英の放電日記

将棋、スポーツ、テレビ等、日々感じること。発信というより放電に近い戯言。

『将棋世界』12月号  ~竜王戦展望対談……森下九段×中村太六段~

2014-11-30 01:11:32 | 将棋
「竜王戦七番勝負展望 森下卓九段×中村太地六段」
 「森内竜王、糸谷挑戦者の強さ、棋風、将棋観の分析」、「初タイトルの緊張感、重圧など」、「世代対決の考察」と興味深い話が続いた。
 ただ、世代交代の解釈に関して、森下九段は、
「谷川先生が四冠を達成した1992年は未だ中原先生と米長先生が健在で、新しい時代に移行したとは受け止められていなかったし、自分もそう思いませんでした。やはり(世代交代は)羽生さん以降でしょう。
 また、谷川先生の年に近い、55年組の先生方がタイトルを占めたこともありましたが、やはり新しい時代が来たとは思えなかった。もちろんすごいとは思いましたが、中原先生と米長先生の巻き返しがあるはずだと。
 ただ羽生さん以降が上からタイトルを獲ったときは巻き返せるという感じが全くありませんでした」

と述べていたが、≪それはちょっと違うんじゃないのかな?≫と引っ掛かりを感じた。
 確かに、両巨頭は新世代を跳ねのける強さを見せていたし、さらに大山名人も超人的な強さを維持していて、「“世代交代”が完了した」という印象がないまま、羽生七冠が登場してしまったという記憶がある。

 森下九段は先の発言の前に、「世代交代」の定義として
「今期の糸谷さんと豊島さんが勝っても、まだ羽生さんが三冠、渡辺さんが二冠ですよね。これでは世代交代とは言えません。
 七冠のうち5つ、できれば6つを若い世代が取って初めて世代交代と言えるのではないでしょうか。
 羽生さんが初めて名人を取った1994年度以降、中原先生と米長先生はタイトルを獲れなかった。そこまでいって初めて世代交代と言えます」

 これが適正な基準かはともかく、過去のタイトル戦を検証してみたい。
 

1983年度
名人 谷川-加藤(4-2)新名人誕生
棋聖 森安-中原(3-2)
    米長-森安(3-1)
王位 高橋-内藤(4-2)
王座 中原-内藤(2-1)
十段 中原-桐山(4-2)
棋王 米長-森安(3-1)
王将 米長-森 (4-1)

1984年度
名人 谷川-森安(4-1)
棋聖 米長-谷川(3-0)
    米長-中村(3-2)
王位 加藤-高橋(4-3)
王座 中原-森安(3-2)
十段 米長-中原(4-3)
棋王 桐山-米長(3-1)
王将 中原-米長(4-1)

この2年は、谷川が名人を獲得し、高橋が王位戦で続いたものの、翌年王位失冠。中村が米長棋聖に挑戦するも失敗と、まだまだ旧世代の壁が厚かった。

1985年度
名人 中原-谷川(4-2)
棋聖 米長-勝浦(3-1)
    米長-中村(3-0)
王位 高橋-加藤(4-0)
王座 中原-谷川(3-1)
十段 米長-中原(4-3)
棋王 谷川-桐山(3-0)
王将 中村-中原(4-2)

谷川が名人を失冠したが棋王位を奪取、高橋が王位復位、中村もタイトル3度目の挑戦で王将位に。新世代が3タイトルを保持。
タイトル戦登場棋士は、のべ16人中6人が新世代。


1986年度
名人 中原-大山(4-1)
棋聖 桐山-米長(3-1)
    桐山- (3-1)
王位 高橋-米長(4-0)
王座 中原-桐山(3-0)
十段 福崎-米長(4-2)
棋王 高橋谷川(3-1)
王将 中村-中原(4-2)

高橋が2冠(王位・棋王)を保持、中村も王将防衛の他、福崎が十段位に。7タイトル中4タイトルを新世代。
タイトル戦登場棋士は、のべ16人中6人が新世代。


1987年度
名人 中原-米長(4-2)
棋聖 桐山-西村(3-0)
     -桐山(3-0)
王位 谷川高橋(4-1)
王座 塚田-中原(3-2)
十段 高橋福崎(4-0)
棋王 谷川高橋(3-2)
王将  -中村(4-3)

谷川(王位・棋王)と南(棋聖・王将)が2冠、塚田(王座)、高橋(十段)と6冠を制覇。
タイトル戦登場棋士は、のべ16人中10人が新世代。
ここ3年で、新世代のタイトル保持数が3→4→6と着々と世代交代が進行し、この年度で完了したと見ることができる(“森下定義”もクリア)。



