『将棋世界』9月号で、内館牧子氏が「孤独ということ」の中で、
創作家は孤独だと思われていて、私(内館氏)はそんなことは感じちないのだが、孤独だと決めつけられてしまい困っていると。そんな時、『週刊現代』での羽生名人のコメントを読んで、非常に感心されている。
【以下、引用】
将棋は孤独な戦いだろうと聞かれた羽生さんは、次のように答えている。
「将棋は相手がいる勝負ですから、孤独になることはないはずです」
どうだ、この答!もう完璧!さすが羽生!私はもう大喜びである。インタビュアーは間違いなく、勝負師の孤独というものを語らせたかったと思う。そしてそれは、何時間もの長考や、たった一手の悪手で落ちる地獄等々を、すべて一人で背負う孤独として語ってほしかったのだと思う。
そして間違いなく、羽生さんはそれらを十分に理解した上で、あの答をさらりと言ってのけた。もうみごとすぎて、声もない。
これはあくまでも私の勘だが、羽生さんはたとえ孤独でも、そう答えることを潔しとしなかったのではないか。これぞ、日本の精神文化である。私は羽生善治という天才棋士の、その美意識に打たれた。
【引用、終わり】
羽生名人がインタビュアーの意図を理解していたと私も思う。しかし、羽生名人の孤独ではないという言葉は本心だと思う。
確かに、敗れるのは悔しくてつらい。タイトル戦の敗者は、スポットライトを浴びる勝者の陰になり、孤独を味わうこともあるだろう。
大きな勝負を前にして、相手の強さに怯えたり、研究で勝利の道筋が見つけられない時なども孤独を感じることも多いかもしれない。
しかし、羽生名人は勝負師としての棋士の一面のほかに、探究者としての棋士の一面を持っていて、それがかなりの部分を占めている。
「将棋は難しい、だから面白く、真理を知りたい、究めたい」その気持ちが本当に強いのだ。
以前、
「朝起きて、将棋を研究して気がついたら、夕方になっていた」
と答えていたが、研究を苦労と感じることはないのだろう。将棋が面白くて仕方がないのだ。
研究していて≪解からない≫、対局していて≪分からない≫という局面でも、対局者がその答、あるいはヒントをくれると思い、対局者とふたりで探究する、あるいは、将棋を作ると考えているのだ。
自分の読みを上回る手を指され、敗れた時でも、もちろん悔しさは感じるであろうが、きっと、驚き感心する気持ちの方が強いのではないか。
もし、羽生名人が将棋で孤独を感じることがあるとしたら、羽生名人がひとり別次元の高みまで登りつめ、対等に相手ができる棋士がいなくなってしまった時であろう。
創作家は孤独だと思われていて、私(内館氏)はそんなことは感じちないのだが、孤独だと決めつけられてしまい困っていると。そんな時、『週刊現代』での羽生名人のコメントを読んで、非常に感心されている。
【以下、引用】
将棋は孤独な戦いだろうと聞かれた羽生さんは、次のように答えている。
「将棋は相手がいる勝負ですから、孤独になることはないはずです」
どうだ、この答!もう完璧!さすが羽生!私はもう大喜びである。インタビュアーは間違いなく、勝負師の孤独というものを語らせたかったと思う。そしてそれは、何時間もの長考や、たった一手の悪手で落ちる地獄等々を、すべて一人で背負う孤独として語ってほしかったのだと思う。
そして間違いなく、羽生さんはそれらを十分に理解した上で、あの答をさらりと言ってのけた。もうみごとすぎて、声もない。
これはあくまでも私の勘だが、羽生さんはたとえ孤独でも、そう答えることを潔しとしなかったのではないか。これぞ、日本の精神文化である。私は羽生善治という天才棋士の、その美意識に打たれた。
【引用、終わり】
羽生名人がインタビュアーの意図を理解していたと私も思う。しかし、羽生名人の孤独ではないという言葉は本心だと思う。
確かに、敗れるのは悔しくてつらい。タイトル戦の敗者は、スポットライトを浴びる勝者の陰になり、孤独を味わうこともあるだろう。
大きな勝負を前にして、相手の強さに怯えたり、研究で勝利の道筋が見つけられない時なども孤独を感じることも多いかもしれない。
しかし、羽生名人は勝負師としての棋士の一面のほかに、探究者としての棋士の一面を持っていて、それがかなりの部分を占めている。
「将棋は難しい、だから面白く、真理を知りたい、究めたい」その気持ちが本当に強いのだ。
以前、
「朝起きて、将棋を研究して気がついたら、夕方になっていた」
と答えていたが、研究を苦労と感じることはないのだろう。将棋が面白くて仕方がないのだ。
研究していて≪解からない≫、対局していて≪分からない≫という局面でも、対局者がその答、あるいはヒントをくれると思い、対局者とふたりで探究する、あるいは、将棋を作ると考えているのだ。
自分の読みを上回る手を指され、敗れた時でも、もちろん悔しさは感じるであろうが、きっと、驚き感心する気持ちの方が強いのではないか。
もし、羽生名人が将棋で孤独を感じることがあるとしたら、羽生名人がひとり別次元の高みまで登りつめ、対等に相手ができる棋士がいなくなってしまった時であろう。