幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

『毒母は連鎖する子どもを「所有物扱い」する母親たち』旦木瑞穂著 ”周りからの助けが乏しい”

2025-01-01 17:00:00 | 本の紹介
・『毒になる親』スーザン・フォワード著によると、毒親とは、「子どもに対するネガティブな行動へパターンが執拗に継続し、それが子どもの人生を支配するようになってしまう親」を刺します。これは、「自分の都合で子どもたる時間や居場所を奪い、成人後もその関係を当然のごとく継続する、まさに子どもを自らの所有物として扱う親」と言い換えても良いかもしれません。こうした親こそが毒親であり、毒親から受けた毒は、受けた本人が自覚し、強い意思を持って自分の過去や毒親自身と向き合わない限り、その子どもにも連鎖してしまう傾向があることに気づきました。

『アイロニ』(ニコニコ動画で100万回再生を達成した曲)
 夢だとか希望とか 生きてる意味とか
 別にそんなものはさして必要ないから
 具体的でわかりやすい 機会をください 
 泣き場所探すうちに もう泣き疲れちゃったよ 
 (作詩・作曲・編曲:すこっぷ 唱:初音ミク)

・多くの場合、親から受ける愛情が子どもが求めているものとは違ったり、多すぎたり少なすぎたりした場合に、子どもや周囲に過干渉や虐待と評価される。青山さにゃ私の場合、母親の“愛情”は裕だった。だが、その中の何割かは子どもが求めていた愛情だったが、大半は母親の独りよがりだった。母親が一人よがりの“愛情”を子どもに注いだのは、「子どもは母親の所有物」と思い込んでいたからだろう。・・・
 現在は、母親が娘の教育に口を出しすぎると、青山さんが「もう娘に会わせないよ!」と注意する。すると孫に会えないのは辛いらしく、母親は口出ししたいのを懸命に我慢しているようだ。

・それからだった。これまでの自分の母親から愛されず、父親からの愛情も薄く育ったと思っていただ、「自分にとっては祖母が本当の養育者で、祖母から愛されて育った」ことにも気が付いた。

・毒親の多くは子どもに対し、心から謝ることができない。なぜならそれは、子どもを自分の所有物だと思っているからだ。所有物だから、「子どもになんか謝る必要はない」という驕りと、「子どもだから謝らなくても許してくれるはずだ」という甘えが共存している。

・「担任の先生がせっかく児童相談所に連絡してくれて、児相の職員たちは私から話せる機会を設けてくれましたが、自宅では母が怖くて何も言えませんでした。せめて、面会する場所を考えて欲しかったです。警察は、私の話を少しも聞こうとしてくれませんでした。当時の私は、『なぜ誰も助けてくれないんだろう?』と思っていました」・・・
 担任の教師の協力により、実の父親のもとへ逃げ出すことに成功したのだ。
 母親が親権を移したことにより、中学校へは実の父親の連絡先や住所が伝えられていた。警察も児童相談所も助けてくれない現実に絶望した緑川さんが担任に助けを求め、担任が実の父親に連絡。事情を聞いた父親も受け入れてくれたので、即日逃げ込むことになったわけだ。

・「殺人が命を殺すものなら、虐待は魂を殺すものです。その人がその人らしく生きられるはずだった実家すべてを奪うものです。子どもにとって親は絶対的な存在であり、大好きな存在。その親から受ける虐待の傷の深さは計り知れないということを、多くの人に知っておいて欲しいです」

感想
 毒親だと、親も子どもも気付いていない。そして傷つき苦しんでいる。
子どもが母親になり、同じことを知らないうちにしているようです。

 毒親の判断は難しいです。
周りが助けてくれることは少なそうです。
でも、助けてくれる人がいるかどうか。
まずは話を出来る相手がいるかどうか。

 貧困の連鎖はよく言われていますが、毒親の連鎖もあるようです。
もちろん、連鎖を断ち切ることが必要なのですが、それが難しいようです。

「世界の適切な保存」永井玲衣著 ”考えて探求する”

2025-01-01 03:02:01 | 本の紹介
・「生まれて死ぬなら今この時間って意味なくない?」

・哲学対話は、単なる「分かち合い」ではなく、ひとつの探求である。だからこそ、なぜそう思うのか、例によってその言葉に支えられているのか、めちゃくちゃであっても、わからないくても、探すことをあきらめない。

友だちが言う。他人がいるから地獄。一人ぼっちの天国。
どちらがより天国に近いのだろうか。

・余計な心配をするひとと、ただ心配性なひとは、少し異なっているように思われる。おそらく、見ている世界が違うのだ。余計な心配をするひとは、あまり多くのことが気にしたり、気がついたりしないところに引っかかる。だから、見ている範囲はきわめて狭く、おそろしいほど深い。

・Eテレで、『障害者と戦争』というシリーズのドキュメンタリーが放送されたことがあった。ナチスによって、障害者は生きる価値がないとされ、虐殺の対象になった。犠牲者は20万人以上になるが、それが今でもあまり知られることはない。
 ドイツの中西部の町、ハグマーには高台に精神科病院があり、地下に障害者を虐殺するガス室があった。『町のひとたちは気づいていなかったのか』とナレーションは問いかける。・・・
 たくさんのひとを乗せたバスが病院に方のぼっていき、帰りはからっぽだった。施設はいっぱいになるはずだったのに、ならないままに、煙突から煙が出続けた。大人たちは兵士の言葉におどろき、そして、何もできなった。何もしなかった。
T4作戦』と呼ばれるおぞましい作戦は、ユダヤ人の大量虐殺にも引き継がれる。

・アイルランド政治を研究しているひとが、教えてくれた話がある。アイルランドは金融危機を経験し、2008年から2009年にかけて、金融危機を招いた政治家への大規模な抗議運動があったという。

・歴史はさまざまな史料によって編まれていく。それならば、史料は多様でなければならない。さまざまな立場から書かれなければいけないし、あるいは多様な表現で試みられなければならないものであるはずだ。


感想
 考えることが好きとの哲学者の方の本を何冊か読みました。
本当に考えている時間が楽しいことが伝わってきました。

 哲学対話では考え、探求する。
自分で考えることを捨ててしまうと付和雷同的になってしまうのでしょう。
考えるためには知識も経験も必要であり、歴史から、他の人から学ぶことが必須のように思いました。

 『地獄とは他人のことだ』
まさに人は他人とのことで苦しみます。一方では他人とのつながりから幸せを感じます。まさに地獄にするか天国にするかは自分の考えと行動によるのでしょう。

 大学に入学し、同じ学科の人となかなか友だちになれませんでした。なぜなら選択する科目が違うというか、同じ科目でも先生が何人もいるので、皆バラバラになるからでした。最初はもっぱら下宿仲間と行動していました。
 「なぜ自分は友だちができないのだろう?」と悩み、本を読みました。
そして一つの選択肢は合同ハイキングの幹事をやることでした。
その経験は会社に入っても、ボランティア活動においても役立ちました。

 将来の不安をあれこれ心配するよりも、その時間を学ぶことと考えそして行動することに使った方が、より良い将来を迎えられるように思います。
 ところが余計なことを心配する人は過去を悔やみ、起きていない未来を心配し、今の大切な時間を使っています。そして今出来ることがたくさんあるのにしようとしません。過去は今のために、未来は今の考えと行動の結果だとわかっているのですが、なかなかできないですが。と諦めないことなのでしょうね。
 難しいことですが、自分に言い続けることなのでしょう。今ブログを書いている内容は自分に言っていることです。