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トヨタ不正、作業現場に過剰負荷 ”販売会社にはモノ造りの精神が届いていなかった!”

2021-09-30 03:03:03 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/354c9017259cd68da973dc19379c97347a34f880 9/29(水) 20:24 産経新聞

トヨタ自動車系列の販売店で6600台を超える規模で不正車検が行われていたことが29日、明らかになった。背景には、作業時間の短縮や、人手が不足するなかで職場に過重な負荷がかかっていた実態がある。トヨタと販売会社は協力して、職場環境の改善や人材確保などで再発防止を図るとしているが、失われた信用を回復する道のりは険しい。(宇野貴文)

「販売会社の経営層が営業成果重視で現場に無理をさせ、メーカーも表彰制度で助長した」。トヨタ国内販売事業本部の佐藤康彦本部長はオンラインの記者会見でこう説明した。

トヨタ系列の販売店では作業の無駄を極力減らす「トヨタ生産方式(TPS)」を導入する動きが拡大。車種や年式などで異なる作業時間を短縮する傾向が強まり、ネッツトヨタ愛知プラザ豊橋(愛知県豊橋市)では、最短45分で終える「45車検」を展開していた。

トヨタは不正車検発覚後の8月、最短45分で車検が完了するとのホームページ上の記載を削除。国の業務を代行する民間車検に対する販売店の認識の甘さがあったことを認めた。

また、人手不足による現場の負荷も不正の背景にあったとし、外国人留学生や技能実習生を含めた採用促進などを課題に挙げた。

佐藤氏は「エンジニアを志願する若者は少なくなっているが、クルマが好きで、販売店で働いている人もいる」と説明。「高度化したモビリティー(移動手段)が出るなかで、夢のある職場にしないといけない。オールジャパンで取り組む問題だ」と述べ、自動車業界の人材育成について言及した。

車検不正が確認された販売会社はトヨタモビリティ東京、ネッツトヨタ山梨、ネッツトヨタ愛知、三重トヨタ自動車、鳥取トヨペット、広島トヨタ、トヨタカローラ山口、徳島トヨペット、トヨタカローラ愛媛、長崎トヨペット、トヨタカローラ宮崎、鹿児島トヨペット、トヨタカローラ鹿児島、ネッツトヨタ沖縄、沖縄トヨタ。

感想
日産や三菱、スズキが認定されていない検査員が検査したということで問題になったとき、トヨタやホンダは、問題がありませんでした。
「不正なことはしない」との考えがマネージャーや一人ひとりに浸透していたのでしょう。

これだけ多くの販売会社が不正をしていたのに、それに気づかなかった経営層に大きな問題があります。
また、その原因を作った、無理な仕事をさせていたのも問題です。

失敗学の本に、問題が起きた時、その改善を行うには、問題を起こした責任者にやらせるのではなく、問題に関係のない新しい人に問題解決を行わせるのが良いとありました。
トヨタの経営層がどうされるかでしょう。

菅首相の会見、質問の指名に偏り 成立しない質疑も続々 "対話できない、対話しない菅首相”

2021-09-28 09:53:24 | 社会
9/28(火) 5:00 朝日新聞デジタル
 10月初旬に退任する菅義偉首相は、「説明責任」のあり方を問われ続けた。記者会見の方式や対応もその一つだ。昨年9月の就任から官邸で計19回の会見に臨んだが、質問に正面から答えないなど、質疑がきちんと成立しないケースが続いた。会見での指名回数も大きな偏りがあった。

【写真】菅首相が官邸で行った記者会見で、内閣記者会の常勤幹事社が質問できた回数

 首相の記者会見は、安倍前政権下の昨年4月以降、新型コロナウイルス感染防止の臨時的措置として、全国紙や在京テレビ局などで構成する「内閣記者会」の常勤幹事社19社と、抽選で選ばれるフリーランスら10人の計29人に出席者が限られている。

 質疑は、まず幹事社2社が代表で質問を行い、その後、挙手による一般の質問に続く。会見時間は毎回1時間程度で、昨年4月以降、指名されなかった記者には文書による質問も認められている。

■指名回数に偏り 理由は不明
 朝日新聞の集計で、計19回の首相会見で、菅首相が質問を受けたのは代表質問を含めのべ227人。1回の会見で5~16人を受け付けた。常勤幹事社で、一般の質問ができた回数が最も少なかったのは東京新聞の1回(代表質問は4回)で、朝日新聞は2回(同2回)だった。最多はNHKの12回(同1回)だった。

