幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「肩書き捨てたら地獄だった 挫折した元官僚が教える『頼れない』時代の働き方」宇佐美典也著 キャバ嬢

2015-04-30 02:37:57 | 本の紹介
東大卒・元官僚、自信に溢れたエリートが肩書き捨てたら、まったく社会に通用しなかった!
大きなプロジェクトを担当し300億円というお金を動かしていた。
辞めても十分やって行けると思ったが、実は官僚との肩書があったので、会社や人と繋がっていて、それがなくなると相手にして貰えなかった。
官僚時代のことを気遣って会ってくれる人もいたが、提案する企画には賛同を得ることはなかった。
そして、とうとう残金2万円足らずまで落ちてしまった。
それから2日間、引きこもったまま、ほとんど寝られず、酒を飲みながら無為に時間を過ごした。
「このままオレの人生はうだつが上がらないまま終わってしまうのか」「官僚を辞めなければよかったのだろうか」、そんなことばかりを繰り返し考えていた。
ふと、部屋に素早く動く生き物が目に留まった。真っ黒なゴキブリ。
「コイツの生命力はスゴい。何千年、何万年もこうして人に忌み嫌われながらも生き抜いてきた。
自分も生き抜くためには、コイツに見習わなければならない」そう感じた。
・プライドを捨ててどんなことでもやって行こう。経歴だろうが人脈だろうが、活かせる過去の資源があるのなら、躊躇なく使って使って、使い倒そう。
・過去の手法だけに頼るのではなく、今の自分を発信し続けることで、新しい「自分」というブランドに依拠した人間関係を作って行こう。
・とにかく汗をかいて、動き回って、這いつくばってでも人生の活路を見つけよう。

自分の力で稼ぐということにあこがれていたので、在職当時から準備としていくつかの取り組みを始めていた。
・ブログ
・起業計画
ブログは「現役官僚ブログ」として人気を得ていた。出版社から本にしないかと話しが来て、「30歳キャリア官僚が最後にどうしても伝えたいこと」で出版した。
企業計画は出資してくれる会社や協力してくれる人も見つかったが、退職後いざ始める段になり出資会社の意思疎通ができず、挫折した。

そこで以下の方針を定めて活動を行うことにした
・不特定多数を対象にブルグで情報発信
 先ずは自分を知って貰う。
・ツイッターを通じ、継続的な情報源に
 個人の活動の履歴を知って貰う。
・専門知識はメールマガジンで
 800円/1か月の購読料を得ることにした。

ブログに、20代半ばの女性経営コンサルタントの飲んだ時に、彼女が学生時代に働いていたキャバクラでNo1になるために考えた戦略がとても面白かったのでそれぼブログに書いた。
六本木や歌舞伎町のキャバクラで働きだしたが、この界隈はどうしても裏社会の客が多く、身の危険を感じた。
そこでたまに来る良質な客が、普段どこで遊んでいるかをリサーチしたところ、丸の内、その周辺の神田と言う結論に辿り着いた。
そこで神田に移ると、丸の内に勤めている部長クラスのサラリーマンがストレス解消に来るパターンが多く、安心して働ける環境だった。
先ずは店内の観察に集中した。キャバ嬢は席に着いてから客と話せるのは長くて5分程度だとわかった。
そこで次に「短い時間でどうやって相手に自分を印象づけられるか」を考えた。
先ずは学生の特権を生かし名刺に差別化して同席したお客さんの悩みに対してヒントになる諺や印象に残る名言を書くようにした。
自分に興味を持ってくれた客に「自分がなぜキャバクラで働かざるを得なくなったか」という嘘のない範囲で物語を話せるようにした。
「お金がなく休学しているが、本当はアメリカで勉強し、日本の良さを世界に伝えて行きたい。そのためにここで働いている」
そうすると応援する(指名してくれる)お客さんが増えてきた。指名が増えてからは特定のお客さんの売り上げを大きくせず、なるべく薄く広く定期的に指名してくれる人の数を増やすことにした。
3か月経った頃にはNo1の地位を確立し、1,000万円以上の年収を稼げるまでになった。
 この話をブログに載せたら、キャバ嬢からコンサルティングをして欲しいとの依頼が仕事として始めてきた。

