和地山公園は、浜松市中区に位置する野球やサッカーなどの運動公園です。
戦前は、旧陸軍の高射砲部隊としての練兵場でした。
浜松まつりの凧揚合戦が、この地で大正7年から戦前までの間、開催されていたそうです。
また、大正3年10月31日、当時の民間飛行士・星野米蔵氏が国産飛行機による展示飛行を行った記録があるそうです。
石碑は昭和5年、天皇陛下がこの練兵場に閲兵を行ったことを記念して、翌年に建てられたとの事。
この地の起源としては、隣りに位置する静岡大学浜松キャンパスにおいて、旧陸軍が所在することから始まります。
明治40年、歩兵六十七連隊が駐屯開始(大正14年、宇垣軍縮により廃止)、その後、歩兵第十八連隊第三大隊(第三師団)が配置、
昭和3年、高射砲第一連隊が愛知県豊橋から移駐。
終戦、昭和24年、静岡大学工学部を現在地に設置、現在に至る。
現在、旧陸軍の面影はなく、少年達のスポーツの場として存在しています。
戦前は、旧陸軍の高射砲部隊としての練兵場でした。
浜松まつりの凧揚合戦が、この地で大正7年から戦前までの間、開催されていたそうです。
また、大正3年10月31日、当時の民間飛行士・星野米蔵氏が国産飛行機による展示飛行を行った記録があるそうです。
石碑は昭和5年、天皇陛下がこの練兵場に閲兵を行ったことを記念して、翌年に建てられたとの事。
この地の起源としては、隣りに位置する静岡大学浜松キャンパスにおいて、旧陸軍が所在することから始まります。
明治40年、歩兵六十七連隊が駐屯開始(大正14年、宇垣軍縮により廃止)、その後、歩兵第十八連隊第三大隊(第三師団)が配置、
昭和3年、高射砲第一連隊が愛知県豊橋から移駐。
終戦、昭和24年、静岡大学工学部を現在地に設置、現在に至る。
現在、旧陸軍の面影はなく、少年達のスポーツの場として存在しています。
正確な年は忘れましたが、昭和40年頃までは凧揚げてましたよ。親戚近くだからよく見に行きましたよ。
親戚の話によると、戦争末期は高射砲陣地があったので空襲で周辺は焼かれて大変だったと言ってました。
当ブログへの書き込み、ありがとうございます。
ご教授ありがとうございます。
私の調べた文献だと、戦後、凧揚げ会場は
今の中田島砂丘になったとありました。
実際、戦後暫くは、和地山公園で開催されて
いたんですね。
管理人のESPERです。
稚拙な当ブログへの訪問により、懐かしい思い出が甦ったようですね。
ありがとうございます。
今後ともよろしくお願いします。
★あ(^-^) り(-^ ) が( ) と( ^-) う\(^0^)/★