 朝日新聞などは毎回、挙手しているにもかかわらず、指名される回数に極端に差が出るのはなぜか。指名している小野日子内閣広報官に文書で理由を尋ねた。官邸報道室長名で「挙手の状況、内閣記者会とフリーランス等のバランスなどを勘案して、内閣広報官が指名しています」との回答があったが、具体的な理由は不明だ。

 首相が質問の趣旨と異なる回答をする質疑も頻発している。ただ、記者の再質問を内閣広報官が遮り、首相の「言いっ放し」で終わることが多い。朝日新聞を含む加盟社有志は、こうした運用などの見直しを求めている。

■「ぶら下がり取材」や国会審議でも
 首相は記者会見のほかに、官邸のエントランスホールなどで短時間、記者団と立ったままやりとりする「ぶら下がり取材」を計136回受けた。その頻度は、安倍晋三前首相と比べても格段に多い。だが、ぶら下がりでは、一方的にメッセージを発して、その場を後にすることもしばしばだ。自民党総裁選への立候補見送りを表明した今月3日も、最初の質問に理由を語っただけで、追加の質問を受けつけなかった。

 首相は記者会見だけでなく、国会での説明にも後ろ向きな対応が目立った。6月9日の党首討論を最後に国会審議の場に出ていなかった首相に対し、野党は7月、憲法53条に基づいて臨時国会の召集を求めた。だが、政府与党はこれに応じず、首相は臨時国会で質疑に立たないまま退任する見通し。長期間にわたって召集要求に応じない政権の対応について、専門家からは違憲性を指摘する声が出る。(永田大)

■「対話」に向いていない政治家 記者側にも問題
 元鳥取県知事の片山善博・早大大学院教授の話 政権トップの首相は、国民に「これは知ってもらいたい」ということを、会見で説得力をもって説明することが本来の姿だ。だが、特に安倍前政権以来、首相に説明責任をきちんと果たそうという意思が見られなくなったように思う。菅首相は反論されることを毛嫌いする場面がたびたびあり、「対話」に向いていない政治家だ。官房長官時代も、まともに質問に答えていなかった。首相になる前から分かっていたことで、それを許してきた記者の側にも問題がある。

 私は8年務めた鳥取県知事時代、週に1回、午前9時半から会見した。質問が尽きるまで行ったので午前中の予定は、ほかに入れなかった。政治家が会見などで説明し、国民が納得に至る。それが民主主義のプロセスだ。時間を制限するようなことは、都合のいい質問だけを受けることにつながりかねない。

感想
国民の訊きたい厳しい質問をする新聞社等と質問の指名回数は負の相関があるようです。
つまり、NHKなどは、国民の訊きたい質問をされずに、菅首相に気に入られる質問をしてこられたのでしょう。
まさにマスコミ側が忖度している結果でもあります。

東京新聞は国民の訊きたい質問をされるので、当ててもらえないのでしょう。
これは日本の民主主義かと思うと情けないですが、それを許している国民のレベルの問題なのかもしれません。
やはり国民が声をあげることなのでしょう。
そのためには選挙に行って一票を投じることだと思います。
自分の一票くらい関係ないと思う気持ちが政治をダメにしているのではないでしょうか。

Vol.185 感染症法上の新型コロナ届出義務を縮小すべき ”新しい感染症には新しい仕組み対処する”

2021-09-28 08:48:08 | 新型コロナウイルス
http://medg.jp/mt/?p=10537
医療ガバナンス学会 (2021年9月27日 06:00)
井上法律事務所 所長 弁護士 井上清成


1.感染症法上の医師の届出義務
コロナ禍が1年半以上にも及び、クラスター対策で保健所も疲弊し、現場の司令塔が保健所から医療者へと実質的に交替しつつある。今後は名実ともに医療者が司令塔となって、医療提供がより迅速かつ柔軟、機動的となっていくことであろう。
さて、新型コロナウイルス感染症は、2021年に法改正された感染症法において、新型インフルエンザ等感染症に分類し直された。
しかし、感染症法第12条第1項による厳格な届出義務は医師に課されてしまったままである(しかも、第77条第1号による罰金の刑罰付き)。
新型コロナに即して、感染症法第12条第1項の条文に当てはめれば、概ね次のとおりになっている。
「医師は、新型コロナウイルス感染症の患者(疑似症患者及び無症状病原体保有者を含む。)を診断したときは、厚生労働省令たる感染症法施行規則第3条(後述)で定める場合を除き、直ちにその者の氏名、年齢、性別、職業、住所、症状、診断方法、初診・診断年月日、病原体に感染したと推定される年月日(発症したと推定される年月日を含む。)、感染原因・感染経路・感染地域、まん延の防止及び当該者の医療のために必要と認める事項その他感染症法施行規則第4条第1項で定める事項を、最寄りの保健所長を経由して都道府県知事に届け出なければならない。」

