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吉村知事に「現場を見に来て」…府下の現役教師が注文…新型コロナ下の混乱 "現場の声を聴かない知事”

2020-06-30 00:14:44 | 新型コロナウイルス
https://news.yahoo.co.jp/articles/2ec3a20f969fe8c8c79ebe58e36c3edf8ea9d2e8 デイリー6/28(日)

 新型コロナウイルス感染拡大にともない一斉休校となっていた全国の小中高校が緊急事態宣言の解除に伴って順次授業再開となり、約1カ月が過ぎた。3カ月も授業をできなかった教育現場にどのような変化があるのか。大阪府下の中学校に勤務する60代の女性教諭と、同じく府下の小学校に勤務する50代の男性教諭に尋ねた。吉村洋文大阪府知事の発言によって現場が混乱することもあり、知事に「現場を見に来て」などと強く要望した。

 ◇◇ ◇◇ ◇◇

 ひところは吉村知事を関西の民放で見ない日はなかった。安倍晋三首相が会見で用意された原稿を棒読みしている姿とは異なり、自分の言葉で決然と語る姿に強いリーダーシップを感じる人もいた。

 しかし、受け取る立場によってそれは異なる。

 男性教諭は「吉村さんがいろいろ発言されます。教育についても。その結果、われわれ現場に降ってわいたような混乱がやってくるんで大変なんです。トップダウンによるスピード感はあるのでしょうが弊害は皆無ではない」と話す。吉村知事のテレビでの発言を校長に尋ねても「分からない」との返事が返ってくることもある。その日の夜遅くにメールが回ってきてようやく合点がいくことも珍しくない。

 例えば吉村知事は4月中旬、学校の休校が長期に及んでいることから自宅で過ごす子どもたちを支援しようと、図書カード2000円分を配布すると表明した。

 男性教諭は同月下旬、吉村知事が民放テレビに出演してこの件について話しているのを見て「いったいどうやって生徒に配るのだろうか」と首をひねった。休校で生徒は登校していないからだ。同僚も知らない、校長に聞いても明確な答えはなかった。

 しばらくして東京の業者から府内の各学校に生徒の人数分の図書カードが直接送られてきた。教諭は「府教委経由ではなく直接でした。学校に送られてきたということは私たちに配れということ。郵送でもいいというが切手代は出ない、学校で工面してくれと。そんな予算はありません。となると私たちが生徒の家に持って行くしかない」。女性教諭も「金券だからポストに投函で済ますことはできない」。教諭によると、当初の配布期限は5月6日だった。ゴールデンウィークを「無理矢理に」休日出勤させられそうになった。交渉して後に期限は無くなった。

 当時、府教委から感染拡大防止のために「生徒や親と会ってはいけない」と指示が出ていた。それが一転「安否確認のために」と変わった。教諭は「安否確認なら電話でもできる」といぶかった。

 緊急事態宣言下、教諭たちが2000円の図書カードを配るために出歩き、生徒や保護者と会う。その過程でウイルスに感染するリスクに怯えなければならなかった。保護者も同様で、教師が自宅に来ることに不快感をあらわにするケースもあったという。

 吉村知事やその周辺はなぜ生徒への郵送方法やそれに含まれる代金も含めて立案しなかったのか疑問が残った。男性教諭は「本当に無計画だったとしか言いようがない」と振り返った。「吉村知事の人気取りのパフォーマンスだ」との批判もあったという。

 新型コロナウイルスの影響で、授業再開後の教育現場の労働環境はより厳しくなった。

 一日の授業が終わると教室内をアルコールで消毒する。作業するのは教諭だ。机、いす、子供たちが触れたところ、触れそうなところをすべて除菌しなければならない。しかし、業務はまだまだ残っている。明日の授業の準備、学校として取り組んでいる「研究」のための課題、修学旅行はいったいどうなるのか、やるならやるで下見の必要がある、保護者への対応もしなければならない。

 あれこれ考えていると自然と消毒作業がおろそかになる。女性教諭は「これで子供たちの健康を守ることができるのか。専門業者に依頼すべきではないのか」との考えがよぎったことを明かした。

 女性教諭は「かつてはもう少し現場に余裕があった」と振り返る。余裕がなくなった原因のひとつとして2007年から始まった「全国学力テスト」、さらに15年から始まった大阪独自の統一学力調査「チャレンジテスト」をあげた。

