幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

ミス東洋英和アナ内定取り消し日テレ提訴 全てを伝えることの是非

2014-11-11 00:11:27 | ブログ

ミス東洋英和アナ内定取り消し日テレ提訴http://news.goo.ne.jp/article/nikkangeinou/entertainment/p-et-tp0-141110-0010.html より

 来年4月にアナウンサーとして入社予定だった女子大生が、ホステスのアルバイトを理由に内定を取り消されたとして、日本テレビを提訴したことが9日、分かった。今日10日発売の週刊現代が報じている。原告は、東洋英和女学院大のミス東洋英和2011に輝き、雑誌「JJ」の読者モデルも務めた笹崎里菜さん(22)。3年生だった昨年9月に「アナウンサー採用内定通知」を受け、研修を受けていた。

 同誌によると、笹崎さんは今年3月、過去に銀座のクラブでアルバイトしていたことを人事担当者に報告。4月に人事部長から「内定取り消し」を伝えられたという。その際、「傷がついているアナウンサーを使える番組はない」と説明され、「辞退という手もある」と言われたとしている。辞退を拒否して取り消しの理由を求めると、5月になって人事局長名で「アナウンサーに求められる清廉性にふさわしくない」とする書面が届いたという。

 笹崎さんは「私にとってアナウンサーは夢。このような理由であきらめることはできない」と「労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する」訴訟を起こし、日本テレビにアナウンサーとして就職することを求めている。一方、日本テレビ総合広報部では、提訴されたことを認めた上で「コメントは控えさせていただきます」としている。この「前代未聞」ともいえる裁判の第1回口頭弁論は、今月14日に東京地裁で開かれる。
厚生労働省のHPに内定取り消しに関しての指針がありました。
指針では、採用内定取消しの防止について、次のとおり取り組むものとされています。
ア 事業主は、採用内定を取り消さないものとする。 

イ 事業主は、採用内定取消しを防止するため、最大限の経営努力を行う等あらゆる手段を講ずるものとする。
なお、採用内定者について労働契約が成立したと認められる場合には、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない採用内定取消しは無効とされることについて、事業主は十分に留意するものとする。

ウ 事業主は、やむを得ない事情により、どうしても採用内定取消し又は入職時期繰下げを検討しなければならない場合には、あらかじめ公共職業安定所に通知するとともに、公共職業安定所の指導を尊重するものとする。
この場合、解雇予告について定めた労働基準法第20条及び休業手当について定めた同法第26条等関係法令に抵触することの無いよう十分留意するものとする。
 

なお、事業主は、採用内定取消しの対象となった学生・生徒の就職先の確保について最大限の努力を行うとともに、採用内定取消し又は入職時期繰下げを受けた学生・生徒からの補償等の要求には誠意を持って対応するものとする。

指針では、採用内定取消しの防止について、次のとおり取り組むものとされています。

 ア 事業主は、採用内定を取り消さないものとする。

 イ 事業主は、採用内定取消しを防止するため、最大限の経営努力を行う等あらゆる手段を講ずるものとする。
なお、採用内定者について労働契約が成立したと認められる場合には、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない採用内定取消しは無効とされることについて、事業主は十分に留意するものとする。

 ウ 事業主は、やむを得ない事情により、どうしても採用内定取消し又は入職時期繰下げを検討しなければならない場合には、あらかじめ公共職業安定所に通知するとともに、公共職業安定所の指導を尊重するものとする。
この場合、解雇予告について定めた労働基準法第20条及び休業手当について定めた同法第26条等関係法令に抵触することの無いよう十分留意するものとする。

 なお、事業主は、採用内定取消しの対象となった学生・生徒の就職先の確保について最大限の努力を行うとともに、採用内定取消し又は入職時期繰下げを受けた学生・生徒からの補償等の要求には誠意を持って対応するものとする。

感想
笹崎里菜さんは内定を取り消されてショックだったでしょうね。それまでは、やることなすことが上手く行っていたような印象を受けました。人生での初めての大きな挫折に遭遇されたように思いました。

アナウンサーは過去にクラブでのアルバイトの経験があることが、「内定を取り消す合理的理由になり、社会通念上相当であると認められる」かどうかが裁判の焦点になるのでしょう。日本テレビは事前に会社の顧問弁護士に相談し勝てるとの判断で内定取り消しをしていると想像します。ですので、両者痛み分けの判決になり、補償で決着するように思いますが。仮に勝訴しても女子アナウンサーで採用されても、直ぐに異動され閑職に追い込まれる可能性も高いように思います。日本テレビに内定を取り消さないように厚生労働省の指針があり、それを偏見?により内定取り消しを行った日本テレビに社会的制裁を加えたいのかもしれません。

笹崎里菜さんはどうして、人事の方に過去のクラブでのアルバイトを話されたのでしょうか? 何か心配があり、安心したかったのでしょうか? 話すことで内定が取り消されるとは夢にも想像されなかったのでしょうね。

新しい彼に過去の男性経験や整形手術、堕胎経験を話した方が良いかどうか相談されている場合があります。隠しておくことが辛いからか正直に全てを話したいのか。逆の立場だと、話されてどうでしょう?心の広い男性でも、それを受け容れてもそのことをどこかで常に意識してしまうことがあります。仲がよい時は大きな問題になりませんが、何かトラブルが起きた時にそのことが蒸し返される可能性があります。

どうしても抱えることができないなら話すのも一つの選択肢だと思いますが、話さない方が上手く関係を維持出来るように思います。それは相手に対する優しさ(これにはきっと異論がある方が多い)かと思います。どうしても話したいなら、結婚してから話すことだと思います。

笹崎里菜さんも、どうしても話したいなら就職してから話された方がよかったと思いました。後で週刊誌に取り上げられても、「社会勉強の一環として経験を積みました」と会社にも社会にも堂々と話せばよいのですから。それと会社は社員を守るというか会社を守る傾向があります。警察が警察官を行った事件を隠ぺいしてきた実績がまさに組織を守ることを優先してきた結果です。

今回の件でわかったことは、銀座のクラブで働くことは社会的に低いこと(発言では「傷が付いている」との表現)だと、そのTV局の責任者が認識していることもわかりました。過去に”さんまの恋のから騒ぎ”に出ていた人が女子アナウンサーになっていました。”さんまの恋のから騒ぎ”と”銀座のクラブ”は清廉性の分かれ目なのでしょうか? 今の女子アナは皆さん清廉性があるのだろうかと思ってしまいました。したたかな強さは感じますが。

「永遠の別れ」 エリザベス・キューブラ・ロス デーヴィッド・ケスラー共著

2014-11-09 03:50:07 | ブログ

「永遠の別れ」 エリザベス・キューブラ・ロス デーヴィッド・ケスラー共著 より

この本は、キューブラ・ロス女史が亡くなってから発行されました。

孤独の与えるもの;

孤独は必ずしも人生の障害にはならない。むしろ、それは人生に不可欠な通過点であると考えたほうがいい。

苦しみを手紙に;

悲痛の感情は外面にあらわさなければならない。苦しみや悲しみは、それを手放してはじめて、それをじゅうぶんに理解することが可能になる。多くの人にとって、亡き人にあてて手紙を書くことは、感情をことばに託して表現し、意思の疎通をはかるための簡便で有効な方法になる。

多くの人が喪失後の心境を書きつづっていることからもわかるように、孤独な状況にあるときは、手紙を書くことが寂しさのよき道連れになる。他人の反応を気にすることなく、悲しみの日記をつづって喪失感情のはけ口にしている人もいる。いずれにしても、書くことによって内面にあるものを外に吐き出すことができる。たいがいの人にとっては、しゃべるよりも書くことのほうが気が楽にできる。書きつづることによって、無言のうちに癒しが訪れてくれる。他のコミュニケーション方式では得られない。

母親を亡くしたミリアムは痛切に孤独を感じていた。アドバイスに従い母親あてに手紙を書こうと決心した。いつものように利き手の右手で手紙を書き、つぎに左手で、母親になったつもりで返事を書いた。ミリアムは自分が書いた返事の手紙を読みながら、なんとなく母親がまだ生きているような気がして、孤独感が薄れていくのを感じた。

