周南市大津島には、人間魚雷「回天」の発射訓練基地の跡があります。
当地は九三式魚雷の発射試験を行うためとして昭和14年に建設されました。
その後、九三式魚雷を改造した回天を扱うための必要な設備が備わっていることから当地が選定されました。
「回天運搬用トンネル」
整備された回天はトロッコで発射場まで運ばれ、搭乗員もトンネルを抜けて回天に乗り込みました。
調整工場(現在:大津島小学校、同中学校)から回天を運んだレール跡が残っています。
仲間へ手を振る回天の搭乗員
どのパネル写真を見ても胸が締め付けられるような気持ちになります。
トンネルを抜けました。
試験場の建物が見えます。
「魚雷発射試験場跡」
調整工場(現在:大津島小学校、同中学校)からトンネルを経由して運ばれた“魚雷”を天井クレーンで穴から海面に降ろされていました。
昭和19年9月1日、この地に回天訓練基地が開設され、回天の訓練が開始されました。
ここを基点として馬島や大津島を一周する訓練コースが設定され、多くの若者が回天の操縦訓練が行われました。
その訓練は終戦の日、昭和20年8月15日まで続けられたとのこと。
この地を訪れて回天記念館を見学した際と同じく、この史実を忘れずに後世へ伝えていくことが今を生きる私たちの義務だと感じました。
命をかけてくれた先人の思いを無駄にしないために。
ありがとうございました。 <(_ _)>
当地は九三式魚雷の発射試験を行うためとして昭和14年に建設されました。
その後、九三式魚雷を改造した回天を扱うための必要な設備が備わっていることから当地が選定されました。
「回天運搬用トンネル」
整備された回天はトロッコで発射場まで運ばれ、搭乗員もトンネルを抜けて回天に乗り込みました。
調整工場(現在:大津島小学校、同中学校)から回天を運んだレール跡が残っています。
仲間へ手を振る回天の搭乗員
どのパネル写真を見ても胸が締め付けられるような気持ちになります。
トンネルを抜けました。
試験場の建物が見えます。
「魚雷発射試験場跡」
調整工場(現在:大津島小学校、同中学校)からトンネルを経由して運ばれた“魚雷”を天井クレーンで穴から海面に降ろされていました。
昭和19年9月1日、この地に回天訓練基地が開設され、回天の訓練が開始されました。
ここを基点として馬島や大津島を一周する訓練コースが設定され、多くの若者が回天の操縦訓練が行われました。
その訓練は終戦の日、昭和20年8月15日まで続けられたとのこと。
この地を訪れて回天記念館を見学した際と同じく、この史実を忘れずに後世へ伝えていくことが今を生きる私たちの義務だと感じました。
命をかけてくれた先人の思いを無駄にしないために。
ありがとうございました。 <(_ _)>
私も以前、回天搭乗員だったとおっしゃっていた方と短期間でしたが一緒に仕事をさせてもらいその合間に少しだけお話を聞くことがありました。
今から思えばもっともっとお話を聞いておくべきだったと反省しております。
私もいつか必ず訪れてみたいと願っております。
この島への訪問は遅すぎました感があります。
特攻機が離陸した航空基地とは全くちがった雰囲気があります。
多くの方々には、この史実を知って欲しいと思います。