 さすがに、許せなかった、というか、許すとか許さないとか、そういう問題じゃない。せめて一言でも、形だけでもいいから、謝罪してほしかった。そうでなければ、これを赦してしまえば、今後こういうことを甘んじて受けることにもなりかねない。相手が自分の子どもだとしても、許されないことがあるのだと、認めてほしかった。
 私は家出をすることにした。

・このときの私は心穏やかであった。早く死んでしまいたいと逸つ気持ちはあったが、そこに不安も怒りも苦しみもなかった。死は生きることを断念することではなかった。今日まで生きてきたことを肯定していた。強いて言うなら、少し悲しい。コンクールに向けて書いた作品が日の目を見ることがなくなってしまう。恋人と会えなくなってしまう。文芸部のみんなに死後を押し付けることになってしまう。そのいくつかの心残りが、世界をより美しく見せた。
 覚悟が揺らぬうちに私は行動した。今のこの気持ちのまま死にたかった。
 あとは冒頭の通りだ。
 私はアパートの三階のベランダから飛び落り自殺を図った。

・生きる意味がないなら、生きている意味がないと思っていた。
 他者から認められるひとかどの人物になりたい。それが生きる意味。それにはなるべく早くからたくさんの努力が必要で、才能も必要。
 才能がなかったら、努力ができないのなら、生きている意味がない。

・毎日彼が来ることを待ちわびる日々だったが、失禁してしまったときに彼が言合せるのだけ、つらく、恥ずかしかった。

・人に頼ることも、そう悪いことではないのかも、と思える最初の一歩を私は踏みだしていた。

・やはりどう言っても、口からごはんが食べられるのはこの上ない幸せなことだと私は思う。今の私は、美味しいものを食べるためにただ生きていると言っても過言ではない。

・比べちゃ駄目だ、と自分自身に言い聞かせる。比べたところで、何もいいことはない。嫉妬の感情が湧き上がってくるたびに、頑張ろう、頑張ろうと自分を励ました。そうするしかない。

・そうやって触れ合い、陸み合う二人はきらきら輝いて見える。人生の終盤で、不治の病に罹っても支え合うパートナーがいる。二人の生活を支えてくれるケア ワーカーがいる。これって、そこにいる誰にとっても豊かなことではないのか。結局のところ、誰かのために時間を割く-いや、こういう言い方はよくない-誰かと時間を共有するために、私たちは生きているのではないのか、と思った。その時間をより豊かなものにするために、教養があり、仕事があり、お金があるのではないか。そうやって豊かな時間を過ごす時間を惜しんで得られるお金に、なんの意味があるのだろうか。時間は使うものでも、節約するものでも、まして浪費するものでもない。ただ流れていくものだ。川のように、音楽のように「時は金なり」なんて、まったくナンセンスだと思う。

・十七歳にしておむつ再デビュー。なんだかちょっと笑えた。

・「しかし先生たちは前例がない、バリアフリーにすればいいという問題ではないと言って私に自主退学を促しました。とても残念です」(校長に対して)・・・
「もう出ていったよろしい」
校長は顔を真っ赤にして怒りをにじませながら言う。これほどまでに稚拙な大人を見たことがない。こんな人が校長になれるのだ。なんて恥ずかしい学校なのだろう。

・けれど私は今、毎日が楽しい。明日を恐れることがない。できないことはできないと深く諦め、それでも自分の生きたいスタイルを貫いた結果、世界すらもそれに沿うような形で回っているのではないかと思える瞬間がある。
 現に私はこうやって、他者から頼まれて本を書かせてもらっている。この十年ずっと夢をみたことだ。自分のやりたいことと他者が私に求めることが合致したとき、これほどやりがいを感じることはない。そして私の周りには、それを心から求められなくても生きていていい、無価値のままで、生きることに意味なんてなくていいと教えてくれた。ままならず、どうしようもないこともあるけれど、案外、どうにかなるものだ。それを肌身で感じさせてくれる。

感想
 東京いのちの電話の広報誌で豆塚エリさんのことを知り、本を読みました。 
 人は何のために生きたいかそれを持たないと、生きるのはとても辛くて苦しいのでしょう。
そして生きている喜びを感じないと生きるのは大変です。
 豆塚エリさん、どうすることも出来なくて、死ぬしか選択肢がないと思いました。
 
 でも、自殺未遂で下半身まひになり、周りの人の温かみを感じられたようです。
自殺する前にはその温かみを感じることがなかったようです。
 生きている意味が見つからない。
五木寛之さんの本に、「生きているだけで意味がある/生きているだけで価値がある」とありました。
生きている意味が見つからないと思っている自分自身に意味がもうあるのです。

 豆塚エリさんは今、多くの生きることで苦しんでいる人々の支えになられています。そして積極的に講演活動をされています。
失ったものは大きいですが、失ったからこそ見つけたものがあったのだと思います。

