山笠も カンカン照りて 蕎麦を食い
梅士 Baishi
出の日曜日である。
いつもより、気が抜けている。
明日は日曜日かと、ふと勘違いする。
え~~~~、あした月曜日~~~。
今日が日曜日であることを自覚するべく、ギターを一曲
かき鳴らした。
ヤイリのギターは安物でもつくりが良く、音も良い。
しかし、60年代のオールドヤマハ№100の深みには勝て
ない。
家では、アストリアスのルネサンスを愛用するが、それく
らいでちょうど良い。
分相応である。
モグラのように穴から外に出てふらふらと昼飯の筋を辿った。
お櫛田さんの近くを通り過ぎ、結局あたまをカンカン照ら
されながら、元に戻って、ざる蕎麦を食った。
低カロリー、アンチエイジングの健康食、すりこんだわさび
がピリッと血液を浄化する感じで、涼しい昼食となった。
まあ、途中に見かけた中洲や土居の山笠も見ようによっ
ては力作だが、千代の迫力には遠く及ばない。
千代の飾り山がやっぱり一番だった。
東流も横綱級だが、一歩譲っている。
飾り山笠の勝敗は決した。
【 なぜ日本人は社会主義政権を求めるのか 】
愚かなことに、日本国民は、かつてない亡国・社会主義
政権を選んでしまったことである。
菅に至っては、何の誠意もなく、亡国の野望に燃えている。
それにしても、なぜ、日本国民は社会主義を選択するのか。
社会主義の嘘に騙されるのか。
一言で言えば、おもらいしたい家畜に成り下がっているか
らである。
餌をばら撒けば集まってもっと餌くれと泣き喚くのである。
なんのことはない。
国民を国ごと売るためであり、家畜国民を食うためである。
社会主義の権力欲とは、バカな家畜を手なずけて、バカな
奴らだとほくそ笑んでいるのである。
国民は、自分たちの代表を選んだのではなく、餌を選んだ
のである。
それが家畜の習性である。
だったら、選挙では餌をばら撒くのがよい。
嘘八百ならべて、よだれをたらすバカどもの票を集めた
ほうが勝ちである。
これが従来の選挙であった。
それをしようとしないのが、幸福実現党である。
家畜に法を説いて、正論を説いて、苦労して努力して、世
の中を作り変えようなどと、本気でやっているから素人呼ば
わりされるのだ。
たしかに、民主主義の原点には、国民への信頼がある。
家畜ではなく、仲間としての寛容がある。
信仰とは、そうした神のみでなく、人をも信頼しようとする。
愚かな、とは思うが、エル・カンターレがそうするのだから、
そうなのである。
日本人は家畜に堕落していると思うが、主がそうではない
とおっしゃるなら、そう信じて教化啓蒙するほかないであ
ろう。
やっぱり劣等な人間だと思うのだが・・・。
しゃ~しゃ~として人間面をして、それでいて、餌を欲しが
るのが許せないと思うのだが・・・。
やっぱり、自分はレプ系列なのだろうか。
獰猛な気持ちが裁き心のように湧いてくるのだが・・・。
放射能も別にこわくない。
ゴジラの吐く息は放射能だから。
それにしては優秀ではなかったかな~。
あんな小ざかしい司法試験に受からなかったなんて・・・。
カッパ型レプタリアンだろうか・・・。
泳ぐの好きだし、魚も大好きだし・・・。
「レプタリアンの逆襲」を読んでない人には意味不明であろう。
既に、差がついているのである。
やっぱり、自分は優秀なのかもしれない。
ともかく、バカで愚かな日本国民も信じてやらなければ
ならないようだ。
しかし、一人前の人間ならば、ばら撒きを欲しがるな!
欲しがるのは、家畜動物の習性だ。
お前らが家畜なら、食うぞ!
福祉とは、豊かな人間が、おすそ分けに慈悲を垂れて
やることなのである。
貧乏人が福祉、福祉と泣くんじゃない!
ナイチンゲールの福祉は英国有数の貴族だったからに
他ならない。
力もないくせに、福祉を施すなどとは思わないことだ。
他人の財産にたかってまで、弱者に分け与えるというのは、
義賊とはいえ、ドロボーなのだから。
福祉ビジネスなら、ちゃんと稼げるように、ビジネスとして
考えることだ。
卑しい福祉主義(社会主義)論者にはなるなかれ!
社会主義とは、義賊を騙るドロボー思想にほかならない。
自由主義とは自助努力の精神に咲く花である。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi