新浪:資本主義とは、お金を媒介とする経済のシステムだ。だが、ビジネスの本質は人が幸せになり、社会が豊かになることにある。だから経営者として、人的資本経営という言葉にはピンとこない。
──なぜ、このような考えを抱くに至ったのか。
新浪:人が育つことの喜びを常に感じてきたからだ。現場の意識が変わり、個が育つことが業績拡大につながるという経験を何度もしてきた。
人を育てるというのはおこがましい話で、その人自身が「自分を磨きたい」と思うことが重要だ。ワクワクすることを見つけたとき、人は初めてスキルを磨こうと懸命になる。目的意識をもって、やりたいと思うようになるための環境や仕組みをつくる。これが経営の役割だ。
──社員の能力開発の施策のなかで、特に肝いりのものは。
新浪:「サントリー大学」だ。サントリーグループがグローバルに発展していくために、「自ら学び、成長し続ける風土の醸成」をはじめ4つの視点からさまざまな気づきや成長の機会を提供している。
グローバル化は簡単ではない。サントリーの場合、国内と海外の社員が共に集い、議論し、お互いから学ぶ仕組みが必要だと考えた。サントリーの創業精神やカルチャーは、本社や現場に来てもらわないと伝わりにくい。例えば、創業者・鳥井信治郎の「やってみなはれ」という言葉にしても、最初は「Go for it」と訳していたが、これでは伝わらない。
特に、14年に買収したビームはステータス・クオ(現状)を維持しながら収益を上げるという考え方が根強く、ビーム サントリーになるためには発想を変えてもらう必要があった。それには本社や現場を体感してもらうことが不可欠だった。
──国内外の社員の学び合いで得られた成果はあったか。
新浪:「自分たちはメーカーであり、マニュファクチャラーなのだ」という強いこだわりが伝わり、経営陣と現場との間で信頼感が高まり、いいものをつくって世界中に届けるという意識が高まった。結果、北米や欧州に加え、インドやASEANでもビジネスが拡大している。
──とはいえ、コミュニケーションを通じて社員の意識に変革をもたらすには、それなりの時間がかかる。どう乗り切ったのか。
新浪:私の気持ちがはやればはやるほど、相手は理解しなくなる。買収当初はシカゴ(ビームの本社所在地)と東京本社との間に不調和もあったが、開高健氏の「悠々として急げ」を意識しながら理解を求めていった。親会社という立場から「こうやれ」と言うのは楽かもしれないが、彼らの意見も聞きながら大局観をもって振る舞うなかで、相手の信頼を獲得することができた。
新浪:最近の調査では、社員の9割弱がサントリーグループで働くことに誇りをもっていると回答している。
サントリーは創業以来、事業で得た利益は事業への再投資のほか、お客様や取引先へのサービス、社会貢献に役立てる「利益三分主義」を掲げている。例えば、サントリーは行政や森林保有者と協力し、森林保全を行うために各地で「天然水の森」を展開している。ある海外の社員は天然水の森に行き、その取り組みに感激し、帰国後すぐに地元のNPOなどと一緒になって同じような活動を始めた。
こういった類いのことは、やれと言ってやれるものではない。サントリー大学を通じて現場を訪れ、サントリーの「水と生きる」という社会との約束と「やってみなはれ」の意味を体感した結果だろう。こういうことをやっていいのだと思った瞬間、解き放たれた。
自分たちのコミュニティを守り、水という大切な地球資源を次の世代に渡していくという意識を強くもち、ロングタームでコミュニティにコミットする。その結果、我々が社会になくてはならない存在となる。そんな海外の社員の姿勢が、日本にいる社員にも前向きなピアプレッシャーを与えている。
──日本国内における人材面での課題はなにか。
新浪:とりわけ20代、30代の人たちは、自身のキャリアへの関心が高いと感じる。その理由のひとつは、サントリー以外の企業でも面白そうな仕事ができるチャンスが増えていることだ。このままではやりたい仕事に到達するまで時間がかかりそうだという現実に、若手社員は直面しているように思う。これからは、優秀な若い人たちを積極的に抜てきしていかなくてはいけない。
さらに、若いうちに修羅場を経験する機会を増やすことが重要だと考えている。例えば、「自分が採用されるポジションを探してこい」と言って、トレーニーとして1〜2年、海外に送り出す。そのときは「なんでこんなことを」と思ったとしても、悩み苦しんだ経験は、その後の仕事やキャリアの役に立つ。
ウイスキーは、仕込みにかかる時間がとても長い。先々を考えて仕込んでも将来、売れるかどうかはわからない。私の次の社長、ひょっとしたらその次の人が「売れてよかった」と思うのか、それとも頭を抱えるのか。このような商売で将来をマネジメントするには、運も重要な要素のひとつだ。そして、運を連れてくるのはトップの力量である。
──サントリーは「おもろい」会社だと思うか。
新浪:おもろい会社だが、もっとおもろくならないと駄目だ。そのためには、社員にちょっときつい経験をしてもらう環境を整えなくてはいけない。修羅場をくぐってもニコッとしている。そんな社員たちがいればサントリーは前例主義に陥ることなく、永遠におもろい会社になれる。