ビデオテープで娘へのメッセージ;

フランクリンは末期がんと直面することになったときに、新しい局面を生み出した。自分が死んだあとも、実際に役に立つ方法で娘を守ってやりたいと願っていたそこで、自分が寝たきりになってしまうまえに、ひそかに五巻のビデオテープを制作した。一貫目は娘が最初のデートをする時に、二巻目は大学に入学する時に、三巻目は結婚するまえに、四巻目は親になったときに、そして五巻目は死んだ父親、つまり自分に会いたくなった時に見て貰うためである。五巻目のテープで、彼は娘にこう語りかけた。

「このテープを見ているということは、寂しくて、私に会いたいと思っているのかな。信じないかもしれないが、私もおまえに会いたいんだお。これは本当だ。死ぬ時になにが辛かったって、おまえを残して逝くことが一番辛かったんだ。それだけはなんとかして避けたいと思ったが、無理な話だった。私のことをよく思いだすだろう?私もお前のをことをよく思いだしている。おまえが学校や友だちとのつきあいで忙しい時、わけもなく、ふと私のことが頭に浮かんでくることがあるだろう?その時が、私がお前のことを思っている時なんだ。これからも、寂しくなったり、孤独を感じたりするときがあるだろう。でもおまえはぜったいにひとりじゃないぞ。いつも私がついている。おまえのこころのなかに、いつも私がいるんだぞ」

もう生きて行けないと思った時;

あなたはいま、「もう生きていけない」「生きている意味がない」と感じているかもしれない。しかし、月日がたてば、失ったものとともに生きる方法をみつけるに違いない。喪失を体験したからこそ得られた新しい意味や目的をみつけるに違いない。自分自身にたっぷりと時間を与え、必要なら他者にもとめることだ。何年も月日がかかるかもしれない。いずれは現在の耐え難い苦しみを昇華して、失った生命に敬意を表する方法を発見するだろう。 


「デリー路上生活の子どもたちと」 牧野由紀子著

2014-11-08 02:47:02 | ブログ

アーシャー子ども村を支える会

http://www2.ocn.ne.jp/~ashavill/newpage3.html  より

 アーシャー子ども村を支える会は、デリーの路上生活の子ども達を惨状から救い出すと共に、羽を休め、未来に向かって羽ばたく手伝いをする団体です。長年インドの底辺にいる女性と青少年の育成に当たってきた牧野由紀子氏によって始められました。
 
牧野由紀子氏は、1967年より37年間、インドの農村地帯の貧しい子供や女性の教育と自立を助ける活動を指導し、アラハバードで少年労働者ための夜学アーシャニケタンを運営して、多くの青少年の自立を助けてきました。しかし、村から都会に出て行き路上生活者になってしまう青少年たちのことを絶えず心の痛みとしてきました。2004年、デリーで路上生活をしている子ども達の自立を助けるドンボスコー・アシャラヤムの活動に出会い、参加しました。そして、その施設が狭くて、増え続ける子ども達を収容できなくなっている窮状を見かね、子ども達が成長し、社会人として独り立ちするための生活訓練と教育と職業訓練が出来る「子ども村」を造ろうという大きな夢を子ども達と共に抱きました。
 そして、同年「デリー・牧野由紀子の活動を支える会」を発足させ、「子ども村」土地購入資金の募金を募り、またデリーに拠点を置いて活動する氏の活動を支えてきました。しかし、現在インド、デリーは高度成長の好景気に伴い物価が上昇、借家料も跳ね上がっています。諸事情をかんがみ、2007年春以降の活動拠点を氏は日本に移すことに決めました。それに伴い、会の名称も「アーシャー子ども村を支える会」と改めることにしました。 

前任者・牧野先生夫妻からのご挨拶

http://indomiura.kt.fc2.com/page004.html より

主は私達のために命を捨ててくださった。それによって、私達は愛ということを知った。それゆえに私達もまた、兄弟のために命を捨てるべきである・・・・あなた方は、それぞれ賜物をいただいているのだから、・・・・

