ピンキーとキラーズ「恋の季節」207万枚大ヒットのボーカル。1968年
1日を元気にする方法、お腹から「おはようございます」と声を出す。
誕生日一緒。11月1日。大村崑、いかりや長介。
15歳でソロ歌手デビュー、しかしヒットしなかった。
昭和の歌謡界の裏話。
最近 白内障の手術した。近眼だったのが裸眼で見えるようになった。鏡を見たら恐怖になる時がある。
1曲目はザピーナッツ「私と私」。
小学生の時、歌手って素敵だなと思った。双子に憧れていた。
隠れた名曲。父が素人バンドマスター。母がボーカルだった。素人のど自慢に出ると優勝。母はスカウトもあったが、プロになるのは祖父母は反対だった。プロはそんな甘いものではない。素人で歌っているのが良いと。だから、私がプロになって一番喜んでいるのは母。
歌手になる機会は、父は司会業をしていた。いしだあゆみさんがイベントに来ていた。遊びに行っていたら、いしだあゆみさん(17歳)に可愛がってくれた。あゆみさんは、いずみたくさんのお弟子さんだった。あゆみさんのマネージャーが声を掛けてくれた。私は夢見る夢子ちゃんで東京に行った。山本リンダの困っちゃうなが流行っていたので、その路線で行こうとしたがまったく売れなかった。デカベビーと岩谷時子さんに言われていた。それで実家に黙って戻ったら、母親に一度くらいの失敗で何をしてるんだと言われて翌日帰った。いずみたくさんは心配していなかった。どうしたらよいか? 周りに男をはべらかした方が良いと。
和田アキ子さんとは50年来の付き合い。私の方が年下だが芸能界では先輩。歌や音楽を語れる仲間がいない。時々長い留守電が入っている。和田アキ子さんのコンサートに行かないと、「何で来ないのよ」と連絡が入る。
「第10回レコード大賞の新人賞」1968年。
ダービーハッとパンタロン。いずみたくさんと奥さんの発想だった。
「恋の季節」の2018年バージョンを今のリズムでやっている。
篠ひろ子さんもいずみたくさんの事務所にいた。ピンキーは篠ひろ子さんだった場合もあった。
取材が多く、寝る時間もなかった。寝る時間は1時間。医者と看護師さんが付き添っていた。点滴も受けていた。当時生意気なことを言っていた。「私がいないとあなたたち仕事がないんだから」と。20歳で解散して、周りがサポートしてくれていたのだと言うことを実感した。地方に行くと、そのバンドが希望する音がでないと生意気に言って、トラブル起すこともあった。
今はライブやってて最高。母は91歳。89歳まで料理もしていた。母を介護している。
母をマンションに時々預かることがあるが、「雨戸閉めなきゃ」と。「ここはマンションだから雨戸は無いの」。座っているとまたそれを言い出す(サワコ)。
母の世話をして一人になるとお酒を飲むのが楽しみ。
西城秀樹さんとは一緒に行動することもあったが、やはり楽屋では疲れていた。最後までスターだった。スターに立つと西城秀樹になりきっていたい。
健康オタクで健康チェックは定期的行っている。
2曲目は歌手としてあこがれる、ベット・ミドラー「WIND BENEATH MY WINGS」。レパートリーで歌っている。100歳まで、90歳くらいまでは確実にその声を出せるドクターは言ってくれている。後35年後に来てください(サワコ)。
感想;
歌が上手いだけではなく、どのように売り出すかは大きいようです。
夢を持ってチャレンジすることがやはり必要なのでしょう。
今あることが多きの人のおかげで出来ている。
それを失って気付くようです。失う前に気付けるようになると鯖らしいですね。
1日を元気にする方法、お腹から「おはようございます」と声を出す。
誕生日一緒。11月1日。大村崑、いかりや長介。
15歳でソロ歌手デビュー、しかしヒットしなかった。
昭和の歌謡界の裏話。
最近 白内障の手術した。近眼だったのが裸眼で見えるようになった。鏡を見たら恐怖になる時がある。
1曲目はザピーナッツ「私と私」。
小学生の時、歌手って素敵だなと思った。双子に憧れていた。
隠れた名曲。父が素人バンドマスター。母がボーカルだった。素人のど自慢に出ると優勝。母はスカウトもあったが、プロになるのは祖父母は反対だった。プロはそんな甘いものではない。素人で歌っているのが良いと。だから、私がプロになって一番喜んでいるのは母。
歌手になる機会は、父は司会業をしていた。いしだあゆみさんがイベントに来ていた。遊びに行っていたら、いしだあゆみさん(17歳)に可愛がってくれた。あゆみさんは、いずみたくさんのお弟子さんだった。あゆみさんのマネージャーが声を掛けてくれた。私は夢見る夢子ちゃんで東京に行った。山本リンダの困っちゃうなが流行っていたので、その路線で行こうとしたがまったく売れなかった。デカベビーと岩谷時子さんに言われていた。それで実家に黙って戻ったら、母親に一度くらいの失敗で何をしてるんだと言われて翌日帰った。いずみたくさんは心配していなかった。どうしたらよいか? 周りに男をはべらかした方が良いと。
和田アキ子さんとは50年来の付き合い。私の方が年下だが芸能界では先輩。歌や音楽を語れる仲間がいない。時々長い留守電が入っている。和田アキ子さんのコンサートに行かないと、「何で来ないのよ」と連絡が入る。
「第10回レコード大賞の新人賞」1968年。
ダービーハッとパンタロン。いずみたくさんと奥さんの発想だった。
「恋の季節」の2018年バージョンを今のリズムでやっている。
篠ひろ子さんもいずみたくさんの事務所にいた。ピンキーは篠ひろ子さんだった場合もあった。
取材が多く、寝る時間もなかった。寝る時間は1時間。医者と看護師さんが付き添っていた。点滴も受けていた。当時生意気なことを言っていた。「私がいないとあなたたち仕事がないんだから」と。20歳で解散して、周りがサポートしてくれていたのだと言うことを実感した。地方に行くと、そのバンドが希望する音がでないと生意気に言って、トラブル起すこともあった。
今はライブやってて最高。母は91歳。89歳まで料理もしていた。母を介護している。
母をマンションに時々預かることがあるが、「雨戸閉めなきゃ」と。「ここはマンションだから雨戸は無いの」。座っているとまたそれを言い出す(サワコ)。
母の世話をして一人になるとお酒を飲むのが楽しみ。
西城秀樹さんとは一緒に行動することもあったが、やはり楽屋では疲れていた。最後までスターだった。スターに立つと西城秀樹になりきっていたい。
健康オタクで健康チェックは定期的行っている。
2曲目は歌手としてあこがれる、ベット・ミドラー「WIND BENEATH MY WINGS」。レパートリーで歌っている。100歳まで、90歳くらいまでは確実にその声を出せるドクターは言ってくれている。後35年後に来てください(サワコ)。
感想;
歌が上手いだけではなく、どのように売り出すかは大きいようです。
夢を持ってチャレンジすることがやはり必要なのでしょう。
今あることが多きの人のおかげで出来ている。
それを失って気付くようです。失う前に気付けるようになると鯖らしいですね。