一人で闘うために
・一人になったときにそのまま市場で通じる能力とは、結局のところ退職前に当たり前のようにこなしていた「仕事」にかかわる能力である。
・サラリーマン時代に培った人脈は、おおむね所属していた「組織」のブランドに強く紐づいているため、一人になったときにあまり頼りにならない。
・強く生きるためには、自分と言うブランドがどうあるべきかを常に意識し、構築していく。
・セルフブランディングは自分の独りよがりにしない。周りの反応を見、対話しながら積み重ねて行く。
・セルブランディングの最終目標は、背伸びしない自分をそのものを理解して貰い、他人を巻き込み、応援して貰えるということ。
・仕事を得られるそうになったら、さらに安定し、発展を遂げるためにも、仲間を募り、パーティーを組むことを考える。

地獄と言えば、いまでも忘れられない思い出がある。
ある仕事の関係で、数か月、新潟県に滞在していた。残り1週間あるのに、1,000円しかなかった。クレジットカードも限度いっぱい使っていた。
窮したあげく、なにか良いアイデアでも得られればと、その悩みをFaceBookに書き込んだら、この数年、会ったこともなかったような友人が反応してくれた。
「宇佐美君大丈夫か?オレの親が君の近くに住んでいるから、いまから教える番号に電話しろ」
電話したら、友人のお母さんが駆けつけてくれ、食材と調理器具を持って来て台所でカレーを作ってくれた。
これ以降も何度友人に食事をおごって貰ったか分からない。人や仕事を紹介してもらことなど数えきれない。
部屋の片隅にうずくまっていた状況から、人の情けに助けられ、こうして本を出すまでになったことには感慨を覚えずにはいられない。
私は肩書きの上に成り立っていた人間関係が崩れていく過程で、「世の中は非情だ」「誰も自分だけが大事で、他人のことを考える余裕なんて無い」などとひねくれていた。
それがこうした体験を通していくうちに、「人とは助け合って生きていくものであり、これこそが本来の姿だ」と考えが大きく変わるようになった。

感想;
私も60歳の定年扱いで退職し、自営業を始めました。
前の会社では品質保証部長の肩書で、社内や取引先などからは、とても気を使われていることを感じていました。
でもそれは前の会社の肩書があったからだということを退職後に実感しました。
それは退職する前からわかているつもりでしたが、実際にそのような態度をとられるとやはりそうだったかと寂しい思いをしました。
しかし、その中でも、変わらないで付き合ってくれる人がとてもありがたく思いました。
著者が書かれていた、前の会社での専門を生かす。Webから発信して行く。これは実際に行ってみて、その通りだと実感しています。
Webを見て、今では5社からセミナー講師の依頼を受けるようになりました。
ただ売れない芸人の心境でいつ依頼が途絶えるかとの不安を抱えながらですが。
言えることは一つひとつを精一杯していくことなのだと思ってます。
「大事は細部に宿る」



「反省させると犯罪者になります」 岡本茂樹著 "人は自分がされたことを、人にして返すものです"

2015-04-29 01:32:04 | 本の紹介
犯罪者に反省させるな“。「そんなバカな」と思うだろう。しかし、犯罪者に即時に「反省」を求めると、彼らは「世間受けの偽善」ばかりを身に付けてしまう。犯罪者を本当に反省に導くのならば、まずは「被害者の心情を考えさせない」「反省は求めない」「加害者の視点で考えさせる」方が、実はずっと効果的なのである。

人は自分がされたことを、人にして返すものです。優しくされれば、人に優しくすることができます。冷たくされると、人に冷たくしたくなります。そう考えると、人を傷つける人は、自分自身が傷ついていると理解できます。自分自身が傷ついているから、自分自身を大切にできません。自分自身を大切にできないと、当然のことながら、他者も大切にできません。自分自身を大切にできず、自分の「心の痛み」に鈍感になっているから、他者の「心の痛み」にも気づけなくなります。

ロールレタリング
 自主的に自分の感情を手紙に書くことで、自分の抑えられていた感情が吐露され、その過程を通ると相手に対する思いが生まれてくる。この手紙で感情を出させるのがロールレタリングである。ただ、これも無理やり行うと、模範的な反省文になり、読み手に評価されるような反省文になってしまう。

内観療法
 迷惑をかけたこと、して貰ったこと、してあげたことを身近な人毎に、その3つを思い出すことで、これまでに一人で生きてきたのではなくいろいろして貰ったことを思い出すことで感謝の気持ちを芽生えさせる方法になっている。ただこの方法では迷惑をかけたことにウエイトを置くため、使い方を誤ると感情を抑圧させることにもなる。その療法を使う場合、「迷惑をかけられたこと」についても時間を費やすことがよい。