それをお互いのために役立てるべきである。奉仕する者は、神から賜る力による者にふさわしく奉仕すべきでる・・・・・・・・・・・

み言葉を与えられて、燃える心をいだきつつ1965年にインドに派遣されてから今年で39年を迎え、来年9月には65歳で引退を迎えようと思っています。
皆様の祈りと経済的支え無くして、今までの働きを続けることはできませんでした。
ここに深く感謝を覚えます。

 「デリー路上生活の子どもたちと」 牧野由紀子著 

この本は、ペンション シャローム(那須)の方からご紹介いただきました。支援されています。

2004年に35年間働いたアラハバード農業大学農村指導者養成所の農村婦人指導者養成所主事を引退して、日本への帰国を準備していた時に、全インド農村開発しているNGO団体で働くことを誘われました。その時の年齢が64歳だったそうです。

その時に、農村からデリーに家出してきた子どもたちを支援している団体でした。毎年40万人の人々が職を求めてデリーに出て来て、路上生活となり、昨年は3,250人が過酷な気候と餓え、麻薬などが原因の行き倒れ死んでいったそうです。特に、貧困や災害から家族を救うために、出稼ぎに来た青少年が多いそうです。多くが路上生活者になって行きます。女の子は売春をして生きて行かざるを得ないそうです。

そこで、そういった子どもを自立支援する”子ども村”を提案し、それが取り上げられ、その建設に向けて活動を始めています。日本では資金面等で支える会を発足させ、土地購入代金のほぼ50%を寄付することを目指しています。

この本は、牧野さんがインドから子どもたちの様子や子ども村建設の取り組みを報告する”通信”をまとめて本にしたものです。

この本を読み、子どもたちはその国の将来を支える宝です。その宝が犯罪や売春、路上生活など社会の負の面に関わって行くか、それとも自立して社会の正の面に関わるかで大きな違いが生じます。

今、日本は80~120万人の引きこもりの青少年がいると言われています。男性が多いそうです。引きこもりの年齢が上がっています。その若者が将来社会の負の面(生活保護生活者となり社会に支えて貰う)に回るか、それとも年金生活者を支える側に回るかで大きな違いが出て来ます。

子どもを支えることはその国の未来を支えることなのだとこの本を読み、そのことを強く実感しました。


「叱られる力」 阿川佐和子著 「聞く力」の二匹目の泥鰌? 叱られた時の対処を身に付ける

2014-11-07 01:52:06 | ブログ

「叱る力」 阿川佐和子

「聞く力」が大ベストセラーになり、その次の本で“力”が使われていますので、二匹目の泥鰌を狙ったと誰しも思います。阿川さんはそういう気持ちがないのですが、多少あると、きっと出版社の意向が強かったのでしょう。二匹目であっても、読まれることを推奨します。

「聞く力」をテレビで何故これだけヒットしたのかの話の中で、作家の吉永みち子さんが「今、世の中にはコミュニケーション能力を身に付けるための本がたくさん出ています。でも、そのほとんどが自分の意見や気持ちを相手に伝えるための発信力に関する本ばかり。その中で、この「聞く力」は発信力ではなく、むしろ受信力について書かれています。自分の心を空っぽにしてひたすら受信する。それもまた、コミュニケーション能力の一つではないでしょうか」とコメントされ、それを見ていた阿川さんは「そうか、そういう本だったのか・・・」と改めて認識されたそうです。

阿川さんの父(作家)はとても難しい人で、「おれが喰わしてやっているのに文句を言うな。嫌なら出て行け」のタイプだそうです。怒ると最後「佐和子が悪かったです」と悪くなくても謝らないと終わらなかったそうです。イチゴを貰ったので、「スキンミルクで食べたいな」とつぶやいたら、お父さんははなんと贅沢なとすごく怒り、泣きだしても怒りを止めなかったので、母が「佐和子も反省しているから、それぐらいで・・・。」と言ったら、怒りの矛先が母親に行き、とうとう車で移動中なのに母親を降ろしてしまったそうです。