1988年度
名人 谷川-中原(4-2)
棋聖 田中- (3-2)
    中原-田中(3-2)
王位 森 -谷川(4-3)
王座 中原-塚田(3-0)
竜王  -米長(4-0)
棋王  -谷川(3-2)
王将  - (4-0)

十段戦が発展解消し、初代竜王に島が。谷川も名人復位。南が棋聖を田中寅に奪われ(後期で中原が奪取)、王位、王座と森、中原の逆襲にあったが、棋王、王将の2冠を南が保持。新世代が4タイトル(2大タイトルを含む)を保持。
タイトル戦登場棋士は、のべ16人中9人が新世代。


1989年度
名人 谷川-米長(4-0)
棋聖 中原- (3-1)
    中原-屋敷(3-2)
王位 谷川-森 (4-1)
王座 中原-青野(3-2)
竜王 羽生 (4-3)
棋王  -大山(3-0)
王将 米長- (4-3)

新世代対旧世代は3対2で拮抗。タイトル数も谷川(名人・王位)、南(棋王)、中原(棋聖・王座)、米長(王将)と3対3。
しかし、ここで羽生が登場!島を破り竜王位に。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中6人が谷川世代。


1990年度
名人 中原-谷川(4-2)
棋聖 屋敷-中原(3-2)
    屋敷-森下(3-1)
王位 谷川佐藤(4-3)
王座 谷川-中原(3-1)
竜王 谷川羽生(4-1)
棋王 羽生 (3-1)
王将  -米長(4-2)

名人位に中原が復位。失冠した谷川は羽生から竜王を奪取。3世代対抗戦の様相だが、谷川が竜王の他、王位、王座と合わせ3冠。南の王将と合わせ、谷川世代が4冠。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中6人が谷川世代。


1991年度
名人 中原-米長(4-0) 
棋聖  -屋敷(3-1)
    谷川 (3-0)
王位 谷川中田(4-2)
王座 福崎谷川(3-2)
竜王 谷川-森下(4-2)
棋王 羽生 (3-1)
王将 谷川 (4-1)

谷川が4冠(竜王・棋聖・王位・王将)、福崎の王座と合わせて谷川世代が5冠。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中11人が谷川世代。
ここ数年、旧世代の逆襲や、羽生世代の台頭はあった。しかし、谷川の活躍、この年度は実らなかったが南の奮闘もあり、谷川世代の時代到来かと思われたが……


1992年度
名人 中原-高橋(4-3)
棋聖 谷川郷田(3-1)
    谷川郷田(3-0)
王位 郷田谷川(4-2)
王座 羽生福崎(3-0)
竜王 羽生谷川(4-3)
棋王 羽生谷川(3-2)
王将 谷川村山(4-0)

中原が名人を維持するものの、名人戦以外は「谷川世代VS羽生世代」の様相。その結果、羽生が3冠(竜王・王座・棋王)を保持、郷田の王位と合わせ、羽生世代が4と過半数。谷川は棋聖戦で郷田を連破、王将戦で村山を退けたものの、王位、竜王、棋王で敗れる。福崎も王座を羽生に奪われ、谷川世代のタイトルは2に減少。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中8人が谷川世代。


1993年度
名人 米長-中原(4-0)
棋聖 羽生谷川(3-1)
    羽生谷川(3-2)
王位 羽生郷田(4-0)
王座 羽生谷川(3-1)
竜王 佐藤羽生(4-2)
棋王 羽生 (3-0)
王将 谷川-中原(4-2)

名人戦は旧世代対決で、米長が念願の名人位に。
その他は羽生が4冠(棋聖・王位・王座・棋王)、佐藤が羽生を破り竜王。
谷川は棋聖戦で羽生に2連敗、王座でも羽生に敗れる。辛うじて王将を死守。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中、谷川世代は5人と減少。


 
1994年度
名人 羽生-米長(4-2)
棋聖 羽生谷川(3-1)
    羽生 (3-0)
王位 羽生郷田(4-3)
王座 羽生谷川(3-0)
竜王 羽生佐藤(4-2)
棋王 羽生-森下(3-0)
王将 谷川羽生(4-3)