2.新型コロナは届出義務を縮小すべき
しかしながら、現場の司令塔が医療者に交替し、一層増強された迅速かつ柔軟、機動的な医療提供がなされていくことの期待されている昨今、そのような厳格で煩雑な届出義務は、期待される医療提供を推進していくためには余り有益な義務とは思えない。そこで、厚生労働省令たる感染症法施行規則第3条を改正するなどして、届出義務の対象範囲を縮小していくことが、あるべきコロナ対策の方向性として有効適切と考えられよう。
現在、感染症法施行規則第3条には、新型コロナに関連するものとしては2つの届出除外事由が設けられている。1つは、関連の届出がすでに別の所でなされていることを、診断した医師が知っていた場合(第1号の定め)であり、これは重複届出を不要とするものでもあるので、当然のことであろう。もう1つは、新型コロナの疑似症の患者について入院を要しないと認められる場合(第3号の定め)であり、実務上、微妙なケースなので現場の医師にとって判断に悩むところで過重負担でもあろうから、これも届出義務から除外するのは妥当な定めだと言ってよい。
さらに、今後の医療提供のあるべき方向を考えると、さらに、より一層の除外事由を「第4号」として追加増補すべく、厚労省は感染症法施行規則を改正すべきものと思う。

3.医師の指示に従う限りは除外
新型コロナの患者なのにもかかわらず、医師の指示に従わず、入院も(宿泊・自宅)療養もしないような人に入院強制や就業制限をさせる必要があったり、または、医師がいくら患者の入院・宿泊療養の調整をしても、入院先や宿泊先の都合で入院や宿泊に甚だしく困難を来たしているが、どうしても入院や宿泊をさせる必要があったりする場合は、確かに、医師が感染症法第12条第1項の届出をして、知事(保健所)に対して、当該患者への強制措置を発動してもらったり(前者のケース)、当該入院先や宿泊先を説得して患者の受入れを促してもらったり(後者のケース)するのが必要不可欠である。しかし、その他の場合には、どうしても届出を義務化する必要性は(例えば、全数把握などの公衆衛生上の必要性などであっても)、現在のコロナ禍の拡大化・長期化した状況では、もはやさほどのものとは思えない。
そこで、たとえば次のような規定を、感染症法施行規則第3条第4号として、届出義務の除外事由として追加改正することが考えられよう。
「4号 医師が診断した新型コロナウイルス感染症の患者について、病院もしくは有床診療所に入院し、もしくは、宿泊施設に宿泊療養し、または、自宅療養するなど、当該医師の指示に従っているものと認められる場合」


感想
今の仕組みに無理やり押し込めるのではなく、問題があれば、その仕組みを変えて対応することなのですが。
仕組みが大切なのか、国民の命を守るのが大切かで判断すれば自明のことなのですが、国の権限を持っている人はされないようです。
現場の声を聴こうとの姿勢もないようです。

「失敗は予測できる」中尾政之著 ”過去の失敗を生かして新しい失敗を防ぐ”

2021-09-27 19:48:08 | 本の紹介
・「歴史は繰り返す」とよく言われる。同時に、機械の失敗の例からも分かるように「失敗も繰り返す」と言える。

・筆者の経験から言うと、もともと失敗を活かせない人は何度やっても活かせない。なぜなら、失敗を活かせない人というのは、月曜日のカギをかけ忘れた失敗と、水曜日のガス栓を閉め忘れた失敗が似ているとは決して思わないからである。

・失敗学のの奥義は、「人のふり見て我がふり直せ」である。

・この二つの事故(パロマの湯沸かし器&JR東日本中央線の大月駅で置いた列車衝突)に共通なシナリオは「安全装置の解除」である。いくら効率的な対策があっても、オペレーターによって簡単に無効にされては元も子もない。

