![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/92/d9925c08df4325ab0c462170ab97103f.jpg)
伊藤公記念公園は、山口県光市束荷に位置する公園施設です。
日本の初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろふみ)公の功績などを紹介しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/6d/ea7a8374375015d05ef3a54997ab730a.jpg)
同園内は、伊藤公自身が設計した建物などがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/63/26f4276099cfd4a67a12cc67cf0ee379.jpg)
伊藤博文(いとうひろふみ)公は、武士(長州藩士)、政治家を経て日本の初代内閣総理大臣を務めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a2/bd11885f4ffe838cdf0973236f9a456d.jpg)
石碑「伊藤公の絶筆」
日露戦争後における自身のやり切れなさを伝えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/db/5d3d45a7ce6c16b5b64ac819dd20357d.jpg)
石碑「悠然天地心」
伊藤公が明治天皇の行幸に随行し、山口県訪問の際に読まれた漢詩の一節です。
“第九十代 内閣総理大臣 安倍晋三”の筆により刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/91/e1a57a003d3c3e72acbfd0740a924038.jpg)
伊藤公は、日本銀行券C千円券(千円紙幣)(昭和38年11月1日から昭和59年11月1日の間)の肖像として
採用されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f6/9c486818c5324b2a7fbd83ed397c1c6f.jpg)
○伊藤公生家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b3/20a5470a8906491273845ede3877f854.jpg)
伊藤公誕150年にあたる平成3年(1991年)に復元されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4c/c23aae7ea63b6716b036d46aab5870a5.jpg)
伊藤公は天保12年(1841年)9月2日、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現在:山口県光市束荷字野尻)の林十蔵
(後に重蔵)の長男として生まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/26/f88d11c0d37f04b00a0b77ab21aecdf4.jpg)
幼名は“林利助”といい、6歳まで当地にて育ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4a/07108e9c2fb9225cd32b3caae3585681.jpg)
「伊藤公産湯の井戸」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/82/e291c196be0d78095058d9020fb29121.jpg)
「産湯の水」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/30/a4ce76da2d44c7dada13af03736302b2.jpg)
○伊藤公資料館
伊藤公の遺品展示や業績が紹介されています。
鎖国を解き、植民地にされそうな危機を回避しながら新政府を樹立して、明治末には欧米列強と肩を並べるまでに
なった日本の動きが学習できます。
残念ながら、館内は撮影禁止でした。(×_×)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/80/470104e1ccabd422a458759941bd87c2.jpg)
○旧伊藤博文邸(県指定有形文化財)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/21/615788d113bc97c7541caaa7fb05404c.jpg)
同邸は明治43年(1910年)、伊藤公の遠祖・林淡路守通起の没後300年にあたり、林一族及び伊藤家を集めて
法要を行うために建てられた建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/81/dc029d0eb5bfcbe275fcb3e80dcca873.jpg)
建築には山口県知事・渡辺融(とおる)、貴族院議員・室田義文両氏が監督となり、施工は清水組(現在:清水建設)が
当時の2,291円38銭で請け負いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/44/a4d79039405b3ce1239f244c38bebaed.jpg)
伊藤公自らが基本設計を行い完成を望んでいましたが、明治42年(1909年)10月、完成を目前に凶弾に倒れ、
故郷に戻ることなくその生涯を終えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/423d304cd2fafcf9a1770abfa04d5327.jpg)
本館は、洋館木造モルタル二階建て延床面積298平方メートルの建物です・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/58/3c61c543986e1e60ce1e6efceeed86a2.jpg)
平成14年(2002年)7月から保存修理工事を着工し、軸部等の部分修理や屋根の葺き替え、車寄せ部分を
明治45年建築当初の姿に復し、平成16年(2004年)2月に竣工しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/fc/a3a29b6f04c9899a1697f1e82b98814a.jpg)
現在は、県指定有形文化財に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/05/b8b0e85e75a3f34c90432c1794f8c6a3.jpg)
伊藤公は大日本帝国憲法の起草の中心人物となるほか、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣及び
初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任しました。