感想;
模範囚は刑務所を出て再犯率が高く、刑務所に戻ることが多いそうです。模範囚は刑務所を出たいための良い模範囚を演じているのであって、本当の意味での反省に至っていないからだそうです。 
著者は実際に刑務所で指導に当たる中で、直接犯罪者と話をし、「反省させる前に自分の感情を吐露させる」ことがいかに大切かを実感しています。犯罪者に被害者のことを考えさせても、「被害者にも問題があった(加害者からの目線)から、おれは犯罪を犯し刑務所に入れられている。被害者がいなければ俺は刑務所に入っていなかった」との考えを持っている犯罪者が多くいるとのことです。先ずは、自分がどうして犯罪者になったのか、周りの人や社会への不満を出させて、それを行う中で俺にも悪い点があったとの気付きが生まれます。そのステップを踏むことが本当の反省になるとのことでした。

「世界反米ジョーク集」 早坂隆著(2)  ”本当の悲劇とは?”&”やられた側は一生忘れない!”

2015-04-28 02:03:48 | 本の紹介
悲劇の定義
 ブッシュ大統領が地方の小学校を訪れていた。教壇に立ったブッシュは生徒を前にこんな質問をした。
「この世界は多くの悲劇で溢れている。誰か『悲劇』の例を挙げることができるかな?」
すると一人の男の子が手を挙げて答えた。
「僕の大切な友達がクルマに轢かれて死んじゃたら、それが『悲劇』だと思います」
それを聞いたブッシュはこう言った。
「それは『悲劇』というよりも『不幸な事故』だろうね」
今度は女の子が手を挙げて答えた。
「私のクラスの先生が急病で亡くなったら、それが『悲劇』だと思います」
それを聞いたブッシュはこう言った。
「それは『悲劇』と言うよりも『大きな損失』だろうな」
子どもたちはみんな黙ってしまった。ブッシュが言う。
「どうした?誰も『悲劇』の例を挙げられないのかな?」
すると教室の後ろの方に座っていた男の子が自信なさそうに手を挙げて言った。
「大統領の乗った飛行機がテロに遭ったら、それが『悲劇』だと思います」
「すばらしい答えだ!その通り!」
ブッシュは満足そうにそう叫んだ。ブッシュはその男の子に近付いて頭を撫でながら聞いた。
「すごいな君は。たいしたものだ。どうやってそんなに立派な答えを思いついたんだい?」
男の子は言った。
「だってこれなら『不幸な事故』でもないし、『大きな損失』でもないと思って」

後々まで
 ブッシュ大統領がクリントン前大統領に言った。
「イラクも一発叩いておけば、これで大丈夫です。この痛みはしばらく忘れないでしょうから」
するとクリントンが首を振りながらいまいましげに答えた。
「私も昔、一度だけ女房に手をあげたことがあったがね。あいつはいまだにそのことを忘れてやしないよ」

感想;
ジョークは場の雰囲気を変える働きがあります。
”悲劇の定義”は逆転の発想でしょうか?
”後々まで”は実感します。
家庭内は日々平穏に過ぎているようでも、気まずくなると、昔のことを持ちだされます。
国と国の関係も同じなのでしょう。
逆に昔に良いことをするとそれを覚えていてくれるのでしょう。
リトニアでの杉原千畝(ちうね)領事は外務省の指示に反してビザを発行し、約6千人のユダヤ人の命を救いました。
彼は帰国後に外務省を追われて辞めました。
シベリア鉄道、日本を経由して米国に渡ったユダヤ人は戦後、命の恩人を探し出しましたがその時は既に杉原は亡くなっており、妻を米国に招待し感謝の気持ちを伝えました。日本政府も杉浦千畝生誕100年の記念時に当時の河野外務大臣により名誉回復がなされました。国の命令に背いて行うことが当時もいかに大変だったか。
ユダヤ人が日本人に好意的なのはこのような歴史も大きく寄与しています。
人に冷たく接したら人から冷たく返される。
人に暴力を加えたら暴力で返される。

人に温かく接したら温かくして貰える。

「世界反米ジョーク集」 早坂隆著 ”ジョークが言える社会が続くことを願います”