・若人は実験では死なない。バイクか酒かウツで身を亡ぼす。この分析の結果、学生の失敗は大別すると三種類であることが分かる。これらは個人の問題であると教員は注意喚起するだけであるが、大事故に至る前に回避できないだろうか。

・三つのシナリオ(失敗データベースから)
1)人間的な原因(いわゆるヒューマンエラー)467件(41%)
 1 不注意         376件(33%)
 2 手順の不遵守       91件(8%)
2)エンジニア個人の設計能力不良 1,064件(94%)
 3 無知          301件(26%)
 4 誤判断         182件(16%)
 5 調査・検討の不足    443件(39%) 
 6 環境変化の対応不良    91件(8%)
 7 未知           47件(4%)
3)エンジニア個人が所属する組織の問題 825件(73%)
 8 企画不良         58件(5%)
 9 価値観不良        421件(37%)
 10 組織運営不良       346件(30件)

・未知の事故はほんど起きない

・「組織の失敗シナリオ」
 ① コミュニケーション不足
 ② 安全装置の解除
 ③ 企画変更の不作為 橋やダム、工場、製品などがそもそも不要だったのに、責任者がそのときの雰囲気に流されて建設や製造を中止できなかったというもの
 ④ 倫理問題    マンションやビジネスホテルの構造計算書の偽造問題
 ⑤ 企画不良  

・上司に同意を求めてから動くことに慣れてくると、何でも上にあげないと不安になる。自分の意志で能動的に動くのではなく、他人の意志を受動的に同意するのに慣れている人は、例えば誰が考えても今すぐ消火器で火を消すべきなのに、それができなくなってしまうのである。ちなみに、現在の雪印は、事件の反省を踏まえて顧客から同じようなクレームが2件報告されたら、自動的に回収作業を始めるそうである(現場がもっと早くに製品回収のアクションを起こしていれば雪印製品全体のパッシングはなかったであろう。

・失敗事例を整理
 ① 「誰かがやると思っていた」(他人依存)(同意体質)
 ② 「自分はその道のプロと過信していた」(自信過剰)(ワンマン)
 ③ 「現状がわからずに遠隔操作した」(情報遅延)(誤判断)
 ④ 「伝えなければならない人が多かった」(齟齬多発)
 ⑤ 「効率的に仕事したつもりが干渉していた」(干渉発生)

・責任者処罰は悪循環
失敗を回避しようとするとき、こうした「注意喚起」だけでなく「責任者処罰」にエネルギーを使うのも好ましくない。

・内閣府の委員会では、石綿(アスベスト)の対策を延々と聞かされたが、筆者はそれに対して疑問を感じていた。なぜなら、石綿が危険な物質であることは100年前から分かっており、何をいまさらと思ったからである。

・第三構成要素としての自動失敗回避装置
1)「安全弁」
2)「フェーズ」(過剰電流防止)
3)「セーフティ・ネット」
 (サーカスの空中ブランコの下に張ってある網のことを想像してもらえればよい)
4)「インターロック」
5)「フールプルーフ」
6)「ポカヨケ」
 (キーとキーホールのように、工具にあった穴を板にあけておいて、使い終わったらそこに入れさせて、すげての工具が揃っていることを確認させる)

・失敗には対策が必要であり、それも失敗が起きる前に作動する第三構成要素をあらかじめ構造の中に埋め込んでおくことがより大切になる。

・大事故が発生してしまった場合、“失敗の責任者”と“その失敗を立て直す人”を別にするように組織をセットしておいた方がよい。

・『組織行動の「まずい!」学』樋口晴彦著

・(三河島駅で起きた列車衝突事故後)新しい第三構成要素として、運転手が運転台から発信すると半径3km以内の列車をすべて止める防護無線や、信号を無視した場合、自動的に急停止させるATSなどの失敗自動回避装置が常磐線から完備されていった。

・二重事故を防いだということに関していえば、2005年に起きたJR宝塚線(福知山線)の脱線事故は成功例である。
たまた脱線車両が線路を短絡させて対応列車の信号を赤に変え、さらに踏切で待っていた近所の人が、踏切の非常用ボタンを押してパトライトを回した。もしこれらの信号に気づかず、対抗列車の特急列車が脱線現場に突撃したら、さらに100名以上の人が亡くなっていたかもしれない。