 大阪市のホームページには「学力向上において成果を挙げた教員に報いる方策」とし、「課題整理の上、教育委員会において人事評価・給与等への反映方策を検討」とあり、これらテストの結果も踏まえて給与に反映されることが明記されている。

 橋下徹氏が知事に就任したのが2008年。以後、維新が府政、市政のトップという状況が続く。教育現場における変化として教諭は「テストの点数を巡って学校同士を競争させている」「政治が管理、統制を強めて教育支配、教職員統制を強めている」と疑問視した。

 吉村知事は維新の知事として3人目。教諭は、決断から実行までのスピードを認めつつもトップダウンの姿勢に不安を感じる教員が増えてきていると指摘。「同じトップダウンでやるなら教師の数を増やして受け持つ子供の数を減らしてほしい。40人から35人、いや、39人にするだけで子供への目配りが全く違う。教室の数そのものにも余裕がない現状では、第2波が来て子供たちを分けるにも物理的な余裕がない。現在、すでに密な状況になっている。そういう意味では知事に現場を見に来て欲しい」と訴えた。

感想
人気のあるそうですが、パーフォーマンスが強いようです。
計画性がないです。
先生が生徒に逢ってはいけないとしていたのを、それだと配れないので逢ってよいと変更。
逢うことが感染対策と逆行すると言われ、期限を延期。
もっと話し合って計画性があるとよいのですが。
医療機関に雨合羽配布もほとんど意味がありませんでした。

https://twitter.com/inoueshin0/status/1246774520163131394
大阪府は医療費を削減していたので、医療環境が悪化していました。

橋下徹氏が「大阪府知事時代…改革を断行し、有事の今、現場を疲弊させている」と発言。維新政治が始まる前の2007年を起点に見ていくと病床の削減が進み大阪府の感染症病床数は現在全国ワースト2位。保健師数も全国ワースト2位でコロナ対応にあたる現場を疲弊させています。

「安倍政治 100のファクトチェック」南彰&望月衣塑子共著 ”言葉は誰の口から出るかで信頼性が左右される”

2020-06-29 01:36:44 | 社会
ファクトチェックとは、首相、閣僚、与野党議員、官僚らが国会などで行った発言について、各種資料から事実関係を確認し、正しいかどうかを評価するもの。100の項目別に整理し、〇△×で判定。
過去の歴史からひもとくまでもなく、時の為政者・権力者がその発言に虚偽を混ぜるのには理由と動機があります。
第一章 森友・加計画学園問題
           〇   △   ×
安倍晋三首相     0   3   4
佐川宣寿理財局長   0   1   5
麻生太郎財務相    0   0   3
稲田朋美防衛相    0   1   3

第二章 アベノミクス
安倍晋三首相     1   4   3

第三章 安全保障法制
安倍晋三首相     2   6   3

第四章 憲法・人権・民主主義
安倍晋三首相     0   5   6

第五章 官房長官会見
菅義偉官房長官    0   2   6

安倍首相
「私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたい
△決裁文書などに首相夫人に関する記載

「これは谷さんでありますが、自発的にやったものであり」
×交渉記録に昭恵氏からの話で谷氏が財務省に照会をかけた記載

「私の名前ではなく開成小学校で申請がされていたといのが事実であろうとこれ以外のものはない」
×「安倍晋三記念小学校」などの申請もあった。

感想
政治家や官僚が発言する言葉の中には多くの間違いがあるようです。
あるいは意図的に間違ったことを発言しているのでしょうか?

人は言葉を選びますが、言葉も人を選んでいます。
その言葉が誰の口からでているかを確認することがキーになりそうです。
言葉は言霊ですから、その人の真実な姿が出るものだと思います。
虚偽が多いということは、その人には真実がない人生を送っているのだと思います。

出馬賛成は2割だけ…都庁職員が小池百合子に「再選NO!」 ”都職員の評判が悪い!”

