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「境台場跡」は、鳥取県境港市花町に所在する史跡です。
本史跡は、幕末文久3年(1863年)に築かれた鳥取藩台場8カ所の一つです。
幕末の攘夷思想の高まりを基盤とし、直接的には文久3年6月、大坂天保山の砲台から英船を砲撃した
鳥取藩の方針により、藩内の重要港湾に台場を築造。
昭和63年7月27日、国指定史跡に指定。
画像にある建物は、山陰最初の灯台を復元した『境港灯台』です。
港の入口を守った海の交通遺跡です。
<境港市の案内板から引用要約>
明治28年11月に開設された木造六角洋式灯台。
高さ9.09m、不動白光電灯3,500燭光、約23kmの沖合いまで光が届いた。
松江市に所在する美保関灯台よりも3年早く、山陰最初の歴史的な灯台であった。
入港船に境港の入口を知らせ、長く郷土の発展に尽くしてきたが、昭和9年廃灯、昭和40年解体。
本灯台は平成3年3月、新しい境港市の歴史と繁栄の象徴として旧地に復元されたものである。
同じ明治28年開設されて現存する山形県の酒田市の灯台をモデルとした。
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石柱「境航路標識」(細部不明)
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「水平型日時計」
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境港市出身の俳人・木村蕪城「句碑」石碑
『読初の 出雲風土記に 国を恋ふ』と刻まれています。
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「慰霊塔」
この塔は、昭和二年八月二四日の暗夜、美保湾沖で、戦艦「長門」「陸奥」以下六十余隻の日本海軍連合艦隊
が大演習を行った際、巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の二重衝突によって、
(地蔵崎灯台北東約二十浬~二十四浬の地点)沈没した「蕨」と大破した「葦」の殉職者の塔である。
※碑文から引用
当時の境港町(現在:境港市)の人たちによって建立
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本衝突事故については、一般的に「美保関事件」と呼ばれています。
また、“日本海軍美保関沖遭難事件”の記述もあります。
<<事故概要>>
昭和2年8月24日、旧海軍による夜間演習中での艦艇の多重衝突事故
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する大破「蕨」は沈没。
「神通」を避けようとした後続の軽巡洋艦「那珂」も駆逐艦「葦」に衝突し、両艦も大破。
本事故により、119名が殉職。
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昭和2年、当地にて供養塔を建立し、永く英霊を慰めることになります。
翌年には、呉海軍軍需部保管の機雷と砲身、鉄鏈(てつれん)20米が備付け記念品として下付されます。
※「海軍省公文備考」(防衛研究所)から引用
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当地は、文久3年に構築された由緒により「文久山砲台」とも呼ばれたとのこと。
土塁跡には明治40年の皇太子(大正天皇)山陰行啓記念植樹の黒松林が育ち、さらに300本を越す桜が
植樹され、現在は『台場公園』として市民憩いの場として至っています。
山陰の重要港湾として繁栄した近世の境港の歴史を学ぶ上で重要な史跡でした。
ありがとうございました。 <(_ _)>
本史跡は、幕末文久3年(1863年)に築かれた鳥取藩台場8カ所の一つです。
幕末の攘夷思想の高まりを基盤とし、直接的には文久3年6月、大坂天保山の砲台から英船を砲撃した
鳥取藩の方針により、藩内の重要港湾に台場を築造。
昭和63年7月27日、国指定史跡に指定。
画像にある建物は、山陰最初の灯台を復元した『境港灯台』です。
港の入口を守った海の交通遺跡です。
<境港市の案内板から引用要約>
明治28年11月に開設された木造六角洋式灯台。
高さ9.09m、不動白光電灯3,500燭光、約23kmの沖合いまで光が届いた。
松江市に所在する美保関灯台よりも3年早く、山陰最初の歴史的な灯台であった。
入港船に境港の入口を知らせ、長く郷土の発展に尽くしてきたが、昭和9年廃灯、昭和40年解体。
本灯台は平成3年3月、新しい境港市の歴史と繁栄の象徴として旧地に復元されたものである。
同じ明治28年開設されて現存する山形県の酒田市の灯台をモデルとした。
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石柱「境航路標識」(細部不明)
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「水平型日時計」
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境港市出身の俳人・木村蕪城「句碑」石碑
『読初の 出雲風土記に 国を恋ふ』と刻まれています。
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「慰霊塔」
この塔は、昭和二年八月二四日の暗夜、美保湾沖で、戦艦「長門」「陸奥」以下六十余隻の日本海軍連合艦隊
が大演習を行った際、巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」、巡洋艦「那珂」と駆逐艦「葦」の二重衝突によって、
(地蔵崎灯台北東約二十浬~二十四浬の地点)沈没した「蕨」と大破した「葦」の殉職者の塔である。
※碑文から引用
当時の境港町(現在:境港市)の人たちによって建立
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本衝突事故については、一般的に「美保関事件」と呼ばれています。
また、“日本海軍美保関沖遭難事件”の記述もあります。
<<事故概要>>
昭和2年8月24日、旧海軍による夜間演習中での艦艇の多重衝突事故
軽巡洋艦「神通」と駆逐艦「蕨」が衝突事故を起こし、「神通」は艦首を喪失する大破「蕨」は沈没。
「神通」を避けようとした後続の軽巡洋艦「那珂」も駆逐艦「葦」に衝突し、両艦も大破。
本事故により、119名が殉職。
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昭和2年、当地にて供養塔を建立し、永く英霊を慰めることになります。
翌年には、呉海軍軍需部保管の機雷と砲身、鉄鏈(てつれん)20米が備付け記念品として下付されます。
※「海軍省公文備考」(防衛研究所)から引用
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当地は、文久3年に構築された由緒により「文久山砲台」とも呼ばれたとのこと。
土塁跡には明治40年の皇太子(大正天皇)山陰行啓記念植樹の黒松林が育ち、さらに300本を越す桜が
植樹され、現在は『台場公園』として市民憩いの場として至っています。
山陰の重要港湾として繁栄した近世の境港の歴史を学ぶ上で重要な史跡でした。
ありがとうございました。 <(_ _)>
松や桜の木が生い茂っていて目立ちません。
当地は、お花見の名所なので、「台場公園」で通じますよ。
桜の満開時期に行かれる事をお勧めします。
ワーイ♪ゝ(冖(ェ)冖ゝ)(ノ◎¬▽¬)ノワーイ♪