・二重事故を防ぐには、最初の事故が起きたら、まずは周りの機械をすべて停止させ、再始動は最初の事故の復旧作業者だけがすべきであろう。

・トヨタ自動車の工場では、作業員は鍵と錠前の入ったポシェットをズボンのベルトにかけている。停止した生産装置の中に入って復旧作業をするときは、再起動のスイッチのカバーに第三構成要素である自分の錠前をかけるのである。復旧作業が終わったら、自分のカギで錠前を外す。そうすれば、自分以外の他人が勝手に再起動することを防げる。

・今の日本でも、とにかく全員を正社員として雇用して、まずは一体感を持って作業ずることが重要であろう。

・2006年度の産業総論の話
立花隆さんに新聞社の将来について講演してもらった。
筆者は、理系の学生は大手新聞社にもっと多く就職すべきとずっと言っていた。給料がよいのもひとつの理由だが、もうひとつ、理系出身者があまりにも少なく、科学部でさえ工学部出身者は視野が狭いというステレオタイプな先入観で記事を書いていて、新聞を読むと頭に来ていたからである。
しかし、立花隆さんは、これから新聞社に就職するのは問題だと言われた。筆者の発案である設計解の否定である。学生に「新聞を取っている人は?」と聞いて手をあげさせたらその理由が分かった。なぜなら、それが10%にも満たなかったからである。今や30歳以下の若者はインターネットでニュースを知る。情報を入手してそれを分析して知識を得るという要求機能は同じでも設計解は変化したのである。

感想
失敗を過去から学ぶ。
そして同じ過ちを防ぐ。
とても大切ですが、日本の軍部や政治はそれを行わずに、同じ過ちを繰り返しているように思います。

失敗から学ぶ(本の紹介&感想)

「菅退陣」に追い込んだ厚労省「医系技官」/医療ガバナンス研究所 上昌広 "尾身会長を指導できなかった菅首相”

2021-09-27 08:32:22 | 新型コロナウイルス
コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。
https://facta.co.jp/article/202110023.html2021年10月号 DEEP [物言えば唇寒し]by 上昌広(医療ガバナンス研究所理事長)

9月3日、菅義偉首相が退陣を表明した。マスコミは「コロナ禍迷走一年」(読売新聞9月4日)と対応を批判し、その理由として「専門家の懸念や閣僚の進言を無視」し「トップダウンを多用」(いずれも朝日新聞、同日)したことを挙げる。

筆者は、このような論調に違和感を覚える。厚労省でコロナ対応を仕切る医系技官や新型コロナ感染症対策分科会の尾身茂氏などの専門家の対応を見れば、菅総理ならずとも不安になる。なぜ、総理は専門家の声に耳を傾けなかったのか――。この点を十分に論議しなければ、菅首相退陣の真相は見えてこない。

「日本人であることが嫌になった」

私は、菅総理が専門家の声に耳を傾けなかったのは、彼らを信頼していなかったからだと考えている。9月5日のパラリンピック閉会式で映し出されたパリ市民はマスクなしで、大はしゃぎだった。

なぜ、感染者数が約2倍(人口比)、死者数が3.6倍のフランスで制限が緩和され、日本では「ロックダウンみたいなことを法制化してくださいというようなことさえ議論してもらう」(尾身氏、8月5日)」や「(ワクチン接種が進んでも)会食制限・マスク今後も」(朝日新聞9月7日)となるのだろう。

日本の専門家は疑問符だらけだ。最大の問題は科学を軽視することだ。例えば、コロナ流行当初から、PCR検査を抑制し続けている。9月2日現在の人口1千人当たりの検査数は1.0件。主要先進7カ国で最下位だ。トップの英国(12.3件)とは比べものにならない。コロナは感染しても無症状の人が多く、彼らが周囲にうつすのだから、検査数は増やすべきだ。日本だけが、なぜか例外だ。

昨年8月まで、医系技官のトップとして、コロナ対応を仕切った鈴木康裕前医務技監は、「陽性と結果が出たからといって、本当に感染しているかを意味しない」とし、その理由として「死骸が残っていて、それに反応する」(毎日新聞、昨年10月24日)」こともあると説明し、擬陽性の頻度を、医療業界誌のインタビューで1%と仮定している。

これは、いつの時代の議論だろうか。ゲノム医学の進歩は急速だ。1990年に始まったヒトゲノムプロジェクトは、ヒト一人のゲノムを読み切るのに13年を要したが、今や数時間だ。コストは約3千億円から数万円まで低下した。この間、PCR検査などのテクノロジーも急速に進歩した。適切に条件設定すれば、人為的エラー以外に偽陽性はまず生じない。