2020-06-28 16:25:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/86326b97146045e47147fd24223c5fa9e335a3db FLASH 6/28(日)
「正直言って、ここまで点数が低いとは思いませんでした。及第点とはいえないにしても、私の実感としては、50点は超えるかと……。小池都知事がいかに都職員たちから信頼を得ていないか、ということが明らかになりました」

 そう語るのは、都職員や区市町村職員向けの専門紙『都政新報』の後藤貴智編集長だ。

 6月18日に告示された東京都知事選で、再選が有力視されている小池百合子都知事(67)。今回の都知事選では、小池都知事のほかに山本太郎氏らが出馬するなど、史上最多の22人が立候補した。

 だが、小池氏のお膝元の東京都の職員からは、手厳しい声が上がっている。2020年1月に『都政新報』が実施した「小池都政」に関するアンケートには、223人の都職員が回答。都知事1期めについて評価を求めたところ、平均46.4点という結果が出たのだ。

「石原慎太郎氏のときは、1期めで71.1点と高得点でした。舛添要一氏は63.6点。石原氏、舛添氏を超えることはできませんでした」(後藤氏)

 それだけではない。同アンケートで「小池氏の再選出馬に賛成」と回答したのは、21.5%にすぎなかった。一方、「再選出馬に反対」は、42.6%と倍近い。

《再選されても不幸が繰り返されるだけ。五輪終了後の景気後退で東京は取り返しのつかないところまで追い込まれるかも》

 これは、アンケート内の自由回答欄に寄せられた、本庁課長代理級職員(40代)の意見。これだけなら個人の愚痴に聞こえるかもしれないが、アンケートには、大量の “小池批判” が寄せられている。

 東京五輪に関しても、都職員は知事の “パフォーマンス” に冷ややかな反応だ。

《注目を浴びる道具としか考えておらず、「アスリートファースト」は口先だけと透けて見える》(40代・本庁課長級)

 ある50代の出先部長級職員は、目立ちたがりな知事を見て、こう綴る。《知事のために仕事をしようとなかなか考えることができない》

 注目を集める手法にも、職員たちは飽き飽きしている。

《自分をよく見せることしか考えていない。特定の会派を悪玉にするやり方は、ワイドショー的には盛り上がるが、本当に都民のためになっているか疑問》(50代・本庁部長級)

 そして、60代の外郭団体職員は、《敵を作ることで生きてきたため、IOCも組織委も味方にできなかった》と嘆く。

 ここまで紹介したのは、あくまで2020年1月に発表された時点での意見。そこで本誌が、直近の小池都政について都職員たちに取材をすると、手腕を発揮したかのように見えた「コロナウイルス対策」にも、都庁内では疑問符がつけられていることがわかった。

「感染者が増加してもアラートを止める。『東京アラート』って、なんの意味があったんでしょう。現場は、『わけがわからない』と言っています。だれも、感染拡大が落ち着いたとは見ていないですから。

 都はもともと防災対策がしっかりしていて、組織力があるんです。コロナ対策は、小池さんではなく、もし舛添さんが知事でもできたと思いますよ」

 そう話すのは、ある40代の出先課長級職員。別の50代の都職員は、こう語った。

小池さんより石原さんのほうが、よほどやりやすかったです。職員の意見をちゃんと聞いてくれましたから。 しかも都議会では、都民ファーストの会が幅を利かせて困っています。ろくに勉強していない素人集団。ほかに実務ができる都知事候補者がいるなら、小池さんはお辞めになってほしい」

 宮地美陽子特別秘書ら、「側近の言うことしか聞かない」という声もアンケートで多かった。だが、後藤氏は職員たちの複雑な本音を明かした。

「『極端な人が知事になるよりは、まだ小池さんのほうがいい』と思っている職員は多いと思います。本当は行政の実務に長けていて、パフォーマンスより地に足がついた人を求めていますが、そんな人物は……」

 小池都知事にNOを突きつけたいが、取って代わる候補者がいないーー。最後に、前出のアンケートにあった40代の本庁課長代理級職員の、こんな虚しい意見を紹介しよう。

《前任、前々任といずれも任期途中で職を投げ出したが、今回は1期を全うできそうなので、それだけでもありがたい》(週刊FLASH 2020年7月7日号)

感想
その人を知るには身内に尋ねるのが一番と言いますが、身内からの評判は低いですね。
確かに、東京アラートは何だったのでしょう?

