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大阪府豊中市玉井町に「高校野球発祥の地記念公園」があります。
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大正2年(1913年)5月、箕面有馬電気軌道(現在:阪急電鉄)が大阪府豊能郡豊中村(現在:豊中市玉井町)に運動場を建設しました。
多目的グランドとしての「豊中グラウンド」が完成しました。
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当時の広さは2万平方メートル、陸上競技場としても使用されました。
また、日本フットボール優勝大会(現在:全国高等学校サッカー選手権大会及び全国高等学校ラグビーフットボール大会)の会場にもなりました。
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野球での使用時には、「豊中球場」とも呼ばれたようです。
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豊中グラウンドは、高さ約1メートルの赤いレンガ塀で外周を囲まれていました。
このレンガ塀は、土を持って造られたとされる観覧席の土砂が崩れるのを防ぐ役割として使われていました。
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豊中グランドが無くなった現在でも個人宅の塀として一部残されています。
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大正4年(1915年)8月18日、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在:全国高等学校野球選手権大会)が開幕しました。
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開幕戦となった広島中(現在:広島国泰寺高校)-鳥取中(現在:鳥取西高校)での始球式
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同大会は、翌年の第2回大会まで当地において開催されました。
観客数増加により第3回大会からは、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在:西宮市鳴尾町)にある鳴尾球場へ移されました。
大正末期、豊中グラウンドは再造成されて住宅地になりました。
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昭和63年(1988年)、第70回全国高等学校野球選手権大会を記念し、グラウンド跡地北側に「高校野球メモリアルパーク」を開設。
平成29年(2017年)4月6日、豊中市により再整備され「高校野球発祥の地記念公園」となりました。
高校野球の聖地といえば阪神甲子園球場ですが、発祥地は豊中であることを改めて知る事ができました。
当地における出会いに感謝したいです。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"
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大正2年(1913年)5月、箕面有馬電気軌道(現在:阪急電鉄)が大阪府豊能郡豊中村(現在:豊中市玉井町)に運動場を建設しました。
多目的グランドとしての「豊中グラウンド」が完成しました。
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当時の広さは2万平方メートル、陸上競技場としても使用されました。
また、日本フットボール優勝大会(現在:全国高等学校サッカー選手権大会及び全国高等学校ラグビーフットボール大会)の会場にもなりました。
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野球での使用時には、「豊中球場」とも呼ばれたようです。
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豊中グラウンドは、高さ約1メートルの赤いレンガ塀で外周を囲まれていました。
このレンガ塀は、土を持って造られたとされる観覧席の土砂が崩れるのを防ぐ役割として使われていました。
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豊中グランドが無くなった現在でも個人宅の塀として一部残されています。
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大正4年(1915年)8月18日、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在:全国高等学校野球選手権大会)が開幕しました。
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開幕戦となった広島中(現在:広島国泰寺高校)-鳥取中(現在:鳥取西高校)での始球式
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同大会は、翌年の第2回大会まで当地において開催されました。
観客数増加により第3回大会からは、兵庫県武庫郡鳴尾村(現在:西宮市鳴尾町)にある鳴尾球場へ移されました。
大正末期、豊中グラウンドは再造成されて住宅地になりました。
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昭和63年(1988年)、第70回全国高等学校野球選手権大会を記念し、グラウンド跡地北側に「高校野球メモリアルパーク」を開設。
平成29年(2017年)4月6日、豊中市により再整備され「高校野球発祥の地記念公園」となりました。
高校野球の聖地といえば阪神甲子園球場ですが、発祥地は豊中であることを改めて知る事ができました。
当地における出会いに感謝したいです。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゚・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゚。】ヽ(*´∪`*)ノ"
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