羽生が名人と竜王の2大タイトルも手中、6冠を保持!
谷川が王将を死守し、羽生の7冠制覇を阻止。
タイトル戦登場棋士、述べ16人中、谷川世代は4人。


1995年度
名人 羽生-森下(4-1)
棋聖 羽生三浦(3-0)
王位 羽生郷田(4-2)
王座 羽生-森 (3-0)
竜王 羽生佐藤(4-2)
棋王 羽生高橋(3-0)
王将 羽生谷川(4-0)

羽生、7冠制覇!
タイトル戦登場棋士、述べ14人中(棋聖が1年1期に)、谷川世代は2人と、タイトル戦登場もままならない。


 この後、谷川が竜王や名人を羽生から奪還するなど意地を見せ、羽生7冠制覇以降、竜王2期、名人1期、棋聖1期、王位2期、棋王1期を保持したが、2003年度の王位、棋王を最後に、タイトル位から遠ざかっている。
 谷川以外の谷川世代?は、1991年度の南(棋聖)、福崎(王座)を最後にタイトル奪還はない。
タイトル挑戦も1997年の王座戦の島以来、遠ざかっている。



 1983年度、谷川新名人。
 1985年辺りから新世代が台頭し始め1987年6冠を占め「世代交代」の感が強くなった。
 この後、旧世代の逆襲、羽生、屋敷のタイトル獲得はあったものの、1991年度には谷川世代が5タイトルを占め、谷川世代が棋界をリードするかと思われたが、羽生が7冠制覇に邁進してしまった。
 羽生に続き、佐藤、森内、郷田、丸山が羽生を追いかけ、谷川世代を飲み込んでしまった。
 谷川はひとり踏みとどまり抵抗したが、力尽きた感がある。情けなかったのは、55年組。少し浮かれていたような気もするが、あまりにも羽生世代の波が早く到達し、その波高が高かったのは不運かもしれない。それにしても、淡泊だった。
 ここで、ひとつ、大きな分岐点に思えたのが、1992年度の名人戦。
 高橋九段が名人位に手が届きかけたが、中原名人が辛くも防衛。この時は実力以外の風が吹いたように感じた。
 それはともかく、ここで高橋名人が誕生していたら、流れは大きく変わっていたかもしれない。


 ここで注目すべきは、1986年~1991年の6年間は谷川世代が棋界をリードしている点。
 現在の時点から観ればたった6年間だが、その当時、それを実感した者にとっては6年間は決して短いものではないはずだ。
 まして、森下九段は若手バリバリの時期で、谷川世代を目標にしていた時期である。実際、1991年には谷川竜王に挑戦しているのである。
 そういう事実もさることながら、私が森下九段の言葉に抵抗を感じた一番の理由は、
一度もタイトルを取っていない棋士が、タイトルを何期も取った先輩たち実績を軽視した点である。



この対談は、最強世代について論じているのだが、ここで森下九段から信じられない言葉が飛び出したのである。(続く)

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6 コメント

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第4局と同じ展開 ()
2014-12-04 17:35:56
Stanleyさん、こんばんは。

 第4局と同じ展開でした。
 それにしても、あっけない…もろかったというか。

 森内さんの今季の成績はこれで11勝21敗、勝率.343。打率だったら誇れる数字ですが……。タイトル戦に限ると1勝11敗と散々ですね。
 名人戦でいつもとは違う羽生挑戦者に力負けし、棋聖戦に挑戦するも、1日勝負は羽生さんの土俵だった。でも、棋聖戦はともかく、名人戦はギリギリの将棋でした。
 竜王戦は羽生対策を練っていたと思われますが、糸谷七段が勝ち上がってきて、1月あまりでは十分な対策を練られなかったということなのでしょうか。
 それとも、挑戦者のあまり感心できない所作にペースを乱されたのかも。それはともかく、読みが合わなかったと思われます。
 「序盤で優位に立ち、それをじりじり押し上げていく」という森内さんの長所が活かされる将棋にはならず、中盤の終わりからm、なかなか終盤にならないネチネチした将棋に持ち込まれてしまいました。

>英さんの詳しい解説を待っています

 う~ん、抱え込んでいる記事が多すぎて、ちょっと難しいかもしれません。
 今一つ、好きではない将棋。しかも、対局者に羽生名人がいないので、なかなか筆が進まないような気がします。
 期待しないで、お待ちください。
返信する
新竜王誕生! (Stanley)
2014-12-04 16:20:08
森内竜王が必勝の局面だったのに、いったいどこで間違えたのか?
多分132手目△9八桂成としないで、単に△6九竜としていたら・・・
161手で森内竜王が投了し、糸谷新竜王が誕生した。

英さんの詳しい解説を待っています。よろしく!