「検査を積極的にしているから感染者が増えた」発言がありました。
ということは、これまで積極的に検査をしてこなかったということを暗に認めている発言になります。

陽性率が重要なファクターなのに、それを合わせて発表されていません。
どうも論理的な展開が苦手なようです。

カイロ大学卒業も疑惑だらけでしたが、急遽どこかに手を回されたのか、紹介されました。
本当に卒業されたなら、疑惑が生じた時点で本物を見せて疑惑解消できたのですが、それが出来なかったのでしょう。



「天、共に在り アフガニスタン三十年の闘い」中村 哲著(2013年発行) ”農村の再生が平和の礎”

2020-06-28 01:14:08 | 本の紹介
・現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです。

・私とアフガニスタンを結んだのは、昆虫と山である。今から三十五年前の1978年6月、福岡県の山岳会「福岡登高会」のヒンズークッシュ遠征隊に参加したのがきっかけであった。・・・。
このヒンズークッシュ山脈の北麓にパミール高原があり、モンシロチョウの原産地だと言われている、・・・。私は十歳の頃、昆虫のとりこになって現在に至るが、ヒンズークッシュは一度訪れたい場所のひとつであった。何も初めから、「国際医療協力」などに興味があったわけではない。

・地域の自治性がいかに強くても、部族、民族が入り乱れて争っていても、共通した不文律が「アフガニスタンという天下」にまとまりを与えている。・・・。この不文律の有名なものが「パシュトヌワレイ(パシュトゥンの掟)」で、多少の地域で民族差はあるものの、アフガン農村社会を律する共通の掟だといえる。・・・。代表的なものが、メルマスティア(客人歓待)とハダル(復讐法)である。これは、外国人の想像を超える強固な農村地帯の掟である。

・私は、小学校一年生までを若松に住み、昭和27年、福岡市に近い古賀町(現古賀市)に引っ越した。理由は分からななかったが、父が事業に失敗したり、連帯保証人を気軽に引き受けたりで借金を重ね、食い詰めたあげく、最後の持ち家に移ったものらしい。

・別の出会いがあって妥協点を備えてくれた。それがキリスト教、いや正確には内村鑑三である。ミッションスクールの西南学院中学部に通っていた私は、いきおいキリスト教と向き合わされた。・・・。『後世への最大遺物』(内村鑑三)のインパクトは相当大きく、過去の世代の多感な青年たちと同様、私もまた自分の将来を「日本のために捧げる」という、いくぶん古風な使命感が同居するようになった。当時、日本全国で「医療過疎」が大きな社会問題になって久しかった。そこで、医学部進学を決心した。これには父も大賛成して、大学進学の許可を与えてくれたのである。

・マタイ伝の「山上の垂訓」のくだりを暗記するほど読んだ。人と自然との関係を考えるとき、その鮮やかな印象は今も変わらない。
野の花を見よ。(略)栄華を極めたソロモンも、その一輪の装いに如かざりき。
「汝らの恵みは備えられて在り、暖衣飽食を求めず、ただ道を求めよ。天は汝らと共におわします」。そう読めたのだ。

・「天、共に在り」を、ヘブライ語で「インマヌエル」という・これが聖書の神髄である。枝葉を落とせば、総てがここに集約し、地下茎のようにあらゆるものと連続する。

・生きる意味
1997年、私は九州大学医学部卒業と同時に、佐賀県にある国立備前療養所に入った。精神神経科を選んだのは、当時、人間の精神現象に興味があったこと、精神科なら比較的ゆとりができて、昆虫観察や山歩きもできるだろうという程度の安易な気持ちがあったのは否めない。それに、自分が傾倒していた思想家に、内村鑑三、宮沢賢治、西山幾太郎、カール・バルトらと並んで、精神科医のビクトール・フランクルがいたこともあった。

・ある時、受け持ちの統合失調症の患者が自殺しようとして止めたとき、患者から尋ねられた。
「生きることの意味感がないのです。先生はなぜ生きているのですか」という。だが、改めて問われると、自分もよく分からない。「仕事や昆虫の興味で」というのもまともな答えにならないし、「与えられた生命の意義」を説くほど宗教的でもない。結局、その時々の状況の中で、義理や人情に流されながら生きているだけで、確たる信念を貫いているわけではない。

・哲学者で精神科医のヤスパーは明確に述べている。
「一人で成り立つ自分はない。自分を見つめるだけの人間は滅ぶ。他者との関係において自分が成り立っている」

・「意味は人間に隠されている。その隠された意味を人間が無理に意識しようとすれば、それは人為の造花になって虚構から免れない。不安は意識されることによって現実化する。悩む者に必要なのは、因果関係の分析で意識化することではなく、意識を無意識の豊かな世界に戻すことである」と、フランクルは近代的な精神分の罠を警告している。そしてこれらの発見は、当時の私としては何かを納得させるものがあった。

