・会話する細菌
・細胞同士が会話する例を単細胞の細菌に観ることができる。多くの細菌は居心地が悪い環境だと周囲の仲間に化学物質(シグナル)をばらまいて警告する。その警報の化学物質がある濃度以上になると仲間は遺伝子をはたらかせ、細胞の形を変え、その環境からそそくさと退散する。逆にある種のの化学シグナルによっては細菌が群れをなして集まる。
・粘菌は栄養分が足りているときはひとつひとつがそれぞれ独立して「ひとり」でいる。ところが餌(栄養分)がなくなってくると、この粘菌アメーバの誰かが「全員集合!」というストレス信号を発信する。ほかの粘菌アメーバがこの信号を受けとると、たちどころに発信元に集まってきて共同体をつくる。そしてそれらが凝集してナメクジのような、多細胞生物となって日照りという環境を生きぬいていく! ついには胞子という鎧をかぶり、カラカラの乾燥状態に耐え、じっと雨を待つ。
・細胞たちのコミュニケーション手段
・ガス状分子
・接着分子
・サイトカイン
・ホルモン
・電気信号
・傷や感染巣へ急行する白血球
白血球はその所在場所によって皮膚や粘膜の下、そして各臓器に張り付く駐在型と、血管やリンパ管(これらを脈管という)を巡回する警ら型とがある。ケガしたり微生物が侵入してくると、それによって破壊された細胞や、微生物が発する信号に反応して、近くに居あわせた白血球(マクロファージと肥満細胞)がサイトカインを出す。この警報分子によって脈管中を警らしている白血球(好中球)が呼び寄せられてくる。そのために白血球はいったん血管の外へ出なければならない-この現象を「血管外遊出」という-。すなわち、白血球は血管内をよどみなく泳ぎまわりながら血管内面に掲げられる「徐行サイン」を目ざとく見つけ、ブレーキをかけスピードをじわじわ落とし、ついには血管の内面に停止し、血管の外へ出る準備をする。
・光合成のシアノバクテリアがはじめて酸素を発生させたのはいまから27億年前のことだ。当時、地球はほとんど海におおわれ、大気中の二酸化炭素濃度は現在の1万倍以上もあった。シアノバクテリアの体内で海水が太陽光のエネルギーにによって分解(酸化)され、電子と水素とが放出された(そのときに酸素が発生)。その電子はシアノバクテリアの電子伝達系を転がり、発生するエネルギーをつかって、海水の片割れの水素と大気中の二酸化炭素から炭素化合物がつくられるようになった。電子の供給源としてシアノバクテリアがたまたま水を利用したので、ついでに酸素が発生したまでのことだ。
・カラダは毎日、約180gの蛋白質をつくるが、食べ物から摂取する蛋白質量はせいぜい多くても70gくらいしかない。しかも尿や便から約70gが失われる。とすると、蛋白質を作るための材料はどこからくるのだろう。計算が合わない。結局、カラダは蛋白質を使いまわししているのだ。蛋白質を壊してアミノ酸にして、それを使って蛋白質をつくっている。
・プロテアーゼ(蛋白質を分解する蛋白質)の一種であるトリプシンやペプシンといった消化酵素は自分自身の組織を溶かすので、まず不活性型としてつくられ、貯蔵され、必要なときだけその一部がチョン切られて活性化する。
・人社会ではゴミを焼却場で燃やす前にすでに人が分別作業をおこなう。そしてリサイクルする。いっぽう、カラダは先ずゴミを粉砕してからその成分を分別する。すなわち、①使える成分(外来抗原でないアミノ酸)を必要なたんぱく質に再利用する。②コトバに変装したウイルスを検閲し、排除する。だから、カラダはゴミ処理系と免疫系とを協働させ、資源再生と自己防衛とを並列して合理的にやってのける。
・リンパ球(T細胞)は自分のカラダに「異物」がまぎれ込んでいないか、カラダ中の血管をリンパ管とをめぐり監視している。T細胞単独では異物であるかどうかを判断することはできない。異物の断片をMHC分子上に提示する樹状細胞が仲立ちする。結果的にT細胞が樹状細胞に反応するときだけ、提示されたものが排除すべき「異物」と判断される。
・カラダは抗原に接すると抗体というコトバにしていつまでも忘れない。そのコトバは多様だ。春に咲く花のようだ。