世界は、最新技術をコロナ対応に適用している。7月、南京でデルタ株の感染者が確認されると、中国政府は約1800万人の住民に対し、1カ月の間に3回PCR検査を実施し、約1200人の感染者を確認した。感染者や接触者を隔離し、7月22日には感染者はゼロとなった。これが最新の科学だ。

中国はゲノム研究の領域で世界をリードする存在だ。深圳に本社をおくBGIグループは、世界最大のゲノム解析集団だ。昨年1月中国がコロナゲノムを解読した際には、同社の科学者が参加しており、流行開始から半年で世界180カ国に3500万セットの検査キットを販売した。日本のような議論はない。

このような状況を知ると、筆者は司馬遼太郎を思い出す。晩年、司馬はノモンハン事件を題材にした小説の執筆を考えていたが、取材を続ければ続けるほど「日本人であることが嫌になった」と断念した。日露戦争の成功体験に酔いしれ、組織や兵器を近代化することなく、無惨な肉弾戦で大敗した。その敗北を隠蔽し、精神論を振りかざし、挙げ句の果てが敗戦だ。私にはコロナ専門家と被って見える。中途半端な知識をひけらかし、検査を抑制した。コロナが蔓延するや、若者の行動や飲食店を槍玉に挙げ、人流抑制を求め、ロックダウンまで言い出した。

軍幹部とコロナ専門家に共通するのは無責任だ。例えば、尾身氏は元医系技官で、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)の理事長を7年間務めている。JCHOは社会保険病院や厚生年金病院の後継機関だ。社会保険庁の年金不祥事の際に、一旦は民営化が決まったが、最終的に独法となった。公衆衛生危機に対応することが、設置根拠法で義務付けられ、発足時には土地・建物は無償で供与され、854億円の政府拠出金まで提供されている。法人住民税などは免税だ。

では、JCHOは、どの程度の患者を受け入れているのだろう。尾身氏は、「最大限やっている」と説明してきたが、実態は異なる。JCHOは、都内に5つの病院を有し、総病床数は1532床だ。このうちコロナ病床は158床で、全体の10.3%だ。8月6日現在の受け入れは111人でコロナ病床稼働率は70%、総病床の7.2%に過ぎない。組織の設立主旨(公衆衛生危機対応)を考えれば、全病床をコロナ病床に転換してもおかしくない。そうすれば、都内の病床不足の問題は、あらかた解決する。

有価証券運用に余念がない「JCHO」
不甲斐ない田村憲久厚労相

JCHOは本来、患者受け入れの中心的役割を果たすべき組織だ。ところが、尾身氏や厚労省は、最初からそのつもりはなかったようだ。5月11日、田村厚労大臣は、JCHOなど4つの組織が協力し、105人の看護師を医療逼迫地域に派遣すると発表した。コロナ患者の診療は手がかかる。JCHOが中心的役割を担うなら、医療従事者の派遣ではなく、自らの施設にコロナ病床を確保しなければならない。都内のJCHOの病院が、アルバイトでもいいから医師や看護師をかき集めているという話は、寡聞にして聞かない。

一方、補助金は受け取った。20年度の総額は324億円で、前年度から194億円増だ。コロナ名目235億円のうち、195億円は収益として計上されている。JCHOの現預金は688億円、前年度から有価証券を130億円買い増し、運用に余念がない。こうした振る舞いは、誰が見てもおかしい。

詰まるところ菅首相は、彼らの暴走を食い止められず、退陣に追い込まれた。なぜだろう。コロナ問題の本質は、まさにこの点にある。一国の総理大臣をしても、厚労省や専門家を制御できないのだ。

筆者は、民主主義の根幹である権力の相互チェックシステムの機能不全が原因と考えている。西側先進国は、立法、司法、行政の三権が分立し、さらにメディアやアカデミアが監視することで、権力の暴走を抑止することを、社会の基本構造にしている。なぜ、このシステムが、医系技官や尾身氏に対して機能しなかったのだろうか。それは、立法府はもとよりメディアとアカデミアの劣化が著しいからだ。これこそが、安倍・菅政権の弊害だ。