伊藤公を通じて、あらためて日本史を学習することができました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゜・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゜。】ヽ(*´∪`*)ノ"
日本の初代内閣総理大臣・伊藤博文(いとうひろふみ)公の功績などを紹介しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/6d/ea7a8374375015d05ef3a54997ab730a.jpg)
同園内は、伊藤公自身が設計した建物などがあります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/63/26f4276099cfd4a67a12cc67cf0ee379.jpg)
伊藤博文(いとうひろふみ)公は、武士(長州藩士)、政治家を経て日本の初代内閣総理大臣を務めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a2/bd11885f4ffe838cdf0973236f9a456d.jpg)
石碑「伊藤公の絶筆」
日露戦争後における自身のやり切れなさを伝えています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/db/5d3d45a7ce6c16b5b64ac819dd20357d.jpg)
石碑「悠然天地心」
伊藤公が明治天皇の行幸に随行し、山口県訪問の際に読まれた漢詩の一節です。
“第九十代 内閣総理大臣 安倍晋三”の筆により刻まれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/91/e1a57a003d3c3e72acbfd0740a924038.jpg)
伊藤公は、日本銀行券C千円券(千円紙幣)(昭和38年11月1日から昭和59年11月1日の間)の肖像として
採用されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f6/9c486818c5324b2a7fbd83ed397c1c6f.jpg)
○伊藤公生家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/b3/20a5470a8906491273845ede3877f854.jpg)
伊藤公誕150年にあたる平成3年(1991年)に復元されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/4c/c23aae7ea63b6716b036d46aab5870a5.jpg)
伊藤公は天保12年(1841年)9月2日、周防国熊毛郡束荷村字野尻(現在:山口県光市束荷字野尻)の林十蔵
(後に重蔵)の長男として生まれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/26/f88d11c0d37f04b00a0b77ab21aecdf4.jpg)
幼名は“林利助”といい、6歳まで当地にて育ちました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/4a/07108e9c2fb9225cd32b3caae3585681.jpg)
「伊藤公産湯の井戸」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/82/e291c196be0d78095058d9020fb29121.jpg)
「産湯の水」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/30/a4ce76da2d44c7dada13af03736302b2.jpg)
○伊藤公資料館
伊藤公の遺品展示や業績が紹介されています。
鎖国を解き、植民地にされそうな危機を回避しながら新政府を樹立して、明治末には欧米列強と肩を並べるまでに
なった日本の動きが学習できます。
残念ながら、館内は撮影禁止でした。(×_×)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/80/470104e1ccabd422a458759941bd87c2.jpg)
○旧伊藤博文邸(県指定有形文化財)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/21/615788d113bc97c7541caaa7fb05404c.jpg)
同邸は明治43年(1910年)、伊藤公の遠祖・林淡路守通起の没後300年にあたり、林一族及び伊藤家を集めて
法要を行うために建てられた建物です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/81/dc029d0eb5bfcbe275fcb3e80dcca873.jpg)
建築には山口県知事・渡辺融(とおる)、貴族院議員・室田義文両氏が監督となり、施工は清水組(現在:清水建設)が
当時の2,291円38銭で請け負いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/44/a4d79039405b3ce1239f244c38bebaed.jpg)
伊藤公自らが基本設計を行い完成を望んでいましたが、明治42年(1909年)10月、完成を目前に凶弾に倒れ、
故郷に戻ることなくその生涯を終えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/1d/423d304cd2fafcf9a1770abfa04d5327.jpg)
本館は、洋館木造モルタル二階建て延床面積298平方メートルの建物です・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/58/3c61c543986e1e60ce1e6efceeed86a2.jpg)
平成14年(2002年)7月から保存修理工事を着工し、軸部等の部分修理や屋根の葺き替え、車寄せ部分を
明治45年建築当初の姿に復し、平成16年(2004年)2月に竣工しました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/fc/a3a29b6f04c9899a1697f1e82b98814a.jpg)
現在は、県指定有形文化財に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/05/b8b0e85e75a3f34c90432c1794f8c6a3.jpg)
伊藤公は大日本帝国憲法の起草の中心人物となるほか、初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣及び
初代枢密院議長、初代貴族院議長、初代韓国統監を歴任しました。
伊藤公を通じて、あらためて日本史を学習することができました。
ありがとうございました。
ヾ(*´∪`*)oc<【。゜・+:.・ァリガトゥゴザィマシタ・.:+・゜。】ヽ(*´∪`*)ノ"
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