小林製薬 安全軽視の社風が甚だしい ”問題を起こしただけでなく、その後の対応にも大きな問題を抱えている”

2024-07-28 18:47:47 | 小林製薬紅麹

 健康の維持を助けるサプリメントを製造しているにもかかわらず、消費者の安全を軽視した対応に終始していたことは許されない。
 小林製薬は、「 紅麹べにこうじ 」サプリメントを飲んだ人に健康被害が相次いでいる問題の責任を取って、創業家出身の小林一雅会長と小林章浩社長が辞任すると発表した。外部の弁護士による調査報告書も合わせて公表した。
 後任の社長には、来月8日付で、山根聡専務が昇格する。創業家以外の社長は初めてだという。
 報告書が問題視したのは、まず、被害状況の公表や製品回収が遅れるなど初動対応の鈍さだ。
 小林製薬は1月半ば、サプリによる健康被害を把握したが、行政への報告や、製品の自主回収を公表したのは3月下旬だった。
 報告書は「消費者の安全を最優先に考えることができていなかった」とし、遅くとも2月上旬に、「全社を挙げて早急に対処すべき緊急事態」だったと批判した。
 健康被害が広がっていたにもかかわらず、あまりにも危機意識を欠いた対応だ。小林社長は当初から陣頭指揮を執らず、危機管理本部すら置かなかったという。企業統治の不全は明らかである。
 安全を軽視した社風も深刻である。行政への報告は、製品と被害の因果関係が「明確な場合に限る」と勝手に解釈していた。
 さらに経営陣による会議で、行政への報告が必要かどうかを協議した際の資料には、「レピュテーション(評判)リスク、事業影響を考慮し判断」と記載されていたという。業績悪化を恐れ、報告が遅れたとすれば、言語道断だ。
 また、報告書では、従業員からの聞き取り調査の結果、工程管理のずさんさも判明した。
 工場内に設置された紅麹の培養タンクの内側に、健康被害との関係が疑われる青カビが見つかったことがあったが、当時の担当者は、「青カビはある程度は混じることがある」として放置した。
 品質の管理体制を徹底的に改めていく必要がある。
 説明責任を果たそうとしない姿勢も看過できるものではない。
 このサプリでは、亡くなった約100人について、疾患との因果関係が調査されており、消費者の不安は強い。だが、小林製薬は今回、トップの交代を発表しただけで、記者会見を行わなかった。
 再発防止策をまとめるのは当然として、このような事態を招いた原因や背景をどう考えているのか。会見を開き、語るべきだ。

感想
 そーっと台風が過ぎるのを待っているようです。
厚労省も文句を言うだけです。

 企業が態度を変えないと、消費者がそのような企業の態度を変えないのかもしれません。

「心を病む人のための高森流コミュニケーションQ&A」高森信子著 ”SSTを身に付ける”

2024-07-25 02:16:32 | 本の紹介
・精神科の病気は薬だけで治る病気ではないのです。生活しながら、生きる力をつけながら治す病気です。一日中調子が悪いと言って何もしないよりも、少しでも調子のいい時には何かやってみるほうが健康な部分が増えていくのです。
 ですから、病気をやっつけようという姿勢でいるよりも、調子のアップダウンを把握して、それに合わせて活動をするほうが、健康な部分を増やしていこうという意識につながりますね。

・どんな病気でも、「自分」は病気を背負っているだけなのです。まずは、全身が病気だとは思わないことです。症状が重くなったり軽くなったりすることはあっても、そういうものを取り払った、根本的な自分というものがあるのだということをわかってほしいと思います。

・薬の調整は先生とのかけ引きで決まることです。ピッタリしたお薬に出会うまで、先生に訴え続けることです、飲むのは自分なのですから。

・作業所やデイケアのいちばんの存在理由は何かということをしっかり認識するべきです。就職するための通過点、と一般に思われていますが、現実にはそうではなくて、世の中にはいろいろな人がいるということを実際に見て、知る場所なのです。自分と考えの違う生身の人間にじかに触れながら、世の中にはこんな人もいるんだということを許容できるようになる。人に慣れるための場所なのです。

・自分の姿勢が曖昧なままの人の話は、相手も耳を傾けないでしょう。まずは自分自身が人生をどうやって生きていくか、すっきりと答えを出していることが必要です。

・まずは自分自身を知ること。人間を知ること。そして相手の気持ちがわかること。そこからはじめてピアになれるのです。人間とは何か、という本質を突きつめる勉強をしてほしいのです。そして、人の人生に関わるというのは重大なことだということです。そのためには謙虚になってほしいのです。自分の人生の再構築が必要です。いらないものは捨てて、自分の人生を建て直すことができた人がピアになる資格のある人だと思います。
 ですから、なまじっかな助言はしないほうがいいのです。まずはじっくりあいての話を聞く――相手が決断しようという時にどうすべきか、自分が答えを出せるようにとことん話を聞いてあげることがピアの役割です。