まずは立法府、つまり政治家だ。コロナ対策には、医学や公衆衛生に関する専門知識が必要だ。感染症法、検疫法を所管する厚労省の医系技官が中心的な役割を果たすことになる。問題は、彼らが間違えた時だ。彼らと対等に議論し、方向修正できる政治家は限られている。その代表は、09年の新型インフルエンザ流行時に厚労大臣を務めた舛添要一氏だ。東京大学助教授時代の教え子を中心に「チームB」を組織し、医系技官や専門家と議論させ、海外ワクチンの導入など軌道修正に成功した。


かつての自民党には、舛添氏に限らず、厚労行政に通暁した「族議員」が多数いた。今回のコロナ流行で、厚労省に異議を唱えたのも、そのような議員たちだ。その代表が、自民党行革本部長として、国の責務の明確化、指揮命令系統の一本化から、PCR検査の拡充や公的医療機関への重症・中等症患者の選択と集中を訴えた塩崎恭久・元厚労大臣だ。

今年1月の緊急事態宣言発令時には、国公立病院の対応を問題視し、自身のメルマガで「今でも法的に厚労大臣が有事の要求ができる国立国際医療研究センターが重症患者をたった一人しか受けていない状態を放置している事の方が問題だ」と批判した。国公立病院の患者受け入れ状況は公表されておらず、塩崎氏のメルマガに関係者は衝撃を受けた。これは、議会が政府をチェックした一例だが、官邸強化を推し進めてきた安倍・菅政権で、医療行政に通じた国会議員は力を失った。次の総選挙では、塩崎氏をはじめ多くの「族議員」が引退する。

野党の地盤沈下も著しい。09年には、民主党(当時)の長妻昭議員らが社会保険庁の問題を糾弾し、政権交代へと導いた。民主党で医療政策をリードした故仙谷由人氏は、厚労省傘下の研究機関のあり方を問題視し、政権交代後は行政刷新担当大臣として、国立がん研究センターなどの独法化を主導した。現在、問題となっているJCHOは、社会保険庁が所管する組織が経営した病院群を母体としている。ところが、立憲民主党がJCHO問題を、国会で追及したという話は聞かない。旧自治労系の労働組合の存在が影響しているのだろうか。国民の命と健康より支持母体に配慮しているのなら、彼らの支持率が上がらないのも納得がいく。

突破口開いた朝日新聞の松浦記者
政治が機能不全なら、メディアが頑張るしかない。悲しいかな、こちらも問題だらけだ。第二次安倍政権以降、政府はメディア統制を進めてきた。コロナ報道でも、政府への忖度には目に余るものがある。象徴的なケースをご紹介しよう。それは、朝日新聞が9月2日夕刊に掲載した「コロナ病床、国管轄病院は?受け入れ数%、都内1カ所は専用に」という松浦新記者の記事だ。8月19日に朝日新聞デジタルに掲載された記事の転載だ。なぜ、紙面に掲載するまでに、2週間もかかったのか。

注目すべきは、8月20日の厚労省の閣議後記者会見でのやりとりだ。松浦記者が、JCHOなどの独法に対して法に基づき、患者受け入れを要請する予定はあるかと質問したところ、田村厚労大臣は「法律というのは何の法律ですか。医療法、感染症法ですか」と聞き返した。この回答により、厚労大臣がJCHOの設置根拠法に規定された法的スキームを理解していないことが判明した。厚労官僚が大臣にまともな説明をしていないことがバレてしまった。

「厚労省内は騒然となった」(関係者)。急遽JCHOは9月から、傘下の東京城東病院で約50床をコロナ専用病床に転換することを決定するドタバタ劇を演じた。

田村厚労大臣の発言は、厚労省の不作為を「証明」しており、国民に広く伝えるべきだ。ところが、朝日新聞は、この事実を報じなかった。松浦記者が、この件を発表したのは8月23日の東洋経済オンラインだ。9月1日には系列の朝日新聞出版が運営するアエラ・ドットでも、吉崎洋夫記者による「コロナ病床30~50%に空き、尾身茂氏が理事長の公的病院132億円の補助金『ぼったくり』」という記事が掲載され、アクセス数はトップだった。朝日新聞が紙面に掲載したのは、その翌日だ。

