英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

「ソフト指し」ついて

2010-11-15 10:32:16 | 将棋
 ここ数日、アクセス数が増えたと思ったら、2ちゃんねるの竜王戦のスレッドで、「ソフト指し」&「カンニング(助言)」疑惑が浮上して、このブログの記事(昨年11月「『週刊将棋』驚きの記事」がリンクを張られていました。1年前の記事が参照されたことには驚きです。(日付が11月14日と紛らわしいので今年書かれたものだと、思われる方も多いようです)
 なぜ渡辺竜王に「ソフト指し(コンピュータソフトの指し手を着手、あるいは参考にする)」疑惑が上がったのかはわかりませんが、そういうことはないと思います。

 あの記事は田丸八段の記事に対して書いたものであり、カンニング行為の定義や意味、可能性について言及し、プロ棋界の現状について述べたものではありません。
 今回は補足も兼ねて私の考え(主観)を述べたいと思います。


 タイトル戦におけるソフト指しについて
 タイトル戦に限らず、一般棋戦においてもその行為は可能です。現在はその行為に対する規制(規約)はなく、防止策も講じていないと思われます。これは「性善説」あるいは「棋士のプライド」を信じていると考えられます。
 「それは甘い」と感じる方も多いと思いますが、特に「棋士のプライド」は馬鹿にできません。
 棋士のほとんどは、幼少のころから将棋を指し上達し、勝ち続けます。同級生はもちろん近隣の同世代のものを相手に勝ち続けます。そして、プロ棋士を目指します。
 「将棋は面白い」「将棋が好き」だから「将棋を職業としたい」という動機もありますが、それよりも「一番強くなりたい」「一番になりたい」という思いが非常に強いのです。
 しかし、そういう天才少年の集まりですから、プロ棋士になれずに去っていくもの、棋士になっても壁にぶち当たり限界を感じるものも多いです。
 まあ、そういう現実もありますが、棋士にとって「将棋が強いことがすべて」に近いです。
 「強いことが正義」なのです。
 なので「ソフト指し」をすることは、自分の存在を否定することになるのです。
 タイトル戦を戦うということは、一番を争うこと。自分の強さを証明する場、自分の存在意義・価値を確認、高める場なのです。ソフト指しはそれを自ら否定する行為なのです。

ソフト指しの有効性(ソフト指しを奨励しているのではないです)
 「勝つことが正義」となる可能性もあります。スポーツの世界のドーピング行為の例があるように、棋士のプライドがあると言えどその可能性を否定することはできません。
 この項は、「ソフト指しが棋士のレベルでもプラスになるのか」 ということを述べます。(これについては、昨年の記事でも触れましたが)

 最近、話題になったように、将棋ソフトの「あから2010」が女流の第一人者の清水女流に勝利しました。その勝負の前から、将棋ソフトはアマチュアトップを凌駕し奨励会三段レベルに達しているといわれていました。
 とにかく、将棋ソフトは相当なレベルにまで達していると考えられます。ただ、現レベルでは棋士が1局まるまる将棋ソフトに頼るほどのレベルではありません。100台以上のパソコンを統括できなければなりませんし、ポータブルソフト(携帯電話・ゲーム機)は棋力が落ちますし。
 しかし、終盤の詰みの有無や、中盤でも見落としの防止には有効です。
 また、2ちゃんねるでも言われていましたが、携帯電話で協力者(棋士・あるいは将棋ソフト使用者にアドバイスをもらうというのも実用的です。ただ、これは計画的なので、プライドどころか良心を捨てる必要がありますし、不正発覚のリスクも大きいです。

 現時点では、「ソフト指し」<「棋士のプライド」という図式が一般的だと考えられます。
 が、釘を刺す意味でも規制(明文化・罰則・防止策)をする必要があると考えます。
コメント (4)
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