古今和歌集を少しずつ読んでいるとご報告していましたが、通勤時間などを活用してようやく最初の二百首ほどまで進みました。高校時代に受験のための知識として選者や成立年、最初の勅撰和歌集であることなどは学習していましたが、中身を実際に見るのはほとんど初めてなので、今更ながらの個人的な「発見」もたくさんあります。例えば・・・
<真名序は巻末にある!?>
古今和歌集にはかなで書かれた「仮名序」、漢字で書かれた「真名序」の二つの序文があることは知識として知っていましたが、購入した書籍(「新版 古今和歌集」高田祐彦訳注 角川ソフィア文庫)では「仮名序」は巻頭にある一方、「真名序」は巻末に置かれています。「序文なのに巻末!?」とびっくりしましたが、同じ書籍の解説によると、「真名序が先に書かれ、それを基に書かれた仮名序が正式の序文になった、という説が有力」で、「仮名序はすべての伝本に備わるが、真名序は欠けていたり巻末に置かれていたりするなど、扱いが不安定」なのだそうです。面白いですね。
<四季ではやはり春と秋の歌が多い>
巻頭からの巻第一~第六の6巻が四季を歌ったもの。四季なのにどうして6巻あるかと言えば、春と秋がそれぞれ上下に分かれて2巻ずつあるからで、選定されている歌の数でも、夏歌34首、冬歌29首に対して春歌は134首、秋歌は145首と圧倒的に春と秋の歌が多くなっています。春と秋によりたくさんの歌が詠まれるというのは、感覚的に良くわかりますね。
<最多は恋の歌>
春歌、秋歌以上に多いのが恋歌。巻第十一~第十五の5巻にわたり、360首もの歌が選定されています。男女の恋愛が数多く歌われるのは、今も昔も変わらないということですね。
<短歌だけではない>
古今和歌集は万葉集と違い、選定されているのは短歌だけだと勝手に思い込んでいましたが、巻第十九「雑躰」には、長歌と旋頭歌(五七七五七七の六句からなる和歌)も採録されています。
・・・などなど。そんなことも知らなかったのかと言われそうで恥ずかしい「発見」も多いのですが、やはり何事も百聞は一見に如かずですね。(笑)
一読して解説を読まずとも意味もわかり、よみ人の心をなぞらえられる、というような領域にはまだまだほど遠いですが、変体仮名の読みと同様、少しずつ学んでいければなと思っています。しばらく楽しめそうです。 ^^
<真名序は巻末にある!?>
古今和歌集にはかなで書かれた「仮名序」、漢字で書かれた「真名序」の二つの序文があることは知識として知っていましたが、購入した書籍(「新版 古今和歌集」高田祐彦訳注 角川ソフィア文庫)では「仮名序」は巻頭にある一方、「真名序」は巻末に置かれています。「序文なのに巻末!?」とびっくりしましたが、同じ書籍の解説によると、「真名序が先に書かれ、それを基に書かれた仮名序が正式の序文になった、という説が有力」で、「仮名序はすべての伝本に備わるが、真名序は欠けていたり巻末に置かれていたりするなど、扱いが不安定」なのだそうです。面白いですね。
<四季ではやはり春と秋の歌が多い>
巻頭からの巻第一~第六の6巻が四季を歌ったもの。四季なのにどうして6巻あるかと言えば、春と秋がそれぞれ上下に分かれて2巻ずつあるからで、選定されている歌の数でも、夏歌34首、冬歌29首に対して春歌は134首、秋歌は145首と圧倒的に春と秋の歌が多くなっています。春と秋によりたくさんの歌が詠まれるというのは、感覚的に良くわかりますね。
<最多は恋の歌>
春歌、秋歌以上に多いのが恋歌。巻第十一~第十五の5巻にわたり、360首もの歌が選定されています。男女の恋愛が数多く歌われるのは、今も昔も変わらないということですね。
<短歌だけではない>
古今和歌集は万葉集と違い、選定されているのは短歌だけだと勝手に思い込んでいましたが、巻第十九「雑躰」には、長歌と旋頭歌(五七七五七七の六句からなる和歌)も採録されています。
・・・などなど。そんなことも知らなかったのかと言われそうで恥ずかしい「発見」も多いのですが、やはり何事も百聞は一見に如かずですね。(笑)
一読して解説を読まずとも意味もわかり、よみ人の心をなぞらえられる、というような領域にはまだまだほど遠いですが、変体仮名の読みと同様、少しずつ学んでいければなと思っています。しばらく楽しめそうです。 ^^