・目の奥の網膜にある、光の波長に対する感受性のちがう三つの視細胞の興奮レベルを組み合わせることによってヒトは230万色の色を見分けることができる! それもたったの三原色から! これも少ない文字で多くのコトバをつくる生物現象である。
・ヒトには網膜で感知できる光の範囲がある。その領域は400~750nmの波長の光に限定される(可視光線)。紫外線の波長は100~400nm、そして赤外線のそれは750~100万nmとなる。人は紫外線を見ることはできない、でも、昆虫には見える。人は赤外線が見えず、ただ熱く感じる。
・警戒情報としての痛み
痛みは結局、自己および種の生存に不可欠な警戒情報である。二つのkとおをわたしたちに知らせる。ひとつは身の安全を守るための即刻注意喚起。ひょっと手を出したところトゲが刺されば瞬時に鋭い痛みが走り、考える間もなく反射的に手を引っこめる。もうひとるの警報の意味は「カラダを横たえよ」という長い時間にわたる警告。これ以上、カラダを動かしてはいけないという警告だ。痛みによってカラダはその意思とは無関係に反射的とも思えるほど痛む患部をかばって動かさない。カラダが消耗したときに「疲労感」も同様の警告的役割をもっている。
・カラダが自然に横になってしまう。とにかく静かにじっとしていたい。そして考えることがすべてネガティブとなる。これらのカラダにおきる反応を「シックネス反応」と呼ぶ。
・立原道造詩集「朝に」
傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまえの心の
あどけない ほほえみだ そして
他愛もない おまえの心の おしゃべりだ
・キモチが顔をつくるのではなく、顔の筋肉がキモチをつくる
・暗示というコトバ
・こころが身体を仕切る
・気は病から
・病は気から
・暗示にかかる免疫細胞
・キモチが遺伝子を動かす
・直観のすすめ
直感は「直覚」という感覚
感想;
生物の不思議、人の身体の精緻を感じずにはおられません。
進化論に基づくなら、どうやってこのような仕組みを獲得できたのだろうか?
心身一如
身体と心は一体と言われていますが、まさにその通りだと思いました。
身体と心の声を聴くことが大切なのでしょう。
・細胞同士が会話する例を単細胞の細菌に観ることができる。多くの細菌は居心地が悪い環境だと周囲の仲間に化学物質(シグナル)をばらまいて警告する。その警報の化学物質がある濃度以上になると仲間は遺伝子をはたらかせ、細胞の形を変え、その環境からそそくさと退散する。逆にある種のの化学シグナルによっては細菌が群れをなして集まる。
・粘菌は栄養分が足りているときはひとつひとつがそれぞれ独立して「ひとり」でいる。ところが餌(栄養分)がなくなってくると、この粘菌アメーバの誰かが「全員集合!」というストレス信号を発信する。ほかの粘菌アメーバがこの信号を受けとると、たちどころに発信元に集まってきて共同体をつくる。そしてそれらが凝集してナメクジのような、多細胞生物となって日照りという環境を生きぬいていく! ついには胞子という鎧をかぶり、カラカラの乾燥状態に耐え、じっと雨を待つ。
・細胞たちのコミュニケーション手段
・ガス状分子
・接着分子
・サイトカイン
・ホルモン
・電気信号
・傷や感染巣へ急行する白血球
白血球はその所在場所によって皮膚や粘膜の下、そして各臓器に張り付く駐在型と、血管やリンパ管(これらを脈管という)を巡回する警ら型とがある。ケガしたり微生物が侵入してくると、それによって破壊された細胞や、微生物が発する信号に反応して、近くに居あわせた白血球(マクロファージと肥満細胞)がサイトカインを出す。この警報分子によって脈管中を警らしている白血球(好中球)が呼び寄せられてくる。そのために白血球はいったん血管の外へ出なければならない-この現象を「血管外遊出」という-。すなわち、白血球は血管内をよどみなく泳ぎまわりながら血管内面に掲げられる「徐行サイン」を目ざとく見つけ、ブレーキをかけスピードをじわじわ落とし、ついには血管の内面に停止し、血管の外へ出る準備をする。