コロナ政策の方向転換には、世論の支持が欠かせない。そのためには正確な事実を国民と共有しなければならない。メディアが果たすべき役割は大きい。政府寄りの姿勢が明白な読売新聞とは対照的に、朝日新聞は政府を監視し、日本のリベラルな世論をリードしてきた。私は朝日新聞に大いに期待している。 ところが、この有り様だ。厚労省に忖度し「新型コロナ感染症対策分科会委員」や「厚労省研究班」など、厚労省お抱えの専門家の発言ばかり報ずるのではなく、自ら取材した事実に基づき、当局が報じられたくない真実を、国民の前に示して欲しい。

「コロナ流行」は医系技官に追い風
最後にアカデミズムについても言及したい。菅政権のコロナ政策をリードしている専門家は、尾身氏と岡部信彦・川崎市健康安全研究所長だろう。尾身氏については改めて論ずるまでもない。

岡部氏は国立感染症研究所OBで、菅政権で内閣官房参与に起用された。岡部氏は、流行当初から、PCR抑制を主導してきた。彼が検査拡大に反対した理由は、民間に拡大した場合の精度管理を問題視したからで「行政検査の場合は、熟練した職員がきちんと標準化された試薬と器材を使って、精度管理も定期的に行っています」「精度管理は検査する側が責任を持ってやるべきです。つまり、一定のレベルを保ちながら数をこなして欲しい」などと発言している。

筆者は、この主張を聞いて驚いた。保健所の現場で働く医師から聞いている話と全く異なるからだ。私が編集人を務めるメルマガ「MRIC」には保健所長からも寄稿があり「精度管理自体がかなり怪しかった」「(検査エラーによる)明らかな擬陽性であるにもかかわらず、行政検査の無謬性をたてに絶対にそれを撤回せず、現場を混乱させた」と、現状のありのままを訴えている。保健所や地方衛生研究所は、検査センターではない。このような小規模施設が分担して、大量の検査をするのは、世界標準とはかけ離れている。

中村祐輔・東京大学名誉教授は「(検体採取以外の)工程はすべてロボットで自動化できる。(中略)集約すればいい。いまだに『手作業で大変だ』と言っていたら、世界から笑われる」と指摘する。前述の中国・南京は、こうやって大量のサンプルを短期間にさばいた。中村氏は、昨年、米国メディアが「ノーベル生理学・医学賞候補」と報じたゲノム医学の泰斗だ。岡部氏といずれが説得力があるか、言うまでもないだろう。

なぜ、岡部氏は、こんな発言をするのか。もちろん利権だ。そもそも保健所長は医系技官が座るポスト。岡部氏が所長を務める川崎市健康安全研究所は、地方衛生研究所の一つで、その所長ポストは、感染研幹部の天下り先だ。地衛研の問題は設立基盤が弱いこと。設置の根拠は1997年の厚生事務次官通知にすぎず、自治体に設置義務はない。コロナのような法定感染症は、保健所が積極的疫学調査の実施主体となることが感染症法で規定されている。即ち検査を独占することが、カネとポストに繋がる。岡部氏をはじめとした専門家たちは、クラスター対策や保健所の体制強化、地衛研の法定化を求めてきた。「コロナ流行」は追い風なのだ。

世界で、こんなことをしている国はないし、感染研・保健所の独占体制を維持する限り、いつまで経っても検査数は増えない。この程度のことは、専門家なら誰でもわかる。アカデミアの問題は、ダンマリを決め込んでいることだ。

学術会議問題に象徴されるように、9年間にわたる安倍・菅政権で国家統制が強化されたことが大きく影響しているのだろうが、それではあまりにも情けない。

コロナ対策の迷走は、日本社会の劣化を白日の下に晒した。物言えば唇寒し。今や指導層のメンタリティは、国家権力に阿る「奴隷」だ。これで衰退しないはずはない。いま、問われているのは、日本人の矜持である。

著者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 医療ガバナンス研究所理事長
1968年兵庫県生まれ。特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長 東大医学部卒、医師。2016年まで東大医科学研究所特任教授を務める。専門は血液・腫瘍内科学、真菌感染症学、メディカルネットワーク論。

感想
実態を知ると、まさに日本のコロナ対策は政治の怠慢以外になにもないように思います。
本当の専門家の意見を聴く、専門家が言うことを理解できるトップであればもっと多くの国民を救えていました。

出来なかったのは、能力がなかったこともありますが、一番は国民を何とかして救いたいとの気持ちがなかったのです。
安倍前首相と菅首相だけの問題ではないです。
それを選んだ自民党、それをさせている公明党との問題でもあります。
それを選んだ国民にも問題があるのでしょう。