阿川家は父の書斎の前にトイレがあるそうです。母親がトイレに行くと、父が「俺がトイレ行こうと思うと、いつもお前がトイレを使う。小か?大か?」と。時々父から「子どもたちがうるさいから、こいつらを連れて外へ出て行ってくれ。夕方まで返って来るな。早くしろ!」と言われ、母が子どもたちを連れて出たそうです。映画を見たこともあり、その映画のタイトルが「家なき子」。そんな家庭で叱られ続けて育ったそうです。父に叱られたエピソード?事件?がたくさん掲載されています。

 そんな阿川さんでも叱られるのには慣れてなく、30歳で初めてTVのアシスタントの仕事を貰ってでたが、その時のボスからも何度も叱られたそうです。周りから「叱られる内が花よ」と慰められたそうですが。

 最近の若い人は、叱られることになれていないのか、叱られると辞めてしまったり、メンタルに陥ったり、中には反発したりするそうです。若い人を叱る時は「借りて来た猫」(ライフバランス研究所の渡部卓氏発案)に注意して行うことだそうです。

 か・・・感情的にならない

 り・・・理由を話す

 て・・・手短に

 き・・・キャラクター(性格や人格)に触れない

 た・・・他人と比較しない

 ね・・・根に持たない

 こ・・・個別に叱る

   ヤクルトの宮本選手は野村監督が恐かったそうです。叱られる中で思ったことは「言い訳は進歩の敵」。自分が間違えたと確信した時は素直に謝るのだそうです。

   叱られることで成長することがあるとのことなのだと思います。ただ叱り方にも優しさが含むこともできると。妹尾河童さんに天ぷらを食べに連れて行って貰った時、「もう少し根元の部分を握ったほうが、エレガントに見えるよ」と箸の持ち方にアドバイス貰ったそうです。確かに今までは箸の真ん中を握っていて、根元の部分を握るとエレガントに見えました。40歳過ぎて初めて気が付いたそうです。

   阿川さんは叱られたときは寝るそうです。それから話を聴いてくれる人に、5人ほどに話すそうです。そうしているうちに対したことがないと気づくそうです。

本の目次;

Ⅰ 叱る覚悟と聞く力

   ・「ステキ」を誉め言葉に変換する

   ・私、「人見知りなんです」は甘えじゃないの?

   ・「失礼ですが・・・」は失礼です。

   ・叱られる覚悟

   ・後輩を叱る覚悟 他

 Ⅱ 叱られ続けのアガワ60年史

  ・涙の誕生日事件

  ・「お父さんそっくり」事件

  ・「子供に人件はない」宣言

  ・「志賀直哉先生(父の先生)がお読みになると思え」の訓示

  ・「一人暮し」奇襲作戦に成功せり 他

 Ⅲ 叱られる力とは?

 ・別れ話の乗り越え方

 ・最悪経験を尺度にする

 ・嫌な言い回し

 ・叱られたとき、悲しいとき

 ・下心のススメ   他

 


「昆虫の世界」 平山和誌作 障害者の絵画展示

2014-11-06 00:14:57 | ブログ

 

Img_0467

那須にボランティア仲間と一泊で研修旅行に行って来ました。

森林の牧場でランチを食べました。そこで知的障碍者の平山和誌さんの絵画が、黒田原駅前の金子書房で展示していると聞き、見て来ました。

20点ほど、彼の作品が展示されていました。たくさんの虫の絵画がありました。中にはゴキブリのたくさんの絵画がありました。不思議なことにゴキブリのいやらしさは感じられません。そこには一つの世界がありました。

上記の絵画は下記のサイトの世界から集まった障碍者の絵画の中にあります。

http://paraart.jp/files/<wbr></wbr>2013zuroku.pdf#search='%E5%B9%<wbr></wbr>B3%E5%B1%B1%E5%92%8C%E8%A9%A9+<wbr></wbr>+%E6%98%86%E8%99%AB%E3%81%AE%<wbr></wbr>E5%9B%BD++%E3%81%A4%E3%81%AA%<wbr></wbr>E3%81%8C%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%<wbr></wbr>83%BC%E3%83%88%E5%B1%95'

何とも言えない世界観を感じました。一匹一匹にいのちを感じました。

森林の牧場

Img_7356

放牧の牛

Img_9569