・光合成のシアノバクテリアがはじめて酸素を発生させたのはいまから27億年前のことだ。当時、地球はほとんど海におおわれ、大気中の二酸化炭素濃度は現在の1万倍以上もあった。シアノバクテリアの体内で海水が太陽光のエネルギーにによって分解(酸化)され、電子と水素とが放出された(そのときに酸素が発生)。その電子はシアノバクテリアの電子伝達系を転がり、発生するエネルギーをつかって、海水の片割れの水素と大気中の二酸化炭素から炭素化合物がつくられるようになった。電子の供給源としてシアノバクテリアがたまたま水を利用したので、ついでに酸素が発生したまでのことだ。
・カラダは毎日、約180gの蛋白質をつくるが、食べ物から摂取する蛋白質量はせいぜい多くても70gくらいしかない。しかも尿や便から約70gが失われる。とすると、蛋白質を作るための材料はどこからくるのだろう。計算が合わない。結局、カラダは蛋白質を使いまわししているのだ。蛋白質を壊してアミノ酸にして、それを使って蛋白質をつくっている。
・プロテアーゼ(蛋白質を分解する蛋白質)の一種であるトリプシンやペプシンといった消化酵素は自分自身の組織を溶かすので、まず不活性型としてつくられ、貯蔵され、必要なときだけその一部がチョン切られて活性化する。
・人社会ではゴミを焼却場で燃やす前にすでに人が分別作業をおこなう。そしてリサイクルする。いっぽう、カラダは先ずゴミを粉砕してからその成分を分別する。すなわち、①使える成分(外来抗原でないアミノ酸)を必要なたんぱく質に再利用する。②コトバに変装したウイルスを検閲し、排除する。だから、カラダはゴミ処理系と免疫系とを協働させ、資源再生と自己防衛とを並列して合理的にやってのける。
・リンパ球(T細胞)は自分のカラダに「異物」がまぎれ込んでいないか、カラダ中の血管をリンパ管とをめぐり監視している。T細胞単独では異物であるかどうかを判断することはできない。異物の断片をMHC分子上に提示する樹状細胞が仲立ちする。結果的にT細胞が樹状細胞に反応するときだけ、提示されたものが排除すべき「異物」と判断される。
・カラダは抗原に接すると抗体というコトバにしていつまでも忘れない。そのコトバは多様だ。春に咲く花のようだ。
・目の奥の網膜にある、光の波長に対する感受性のちがう三つの視細胞の興奮レベルを組み合わせることによってヒトは230万色の色を見分けることができる! それもたったの三原色から! これも少ない文字で多くのコトバをつくる生物現象である。
・ヒトには網膜で感知できる光の範囲がある。その領域は400~750nmの波長の光に限定される(可視光線)。紫外線の波長は100~400nm、そして赤外線のそれは750~100万nmとなる。人は紫外線を見ることはできない、でも、昆虫には見える。人は赤外線が見えず、ただ熱く感じる。
・警戒情報としての痛み
痛みは結局、自己および種の生存に不可欠な警戒情報である。二つのkとおをわたしたちに知らせる。ひとつは身の安全を守るための即刻注意喚起。ひょっと手を出したところトゲが刺されば瞬時に鋭い痛みが走り、考える間もなく反射的に手を引っこめる。もうひとるの警報の意味は「カラダを横たえよ」という長い時間にわたる警告。これ以上、カラダを動かしてはいけないという警告だ。痛みによってカラダはその意思とは無関係に反射的とも思えるほど痛む患部をかばって動かさない。カラダが消耗したときに「疲労感」も同様の警告的役割をもっている。
・カラダが自然に横になってしまう。とにかく静かにじっとしていたい。そして考えることがすべてネガティブとなる。これらのカラダにおきる反応を「シックネス反応」と呼ぶ。
・立原道造詩集「朝に」
傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまえの心の
あどけない ほほえみだ そして
他愛もない おまえの心の おしゃべりだ
・キモチが顔をつくるのではなく、顔の筋肉がキモチをつくる
・暗示というコトバ
・こころが身体を仕切る
・気は病から
・病は気から
・暗示にかかる免疫細胞
・キモチが遺伝子を動かす
・直観のすすめ
直感は「直覚」という感覚
感想;
生物の不思議、人の身体の精緻を感じずにはおられません。
進化論に基づくなら、どうやってこのような仕組みを獲得できたのだろうか?
心身一如
身体と心は一体と言われていますが、まさにその通りだと思いました。
身体と心の声を聴くことが大切なのでしょう。