新型コロナワクチンの接種後死亡者の遺族が死亡一時金等を請求できる健康被害救済制度のもとで、厚生労働省の審査会が新たに15歳の男性を含む31人について、接種が原因で死亡したことを否定できないとして、救済認定をしていたことがわかった。6月26日、審査結果の資料を公表した。
これで、接種と死亡の因果関係が否定できないと認定された事案は計103件となった。死亡の被害認定が100件を超えたのは、新型コロナワクチンが初めて。
これまでのところ主要メディアは報じていない。
政府は高齢者等に追加接種を呼びかけているが、厚労省は健康被害の情報開示には消極姿勢のままだ。
これまでにも、ワクチン接種に伴う健康被害は稀な頻度で生じることは避けられないため、医療費や死亡一時金等が給付されてきた。
厚労省の集計では、1977年以降の44年間で、接種による死亡と認定し、死亡一時金等が給付されたのは計151件。1年平均に換算すると4件未満だった。
コロナワクチン接種者の死亡一時金等の給付は2年間で100件を超えており、接種人口・接種回数の多さを考慮しても、異例の多さとみられる。だが、ワクチン種類別の健康被害認定件数のページには、なぜかコロナワクチンの認定件数だけ掲載されていない(厚労省サイト)。
厚労省が一般国民向けに作ったQ&Aサイトも、健康被害救済制度の説明は設けられているが、コロナワクチンの健康被害審査状況に関するページにはたどりつけないように作られている。
健康被害の審査を担当しているのは「疾病・障害認定審査会」。その公表資料によると、6月26日までに健康被害が認定されたのは合計2881件。死亡以外の疾病に伴う医療費給付が大半を占めている。
ただ、同一の被害者に対して「医療費・医療手当」の給付と「死亡一時金・葬祭料」の給付が認められた場合は2件とカウントされている。実際に被害認定を受けたのは、認定総数よりやや少なく、2800人前後とみられる。厚労省の担当者は「認定された被害者の実数は把握していない」と説明している。
死亡事案の申請・認定件数は非公開
厚労省は、審査会の資料で健康被害の認定総数を公表しているが、このうち死亡一時金・葬祭料の給付件数については公表していない(下の写真)。
コロナワクチンに関する過去の審査結果資料(43回分、3400件超)を手作業で集計すれば、死亡一時金等の認定件数を把握することは可能だ。筆者の集計では計103件となった。
だが、厚労省の担当者は、筆者の事実確認の求めに対し「過去の資料を集計すればわかるが、資料に記載したこと以外は公表できない」として、現時点で103件であることを否定も肯定もしなかった。
厚労省の公表資料(筆者撮影)。受理件数、認定件数の総数は記されているが、死亡事案の件数は示されていない。取材にも答えない姿勢を示しており、現在、情報開示請求手続きをとっている。
厚労省の資料によると、コロナワクチンの被害救済申請の受理件数は7966件。現在も4600件以上の審査未了となっている。一方で、現在も毎月数百件ペースで新規の救済申請が受理されている。
厚労省は、受理件数のうち死亡事案(死亡一時金・葬祭料の請求)が何件なのかも明らかにしていない。
大坪寛子・厚労大臣官房審議官が4月18日、参議院内閣委員会で質問を受け、初めて「684件」と明らかにしたが、その後の最新の情報は不明だ。確実にいえることは、現在も少なくとも500件以上の死亡事案が審査未了となっていることだ。
このように公表資料などをみても健康被害の審査状況は不明な点が多いが、副反応疑い制度に基づきワクチンの安全性について検討する別の審議会にも、情報が全く共有されていないことがわかった。厚生科学審議会(予防接種・ワクチン分科会 副反応検討部会)の担当課への筆者の取材で確認した。
同部会の委員には副反応疑い制度と健康被害救済制度の違いについて説明したことはあるが、救済制度の審査情報について提供したことはないという。同審議会では最近、独自に「接種後健康状況調査」を委託事業として開始したが、ここでも「疾病・障害認定審査会」の審査情報は全く参照されていないようだ。縦割り行政の弊害の一つと言える。
新型コロナワクチンはこれまで国内で1億人超が1回以上接種し、8600万人以上が3回以上接種している(首相官邸サイト)。
政府は現在、主に高齢者や基礎疾患を有する人を対象にした接種を呼びかけており、秋からそれ外にも対象を拡大する方針。高齢者や基礎疾患を有する人以外は、接種の努力義務の対象から外している。
松平定敬(桑名藩)―容保と行動をともにした実の弟
林忠崇(請西藩)―藩主みずからが率先して薩長と戦う
徳川茂承(紀州藩)―敗走した旧幕府軍平をかくまう)
第2章 最後の将軍・徳川慶喜に翻弄された殿様(徳川昭武(水戸藩)―兄慶喜の身を案じた仲の良い弟
松平春嶽(福井藩)―徳川慶喜に裏切られ通しの坂本龍馬の理解者
山内容堂(土佐藩)―晴らせぬ鬱憤を酒で紛らわせる
徳川家達(静岡藩)―幼くして徳川宗家を継いだ十六代目当主)
第3章 育ちの良さを生かして明治に活躍(蜂須賀茂韶(徳島藩)―祖先の不名誉な噂を払拭するために外交官や官僚として活躍
浅野長勲(広島藩)―三人の天皇と心を通わせた最後の大名
岡部長職(岸和田藩)―長年の欧米生活で身についたマイホーム・パパ
上杉茂憲(米沢藩)―沖縄の近代化に尽くそうとした名門藩主
亀井茲監(津和野藩)―国づくりは教育にありを実践)
巻末付録 江戸三百藩「最後の藩主総覧」