・私は「『働かざる者食うべからず』という言葉は働けるのに働かない人に対する言葉でしょう。あなたはどっちなの?」ときたら、彼は働けないと答えたのです。それなら、その言葉はあなたにとっては必要のない言葉だと申し上げました。

・この病気になって思うのは、自分が表現したことを受け入れられるときって、本当に価値観が変わるんですよね。私たちも場をちゃんと提供されれば、いろいろ発信できるんですよ。だから、自分たちが抱えている問題意識をもっとオープンにしていきたいですよね。(竹内政治19歳のときに統合失調症を発病;当事者会『ウィーズ』代表)

・私の場合、一番最後に入院したときは本当にへこんでいて、このままずっと病院生活で自分はもう終わりだと思っていたのですが、ある看護師さんが、「君はここにいる人でないから」と言ってくれたのです。「将来、君は羽ばたいていく人なんだ」と言ってくれて、それはいまだに心の支えになっていますね。
 その人は当時、まだ勤めはじめて二年目くらいの看護師さんでした。これって、地獄に仏ですよね。
 関わる人たちの一声が将来を左右するのよね。


感想
 それぞれのケース/場面でどう対応するかのシナリオを作成し、それを演じ、それを見て確認する監督の3役を担うことになります。
 SSTはまさにその練習のようです。
ドラマはやはり脚本が命です。
そしてそれをどう演じるか。
自分を常に離れて見ている自分(監督)を持つことも大きいと思います。
小さいときからの多くの失敗から学んでいます。
でもその多くの失敗をして来ていないと、対人関係/コミュニケーションで生き辛さを感じるのだと思います。
 でもそれよりも、相手にどう思われても良いと思えるのが良いと思います。
そして相手を嫌いにならないことだと思います。嫌いだとどうしても相手に嫌な思いをさせてしまいます。

 SST(Social Skills Training)とは「生活技能訓練」または「社会生活技能訓練」と訳され、認知行動療法に基づいたリハビリテーション技法です。精神に障害を持ったひとが社会で生活していくために、対人関係を良好に維持する技能を身につけ、自信を回復し(QOLを高める)、ストレス対処や問題解決ができるスキルを習得(再発防止)する目的ですが、これらの技法は障害に関わらず全ての人に適応できるものです。

高森信子さんは小学校、保育所の先生をしながら、SSTを学ばれ、いまそれを生かされています。。
SSTと似た対人関係療法もあります。
身に付けておくと、対人関係/コミュニケーションに役立つようです。

対人関係療法とSSTの違い(geminiより)

対人関係療法SST(ソーシャルスキルトレーニング)は、どちらも対人関係の改善を目的とした心理療法ですが、いくつかの重要な違いがあります。

対象となる人

  • 対人関係療法:
    • うつ病、境界性人格障害、摂食障害など、対人関係の問題が症状に大きく影響していると考えられる精神疾患を抱えている人が対象です。
    • 比較的、洞察力や自我機能が高い人が適応しやすいと言われています。
  • SST:
    • 発達障害や精神疾患を抱えている人だけでなく、対人関係に苦手さを感じている人であれば、誰でも受けることができます。
    • 自閉症スペクトラム障害のように、対人関係療法が難しいとされる場合にも有効です。

治療の焦点

  • 対人関係療法:
    • 現在の対人関係に焦点を当て、人間関係のパターンや問題点を明らかにします。
    • 具体的な対人関係の課題を解決するための方法を学び、練習していきます。
    • 対象となる問題は、喪失体験、対人関係の不和、役割の変化、対人関係の欠如など、4つのテーマに分類されています。
  • SST:
    • より基本的な社会技能に焦点を当て、挨拶、自己紹介、会話、断り方、褒め方などのスキルを練習します。
    • ロールプレイやグループワークなどを用いて、実際の場面で役立つ具体的な行動を身につけることを目標とします。

治療の過程

  • 対人関係療法:
    • 1回あたり50分~90分の面接を、週1回程度、20~40回行うのが一般的です。
    • セラピストと患者が対話を通して、問題を掘り下げ、解決策を見つけていきます。
  • SST:
    • 1回あたり2~3時間のグループセッションを、数回~十数回行うのが一般的です。
    • 参加者同士でロールプレイやディスカッションを行い、互いに学び合いながらスキルを身につけていきます。

効果

  • 対人関係療法:
    • うつ病、境界性人格障害、摂食障害などの症状の改善に効果があることが示されています。
    • 対人関係の質の向上にもつながることが期待できます。
  • SST:
    • 対人関係の苦手さを克服し、社会生活の質を向上させる効果があります。
    • 自信や自己肯定感を高める効果も期待できます。

まとめ

対人関係療法とSSTは、それぞれ異なる強みを持つ心理療法です。

  • 対人関係の具体的な問題を解決したい場合は対人関係療法が、
  • 基本的な社会技能を身につけたい場合はSSTが、

それぞれ適していると言えます。

自分に合った療法を選択することが、より効果的な治療につながります。