・「生まれて死ぬなら今この時間って意味なくない?」
・哲学対話は、単なる「分かち合い」ではなく、ひとつの探求である。だからこそ、なぜそう思うのか、例によってその言葉に支えられているのか、めちゃくちゃであっても、わからないくても、探すことをあきらめない。
・「『地獄とは他人のことだ』ってサルトルは言うけど、その逆だ」
友だちが言う。他人がいるから地獄。一人ぼっちの天国。
どちらがより天国に近いのだろうか。
・余計な心配をするひとと、ただ心配性なひとは、少し異なっているように思われる。おそらく、見ている世界が違うのだ。余計な心配をするひとは、あまり多くのことが気にしたり、気がついたりしないところに引っかかる。だから、見ている範囲はきわめて狭く、おそろしいほど深い。
・Eテレで、『障害者と戦争』というシリーズのドキュメンタリーが放送されたことがあった。ナチスによって、障害者は生きる価値がないとされ、虐殺の対象になった。犠牲者は20万人以上になるが、それが今でもあまり知られることはない。
ドイツの中西部の町、ハグマーには高台に精神科病院があり、地下に障害者を虐殺するガス室があった。『町のひとたちは気づいていなかったのか』とナレーションは問いかける。・・・
たくさんのひとを乗せたバスが病院に方のぼっていき、帰りはからっぽだった。施設はいっぱいになるはずだったのに、ならないままに、煙突から煙が出続けた。大人たちは兵士の言葉におどろき、そして、何もできなった。何もしなかった。
『T4作戦』と呼ばれるおぞましい作戦は、ユダヤ人の大量虐殺にも引き継がれる。
・アイルランド政治を研究しているひとが、教えてくれた話がある。アイルランドは金融危機を経験し、2008年から2009年にかけて、金融危機を招いた政治家への大規模な抗議運動があったという。
・歴史はさまざまな史料によって編まれていく。それならば、史料は多様でなければならない。さまざまな立場から書かれなければいけないし、あるいは多様な表現で試みられなければならないものであるはずだ。
感想;
考えることが好きとの哲学者の方の本を何冊か読みました。
本当に考えている時間が楽しいことが伝わってきました。
哲学対話では考え、探求する。
自分で考えることを捨ててしまうと付和雷同的になってしまうのでしょう。
考えるためには知識も経験も必要であり、歴史から、他の人から学ぶことが必須のように思いました。
『地獄とは他人のことだ』
まさに人は他人とのことで苦しみます。一方では他人とのつながりから幸せを感じます。まさに地獄にするか天国にするかは自分の考えと行動によるのでしょう。
大学に入学し、同じ学科の人となかなか友だちになれませんでした。なぜなら選択する科目が違うというか、同じ科目でも先生が何人もいるので、皆バラバラになるからでした。最初はもっぱら下宿仲間と行動していました。
「なぜ自分は友だちができないのだろう?」と悩み、本を読みました。
そして一つの選択肢は合同ハイキングの幹事をやることでした。
その経験は会社に入っても、ボランティア活動においても役立ちました。
将来の不安をあれこれ心配するよりも、その時間を学ぶことと考えそして行動することに使った方が、より良い将来を迎えられるように思います。
ところが余計なことを心配する人は過去を悔やみ、起きていない未来を心配し、今の大切な時間を使っています。そして今出来ることがたくさんあるのにしようとしません。過去は今のために、未来は今の考えと行動の結果だとわかっているのですが、なかなかできないですが。と諦めないことなのでしょうね。
難しいことですが、自分に言い続けることなのでしょう。今ブログを書いている内容は自分に言っていることです。
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