・精神科医フランクル
「良心が意味を感ずる器官だ」と言い、神学者カール・ハルトは神と人の厳然たる序列と一体性、万人に通ずる恩寵の普遍性を説き、人間中心の近代の自由神学を否定している。「論語」は最も明快で、「これを知るを知るとなし、知らざるを知らずとなせ」、「温故知新」だと、この消息を伝えている。

・1983年9月、私の赴任決定をきっかけに発足したのがペシャワール会である。公的な関係あkら言えば、現地PMS(平和医療団・日本)の集金団体ということになるが、それ以上のものがある。発足当時の会員は、同窓生、山の仲間、同じ教会の人々が中心だったが、徐々に現地活動に共感する人々に変わっていった。

・ハンセン病の治療は、1981年12月、私がペシャワール・ミッション病院に下見にいった折、あるドイツ人医師に出会ったのが機縁である。名をルース・ファウという女医で、カトリックのシスター、20年間をパキスタンのハンセン病治療に捧げてきた。カラチの「マリー・アデレイド・レプロシー・センター」を根拠地に、パキスタン中のハンセン病を根絶する雄大な計画を立案中であった。・・・。しかし、パキスタン全土で患者約二万名、ハンセン病専門医は三名のみという状態で、ひとり悪戦苦闘していた。

・多いときは70名を超え、私と看護士2名だけでは、とえても体力が追いつかなかった。このとき、診療助手の主力が比較的健康な患者たち自身で、自然に役割が出来上がっていった。彼らは、自らのハンセン病患者でありながら、病友たちの世話を喜んで行った。遠隔地から来て、まるで収容されたように病棟で無気力に過ごしていた者も、役割を持たされると、昼夜を問わず働いた。

・「足底潰瘍」で、最も厄介なものであった。放置すると、皮膚ガンや骨髄塩をおこして、しばしば切断手術を行わなければならない。患者の履物を見ると、ボロボロで釘を打って修繕したものもあり、これでは傷ができない方が不思議であった。予防に勝るものはない。現地のサンダルに似せ、靴底に特殊なスポンジを敷き、傷を起こしやすい部位に不自然に体重がかからないように工夫を凝らした。これが大当たりで、大量に病棟のサンダルが出回り始めてから、足の切断手術が激減した。

・私が赴任した1984年、国境の町・ペシャワールの直ぐ向こうでは、凄惨な内戦が展開していた。アフガン戦争である。

・この当時診療所建設に共鳴して協力した職員たちが、その後も強力な味方となった。時には生死を分ける場面でさえ行動を共にして、困難を切り抜けることができたのは、ひとえに誠実な人間の絆であった。

・2000年春、中央アジア全体が未曽有の旱魃にさらされた。5月になってWHOが注意を喚起した内容は、鬼気迫るものがあった。アフガニスタンの被害が最も激烈で、人口の半分以上、約1,200万人が被災、400万人が飢餓線上、100万人が餓死線上にあり、国連機関が警鐘を鳴らした。

・2007年7月、ダラエヌール診療所で悲鳴を上げていたアフガン人医師の建言を容れ、「もう病気治療どころでない」と、診療所自ら率先して清潔な飲料水の獲得に乗り出した。

・日本人青年たちは地元の若い職員数十名を率いて、作業地をあっという間に拡大した。2000年10月までに274か所、翌2001年9月までには660か所となり、その9割以上で水を出した。この活動は、後に述べる米国の「アフガン報復爆撃」中も休みなく続けられ、彼らが去った後も引き継がれた。2004年には1,000か所を超え、最終的には2006年までに約1,600か所に達し、数十か村の人々が離村を避け得るという大きな仕事に発展していった。

・PMSとしては、元来のアフガン農村の回復こそ健康と平和の基礎だと唄江え、砂漠化した田畑を回復する努力が行われた。ダラエヌール渓谷を中心に、灌漑用水を得ることが大きな目標となった。

・2001年10月13日、・・・国会の衆議院特別委員会で、話をすることが求めれた。・・・
「よって自衛隊派遣は有害無益、飢餓状態の解消ことが最大の問題であります」
この発言で議場騒然となった。
「対日感情は一挙に悪化するだろう。これは過去先輩たちが血を流して得た(平和主義という)教訓を壊つものである」
「最後に、党派を問わず、一人の父親、母親として皆さんに訴える。くりかえすが、大旱魃と飢餓対策こそが緊急課題である」と、食糧支援計画をアピールして、締めくくった。

