昨日、新年度受講分の教科書が届いたというご報告をしましたが、放送大学の良いところで、実はもう今からでも授業を聴くことができます。学期が始まれば各科目週に一度、全15回の授業が順次放送されていくのですが、一方でその15回の授業はすべてインターネットで配信されていて、いつでも視聴することができます。
昨春から実際に授業を受講してみて、15週間に渡る授業をコンスタントに同じペースでこなしていくのはやはり難しいということを実感していますので、昨秋からは、余裕のあるときには先行して、あるいは週に一コマと言わずまとめて学習していくようにしています。
という訳で、さっそく今日は「日本史史料論」の第1回と第2回のテキストを読み、その上でラジオ講義をインターネット配信で受講しました。もちろん、直接漢字や言葉の勉強をする主旨の科目ではありませんが、講義概要には「日本史の学習・研究において、歴史研究の素材である史料を正確に読解し理解することは、最も基本的な作業である。」 「大学院における日本史の学習・研究は、単に学説の理解だけでは不十分であり、自ら史料を読解し理解することが求められる。」とあります。
思い起こせば受験生の時、日本史は非常に好きで興味もあったのですが、受験対策という点では苦労しました。「好きなのに苦手科目」という、ちょっとおかしな状況だったのですが、「大学受験のため」という足枷(?)がはずれ、純粋に自分の興味で取り組めるのはありがたいことです。とっつきにくい歴史文献も、活字になったものを読む限りでは、漢字や言葉の勉強をしてきたおかげか、さして抵抗感なく読めるようになっている気がします。
ただ今回のこの科目、活字ではなく史料原文(当然、草書や変体仮名のオンパレード)を読みこなせるようになるための講座ですから、そう簡単ではありません。でも、教科書に「御堂関白記」(藤原道長の日記)の原本が載っている(残念ながら今はまだほとんど読めませんけれど・・・)のなどを見るにつけ、興味は尽きません。
それにしても、ほぼちょうど1000年前に我が国を治めていた道長の自筆文書が残っていて今それを読むことができるというのは、考えてみると本当にすごい、かつ、素晴らしいことですね。
昨春から実際に授業を受講してみて、15週間に渡る授業をコンスタントに同じペースでこなしていくのはやはり難しいということを実感していますので、昨秋からは、余裕のあるときには先行して、あるいは週に一コマと言わずまとめて学習していくようにしています。
という訳で、さっそく今日は「日本史史料論」の第1回と第2回のテキストを読み、その上でラジオ講義をインターネット配信で受講しました。もちろん、直接漢字や言葉の勉強をする主旨の科目ではありませんが、講義概要には「日本史の学習・研究において、歴史研究の素材である史料を正確に読解し理解することは、最も基本的な作業である。」 「大学院における日本史の学習・研究は、単に学説の理解だけでは不十分であり、自ら史料を読解し理解することが求められる。」とあります。
思い起こせば受験生の時、日本史は非常に好きで興味もあったのですが、受験対策という点では苦労しました。「好きなのに苦手科目」という、ちょっとおかしな状況だったのですが、「大学受験のため」という足枷(?)がはずれ、純粋に自分の興味で取り組めるのはありがたいことです。とっつきにくい歴史文献も、活字になったものを読む限りでは、漢字や言葉の勉強をしてきたおかげか、さして抵抗感なく読めるようになっている気がします。
ただ今回のこの科目、活字ではなく史料原文(当然、草書や変体仮名のオンパレード)を読みこなせるようになるための講座ですから、そう簡単ではありません。でも、教科書に「御堂関白記」(藤原道長の日記)の原本が載っている(残念ながら今はまだほとんど読めませんけれど・・・)のなどを見るにつけ、興味は尽きません。
それにしても、ほぼちょうど1000年前に我が国を治めていた道長の自筆文書が残っていて今それを読むことができるというのは、考えてみると本当にすごい、かつ、素晴らしいことですね。