2015-04-27 02:05:01 | 本の紹介
列車にて
 ブッシュ大統領が列車で旅行をしていた。コンパートメントでは一人の男性と一緒だった。ブッシュはその男に向かって、本で読んだ知識等をやたらと調子よくひけらかした。相手の男性はしばらく黙って話を聞いていたが、やがて一言、こう言った。
「私とあなたの二人が揃えば、世界のすべて知っているということになりますな」
ブッシュは自分の博識を誉められたのだと思い、顔をほころばせながら聞いた。
「それはどういう意味でしょう?」
男は答えた。
「あなたは何でもご存知のようだ。ただ一つ知らないのは自分が阿保だということだけです。私はそれをよく知っていますから」

野蛮の定義
 あるアメリカ人の人類学者が、食人村を訪れて調査していた。ある日、彼はイラクで起きている戦争について村人について話をした。すると村人たちは眉をひそめ、口を揃えて彼に聞いた。
「そんなに大量の人肉をどうやって食べるのですか?」
人類学者が笑いながら答えた。
「アメリカ人はそんな野蛮なことはしません。殺した敵の肉など食べませんよ」
村人たちはさらに驚いて囁きあった。
「食べもしない敵を殺すなんて、アメリカ人というのはなんて野蛮な人種だろう」

感想;
自分は足りない点がある。全ての人から教わるとの謙虚さを失わないことなのでしょう。
”ブッシュ大統領”、”アメリカ人”の言葉のところには、他の言葉も当てはめることができるのではないかと思いました。
「阿保」の言葉は関西では親しみを込めて言うので、関西だと「馬鹿」に置き換えた方がよいかもしれません。
どの宗教でも人の命を大切にしています。ところが異教に対しては、過去には「間違った教えに囚われているのでそれから魂を解放す=殺す」との考えがありました。
今は異教でも尊重する考えになって来ていますが、武力行使による紛争解決がなくなりません。
紛争解決に武力では解決しないこと、多くの犠牲者が出ることは歴史が証明しているのですが。
動物の世界では、肉食動物も自分の命を保つ最小限の狩りをしているのですが

「夜と霧」(ヴィクトール・フランクル著)を読まれたクミコさんのメッセージ(ブログより引用)

2015-04-26 02:10:00 | 生き方/考え方
夜と霧(クミコさんのブログ"人生は片道切符"より)

本で泣いた。しばらくぶりのことだ。
「夜と霧」という本。アウシュビッツで生き残った精神科医の本だ。
私は、生きることに「懐疑的」なタチなんだと思う。生きることに「斜め」な感じのニンゲンなんだと思う。
生まれてこないことが良いことだ、と思うニンゲンなんだと思う。そんな私が、生きることの「希望」を教えてくれる本で泣いた。
「人間とは何者なのか。ガス室を発明したのも人間。しかし、そのガス室に入っても毅然と祈りの言葉を口にするのも人間」

ここのところ、ずっとホロコーストの本を読んでいた。ドイツだけでなく、いろんな国で起きたユダヤ人虐殺。反ユダヤ主義のこと。
そうして、どんどん闇に入ってしまった。
人間て、なんなんだろう。
生きてるってどういうことなんだろう。
愛って、宗教って、なんなんだろう。
もうすっかりイヤになっちまう。
人間て、どうしようもない。
そんな時、この本に出会った。

収容所で死にかけている女性がいう。
「ここに来るまで、私は自分の内面をみることがありませんでした。
 でも、今、あの大きな樹と私は話をしています。
 あの樹はいうんです。私はここにいるよ、ここにずっといるよ。って」
大きな命は、そこにいる。大きな樹の形をして、そこに存在する。
そうして、絶望的な状況の中、彼女は希望に包まれ死んでゆく。

人間にとって「希望」ってなんなのか、「尊厳」ってなんなのか。
この本は、静かに教えてくれる。
それは、どんな時代にでもバイブルになるような言葉たちだ。
生きるのがシンドイ時に、思い返す言葉たちだ。

著者。ヴィクトール・フランクル。

穏やかにほほ笑むその人は、日本にも来たことがある。
そうして、90歳を過ぎて、天国に帰った。
生きよう。毅然と生きよう。
希望を育てよう。どんなときも希望を育てよう。

ヴィクトールさん、ありがとう。

感想;
ロゴセラピーの紹介のHPを立ち上げています。
ロゴセラピー
ロゴセラピーはヴィクトール・フランクルが始めた心理療法です。
彼自身が、ナチスの強制収容所でそのロゴセラピーを実践しました。
6月7日(日)にクミコさんのコンサートが埼玉ソニック大ホールで行われます。
市民合唱団約150人と一緒に”広い河の岸辺”、”先生のオルガン”をやぎりんを招いてのコーナーもあります。