・日本でまことしやかに報道された「ピンポイント攻撃(テロリストの場所だけを攻撃して市民に被害を与えない)」の実態は、無差別爆撃であった。

・世界が捏造と錯覚で成り立っていることに愕然とせざるを得なかった。・・・。両親の屍に取りすがって泣いていた子供たちの姿が心に焼きついて離れない。彼らが長じたとき・・・不憫な思いと共に、うそ寒いものを感ぜざるを得なかった。

・PMS奥地診療所の閉鎖
まず物価高騰である。ものがないところに外国諸団体が気前よく大金を落とすから、カネがだぶつく。インフレが甚だしいものがあった。・・・。次に人材の流出である。特に医師層や技術者は他のHGOに高給で引き抜かれ、診療所の維持が危機に瀕した。多くはカブールで5倍、10倍の給与を保証され、我々の許を去った。

・拡大する「対テロ戦争」
治安は悪化の一途をたどり、米軍の「アルカイダ掃討作戦」は、いたずらに反米感情を煽るばかりで実が上がらなかった。

・「農村の回復なくしてアフガニスタンの再生なし」という確信を深めた私は、空爆下の食糧配給の訴えに寄せられた「いのちの集金」約6億円を投じて、農業復興に全力をつくす方針を固めた。計画の骨子は以下の通りである。
1) 試験農場 乾燥に強い作付の研究
2) 飲料水事業 現在の事業を継続、総数2000か所を目指す
3) 灌漑用水事業
① 枯れ川になった井堰・溜池の建設
② 大河川からの取水

・「ジャリハバから約13kmの用水路建設を数年で完成、砂漠化したシェイワ郡3000町歩を回復、用水路は『アーベ・マルワリード(真珠の水)』と名付け、毎秒6トン(1日50万トン)の水を旱魃地に注ぐ」と公言した。もう後には引けなかった。

・しかし、宣言にふさわしい力量があったとは言えない。・・・。このとき、笑わずに協力してくれたのが、河川工学の坂本教授、小林技師である。

・温故知新-日本の農業土木技術とアフガニスタン
そこで現地はもちろん、帰国して暇さえあれば水利施設をみてあるいた。

・これまで、県境がどうして決められたか考えたことがなかったが、やっとわかった。人々の暮らしの単位と言える村落は、当然、異なる水系で隔てられているからだ。

・アフガンと日本、河川を見る限り、類似点もある。
1) 山間部の急流河川が多いこと
2) 冬季と夏季の水位差が大きいこと
3) 大きな平野が少なく、山に挟まれた盆地と小平野で農業が営まれること

・斜め堰-先人たちの知恵と力作
福岡県朝倉市に山田堰という取水口がある。
筑紫川は「日本三大暴れ川」の一つで、坂東太郎(利根川)、四国三郎(吉野川)と並んで、「筑紫次郎」として有名だ。

・用水路
1) 割れないこと
2) 自在に屈伸して設置できること
3) 壊れても、籠と石材さえあれば誰でも補修できること
4) 植生がなじみ、他の生物が住みやすいこと
5) コストが高くないこと

・その後の多くの困難と工夫は割愛しよう。まるで精神と気力だけが生きていた7年間であった。数百年ぶりの大洪水、集中豪雨などの天才だけでなく、米軍による誤射事件、地方軍閥の妨害、反米暴動、技師たちの脱走、裏切り、盗難、職員の汚職と不正、内部対立、対岸住民との角逐、用地接収をめぐる地主との対立、人災をあげれば枚挙に暇がない。個人的にもこの間、多くの肉親と友人を失い、家族を置き去りにし、あちこちに不義理をして、気がめげることがないでもなかった。絶望的と思えた状況で水路と心中する心境になったこともある。正直、戦場で白兵戦を演ずる方が楽であったろう。事業完遂のためなら、誇りも捨てた。綱渡りのようなこともやりながら、難局を切り抜けた。巨額をはたいて多くの人々の希望をかきたて動かし、無数の飢餓難民が水を渇望していることを思うと、泣き言は言っておれなかったのである。

・2007年2月、用水路は第一期工事を終えつつあり、PMSは住民たちの懇請を入れて、モスクとマドラサの建設に踏み切った。これには全国組織の宗教委員会も加わり、大きな出来事として報ぜられた。地鎮祭の折、人々が叫んだ声が印象的である。
「解放が、これで俺たちは自由になったんだ!」
伝統文化そのものを否定されてきた人々にとり、「水」にも劣らぬ拠り所を回復したと言える。