返信する
お恥ずかしい ()
2014-12-02 15:06:59
匿名希望さん、こんにちは。

>この記事とコメントのやり取りに敬意を表したかった

 ありがとうございます。
 ssayさんのコメントは素敵でしたが、私のレスは、心が揺れたせいか、文章がヨレテしまって、おかしいです。
 主語述語が微妙にずれていますし、「書きたいと思います」という表記も、「~したい」に「思う」でくどいですね。お恥ずかしい。
 ssayさんと私は盟友という仲だと思っています(堅い約束を交わしたわけではありませんが)。
 そんなモノを感じていただけたのなら、うれしいです。
 
返信する
いろいろ思い出された (匿名希望)
2014-12-02 11:00:58
この記事とコメントのやり取りに敬意を表したかった、それだけです。
返信する
記事を立てるとメールしましたが ()
2014-12-01 22:19:34
ssayさん、こんばんは。
気持ちの入ったコメント、ありがとうございます。

 55年組の台頭・没落、孤軍奮闘になった谷川九段、両巨頭の巻き返し、「まず羽生が駆け上り、それを追っていく大集団」など、ほとんど同感です(一応、総括部分で述べたつもりです)。
 ssayさんのコメントを読んで、書き切れていない事や新たに書きたくなった事もあるので、メールでは「すぐ書くよ」と返信しましたが、対談記事に関する記事とは遠く離れてしまうので、別の機会……竜王戦など新たな動きが出てきたので、来年の竜王戦終了辺りに書きたいと思います。
 まあ、記事が溜まり過ぎて消化できないのと、NHK杯戦、王将リーグ2敗目を喫したこともあり、テンションが下がったことも原因です。
返信する
これを肴に一晩中、いけます! (ssay)
2014-12-01 20:03:48
英さん、こんばんは。

ぼくが将棋ファンになったのは、
1984年度 米長-中原(4-3)
この十段戦七番勝負を面白いと感じてからです。
あれから、30年ですか・・・・・・・・・。

ですから、英さんが今回記述されたタイトル戦の歴史
(ほんと、ご苦労様です)を眺めていると、
様々な思いが湧いてきますよね。

これは英さんも十分認識されていることかと存じますが、
スポーツの世界もそうですが、なかなか「世代」で割り切って分析することはできませんよね。
それでも、ある突出した実績を残したケースで、
ちょうどその時に当てはまる世代がある場合もあります。
近年のサッカースペイン代表などはそれに当てはまるでしょうか。
一方、アルゼンチン代表のマラドーナなどは個人が突出しすぎていて、世代で語るには難しい。

今回、英さんが記述された将棋界の例で、
ぼくの見方を懐かしさと共に述べさせていただきます。

なかなか明確な世代間闘争とは参りませんが、時代の流れはあったと思われます。
高道九段が当時史上最低段位の五段で王位を獲得したあたりから、新時代の幕開けのような気がします。
一度加藤九段に取られますが、また取り返します。
そこから、いわゆる55年組が活躍し、一時は七大タイトルを20歳代の棋士に独占されるという事態になりました。
これは、もう、新時代到来と言っていいと思います。

そこからの、森下さんが言った結果論でしかない両巨頭の巻き返しですが、
これはマラドーナが94年のW杯アメリカ大会時点でもチームの精神的支柱であったのと同様、
米長、中原の両名が個人的に突出していたに過ぎません。

その後谷川九段が四冠になった時も、世代というよりは、
谷川個人の全盛期だったというふうに捉えています。

55年組は、あっさり舞台を降りてしまいましたよね。

そして、羽生七冠までの流れも、羽生世代というよりも、羽生名人個人が突出した存在だったという印象です。

やはり羽生七冠以降ですよね。
羽生世代、そして羽生のちょっと下の世代、
これが七冠以降、もう十年以上、一つの世代の塊として、
もちろん羽生名人が中心ではありますが、
将棋界を力強く牽引してきたという見方であります。

その中に多少なりとも割って入ってきた渡辺明という存在も、
世代というよりは、個人の力であると捉えています。
そう思いたいのではなくて、そう捉えるしかないのです。
そのくらい、分厚くて気高い、羽生世代の壁です。

ああ、でも、このタイトル戦の歴史を眺めていると、
語りたいことが次から次へと湧いてきますよね(笑)。
やっぱり、この30年、面白かったんだなあ。

これからも、面白くエキサイティングな将棋界であってほしい。
だから変な方向へ行かないでと思う、今日この頃です(笑)。
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