・モスクでは1,200名が一堂に礼拝でき、600名の学童が学んでいる。
「天の時、地の利、人の和」という。

・それほど「ガンベリ砂漠灌漑」は地元民にとって、奇跡に近い出来事だとおもわれていたのである。いつしか職員たちの間で、「ガンベリへ、ガンベリへ」が合言葉になっていった。次第にあっかする政情の中で、この仕事が一縷の希望となった。PMS職員は住民と一体になり、必死で働いた。

・2003年以来の悲願達成を目前に、誰も泣き言を述べなかった。その通り、用水路の成否には、彼らの生存が掛かっていたからだ。作業員の大半が近隣農民である。成功を信じて多くの者が家族を呼び戻していた。用水路が失敗すれば、再び過酷な難民生活が控えている。まさに生死の境で生き延びようとする健全な意欲こそが、気力の源であった。

・PMSの農場開拓は、こうして不動の基礎を得た。濁流の取水堰から約25km、ガンベリ平野は平和である。死の谷を恵みの谷に転じ、豊かな収穫を約束する。

・ダビデの詩は、数千年の時を超え、朽ちない事実を伝えている。
主はわが牧者なり われ乏しきことあらじ。
主はわれをみどりの野にふさせ、憩いの汀に伴いたもう。
たといわれ死の影の谷をあゆむとも、禍を恐れじ。
汝、我と共にいませばなり。
かならず恵みと憐れみと我にぞいきたらん
https://www.wordproject.org/bibles/jp/19/23.htm詩篇第23篇より抜粋)

・宮沢賢治『注文の多い料理店』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/43754_17659.html
注文の多い料理店 宮沢賢治


・アフガニスタンの実体験において、確信できることがある。武力によってこの身が守られたことはなかった。防備は必ずしも武器によらない。1992年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発泡しない方が勇気の要ることを知っている。

・「天、共に在り」
科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。その声は今小さくとも、やがて現在が裁かれ、大きな潮流とならざると得ないだろう。
これが、30年間の現地活動を通して得た平凡な結論とメッセージである。

感想
まさに人生からの問いかけに「YES]と言って取り組まれたのだと思います。
現地の人と一緒に、現地の人の苦しみを解決するために取り組まれました。
多くの人が中村哲さんに共感して支えて来られたのだと思います。

昆虫好き、クリスチャンなど様々な出会いが、アフガニスタンでの活動に全てがつながっているように思いました。

台湾南部の荒れ地にに灌漑用水路を引いた、八田 與一さんのことを今でも感謝し続けている台湾の人々がいらっしゃいます。
https://www.nippon.com/ja/column/g00557/
不毛の大地を緑野に変えた八田與一

中村哲さんはまさにアフガニスタンの困窮している人々のために尽くされた方でした。

医療支援、ハンセン病治療、井戸掘り、灌漑用用水路を命のリスク(戦争、爆撃、襲撃など)のある中、その時その時の問いかけ(要望)に応えられました。

中村哲さんは2019年12月4日(73歳)に殺害されました。
ご冥福をお祈りいたします。
中村哲さんはアフガンへの貢献だけでなく、多くの人の心にも種蒔きをされたと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/中村哲_(医師)
中村哲さん(ウイキペディア)


ロゴセラピーでは、人生の意味を自分から見つけると考えるのではなく、人生の方から人生の意味を尋ねてくると考えます。
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阿川佐和子さん「サワコの朝 山中伸弥さん」 "新型コロナウイルスについて周りの反対を押して発言した理由”

2020-06-27 10:48:58 | 生き方/考え方
京都からリモート。半分は在宅。毎月アメリカのサンフランシスコに行っていた。現地に行くと20分で話が終わるが、リモートだと1時間にもなる。
感染症の専門家ではないが、伝えたいことがあると思われたのは?
このウイルスはたいしたことないでしょう。と思われたり、そう思っている専門家もいらっしゃる。このウイルスは重症化するとあっという間に亡くなる。その怖さを伝えたい。それとこれは短期で終わらない。長期になる。それを伝えたい。
一斉休校や自粛で安倍首相がここ1~2週が山場と言われた。それで国民がその期間我慢すればよいと勘違いするのではないかと思った。
それでノーベル賞受賞の肩書を生かそうと思った。しかし、反対の声もあった。いろいろ反発されることもある。個人からのご寄付をいただいている。でもやる必要があると思った。個人の意見として発言した。

大変なウイルスですが、5年後には終わっています。まあ10年後と言っておきましょう。
5年で、このウイルスと共存することが可能になっている。ワクチンと治療薬が5年すれば出てくる。感染してもインフルエンザと同じ怖さだと。インフルエンザがいくら流行っても甲子園の高校野球やオリンピックもできる。

37.5℃で4日してからについて、100点とは言えないけど、上手くできたのではないか。死亡者も少ないし。日本は国民全体で感染拡大を防いだ。今は1万人に1人レベル。早く見つけて隔離と治療を行う。感染すると2週間が勝負。発症する前が人に移す。なので、接触確認アプリを活用するのがよい。ぜひ多くの人に入れて欲しい。多くの人が入れないと意味がない。何処に行ったかとなどはわからないから。

日本が感染者が少ないのは、ファクターXと呼んでいる。正直に言って分からないが、いくつもの原因が重なっている。
保健所が各地にあって公衆衛生が広がっている。
クラスターを徹底的にやった。保健所とか厚労省がやった。
そうなんですか?(サワコさん)
それと日本人はマスクをしていた。自分を守るというより、他の人移すのを防ぐ効果がある。しゃべるだけでも効果がある。ウイルスがある唾がマスクで防いでいる。
マスクはかなり意味がある。
「BCG説は?」(サワコさん)
それも関係しているかもしれません。
結論が出るまでどの程度かかるか?(サワコさん)
どれだけかかるかわかりません。遺伝子だと抵抗力のある人のiPS細胞を作ってそれを調べることができる。
このウイルスは付き合っていくしかない。
オリンピックはやりたい。市民マラソンとしてやっている。マラソンの大会もないのに、練習するのは私たちレベルでも大変。オリンピック選手は過酷な練習をしているのでそれはオリンピックがあるから。
通常のオリンピックは難しいのではないか。
観客は無観客か日本人と限られた国の人だけにするとか。選手も早く来て、PCR検査を受けるとか。

今後とんでもないウイルスが出てくる可能性は?(サワコさん)
やってくる可能性がある。その対策のためにはお金と人が必要になる。そのために勇気が必要になる。

心に響く曲はアレサ・フランクリンの「MY WAY」
カラオケでよく歌っている。村上春樹さんがDJやれている。好きで聞いている。村上春樹さんは「MY WAY」が嫌いだと。でもアレサ・フランクリンの「MY WAY」は好きだと。同じ曲でもこう変わるかと。古い曲がやり方で変わる。研究でも同じことがある。

近くを散歩したら、クローバーの4つ葉を20個くらい見付けた。「私はここにいるのよ」といっているように感じた。

感想
沈黙することもできたのですが、やはりきちんと伝えたいとの思いが強くなられたのでしょう。
ノーベル賞を受賞されているので発言されると影響力が大きいです。

サワコさんと山中伸弥さんの会話を聞いていると、サワコさんは新型コロナウイルス対策に疑問を、山中伸弥さんは一定の評価をとの違いがくっきりしていました。

山中伸弥さんは日本は死亡者数がすくないと言われていますが、肺炎で亡くなった人のPCR検査を全員行っていないので、新型コロナウイルスによる死亡者数をカウントしていない可能性が大です。
東京の4月の死亡者数の過去と比較して1,056人が多く亡くなっています。
インフルエンザは流行っていません。
ほとんどは新型コロナウイルスだと思われます。

また埼玉県では新型コロナウイルスに感染して亡くなったけど、死因を別の病気にしていた人が13人いたと報告されていました。

厚生労働省は統計データを不正に改竄していました。
今回の件は、改竄ではなく、新型コロナウイルスに感染して死亡した人をできるだけ少なくして、そしてよくやったとの評価を維持したいように思ってしまいます。

https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/04fd5a3519b8d8876a88a2fcce06e47b
大竹まこと ゴールデンラジオ ”山中伸弥教授の5つの提言の検査徹底が後で修正と森永卓郎氏”


https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/c47593f0c9647e2833c0822dfdb2af9a
特定警戒11都府県で「超過死亡」 緊急事態発令の4月


https://blog.goo.ne.jp/egaonoresipi/e/40ff73ae3f03b1e39ebf59969308b9fd
「コロナ死」定義、自治体に差…感染者でも別の死因判断で除外も ”埼玉県では感染者13人を別の死因として、新型コロナ感染者に含めず”