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+ 通り雨・・・ 犯罪本質論~ 行為無価値・社会防衛論の再評価

2011年07月05日 07時45分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 通り雨  雷神激geki し  人走り

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 風は吹いていたが、どうせのんびりとした曇りだろうと

思っていた。

 ところが、昼頃に土砂降りが駆けていった。

 目の前の雨の大きいこと。

 そして雷が光った。

 有事の様相に、人が右往左往した。

 

 そろそろ、梅雨も明けるっぺ。

 どか雨がざんぶり落ちるっぺなあ・・・。

 

 そういえば、宇都宮は雷の名所であった。

 大雨、大洪水にご用心。

 獅子身中の虫を押し流したいそうですので・・・。

  

 

  

  

  

  

 犯罪本質論~ 行為無価値・社会防衛論の再評価 

 


 刑法における犯罪本質論は、結果無価値論をベースに

している。

 権力は恐ろしい、何をするかわからないというフランス的

権力不信をベースにして犯罪の成立を制限的に解釈する。

 その分、国家の免疫力は落ちている。

 

 確かに、人は権力をもつと横暴になりやすい。

 日本でも拷問やそれに類したことは大いにあったし、今でも、

その惧れを危惧することはあるだろう。

 あるいは、権力は本質的に国民の自由を制限する立場に

あるが故に、小さな政府を目指すべきだというのは正論で

あろう。

 

 現代の肥大化した公務員組織は、国民から税金を取り立

てて自己保身を図る組織になっているのをみても、小さな

公務員組織に仕立て直す必要がある。

 公務員組織は国民の自由と財産に寄生する。

  

 しかし、それでも警察制度は社会の安全を守り規律を

維持するためには欠かせない。

 検察の立証責任をあいまいにしてはいけないが、立証

できたことを前提にすれば、犯罪の本質は危険犯であると

いうべきである。

 その結果、犯罪の成立範囲が広がるとしても、それは必要

なことである。

 

 結果無価値とは、犯罪行為の結果として実害(構成要件的

法益侵害)が発生したことを犯罪認定の基本とする考えであ

るが、殺人未遂を考えた場合は、被害者を想定しなければ

ならないのか否かという問題にもなる。

 

 しかし、犯罪の本質を、個人法益侵害に対するペナルティー

というなら、全て親告罪とすべきであろうし、あえて、国家が

司法権力で裁く意味はないということにもなろう。

 すなわち、犯罪の本質は国家社会の安全を脅かす危険で

不道徳な行為から社会を防衛するという意味が基本にある

と考えるべきなのである。

 

 その上で、教育刑として死刑を含む処断がなされるという

考えでよいのではないか。

 死刑の教育性は、けじめという反省と、処刑までの反省

期間にあるし、あの世での反省を容易にするという意味もある。

 

 「個人的法益に対する罪」という考え方にも、結果無価値で

はなく、行為無価値・社会防衛の観点が基本にあるという

ことを反省すべきである。

 

 たとえ、人形を狙撃した場合であっても、行為者の立場

からそれが生きた人間と見える状況であれば、これに乱射

した者は殺人未遂の危険性をもった者であり、こうした凶悪

な行為におよぶ人間から社会を守る必要があるということ

になる。

 

 すなわち、殺人未遂で処断すべきだと言うことである。

 刑罰についても、社会防衛・教育刑の観点から再整備さ

れるべきであろう。

 そこに危惧される権力の横暴を防止する仕掛けは別途

考慮されるべきことである。

 

 自由主義的観点から国家権力を警戒する考え方の延長

線上に社会主義の発想があり、アナーキズム(無政府主義)

がある。

 

 亡国・民主党は、国家はないほうが良いのだという国家

無価値の思想を持っていると思われる。

 60年安保、70年安保の頃の左翼学生に蔓延していた

国家観ではなかったか。

 亡国こそは、彼らの理想であるということである。

 

 しかし、権力無き社会秩序はない。

 権力無き自由は無いということである。

 だからこそ、権力は愛国心、さらには信仰心という私心を

超えた正義への謙虚が求められるのである。

 

 因みに、刑法の空洞化も問題である。

 猥褻の罪、堕胎罪というのも、もう一度立て直す必要が

ある。 

 表現の自由を社会主義的にしてはならないし、人命の尊重を

胎児にまで認めることも必要である。

 性のモラルとは、社会的退廃防止の理性でもある。

 

 そもそも、性がなければどうなのかを考え直してみることだ。

 そこに、性のモラルということも見えてくるのではないだ

ろうか・・・。  

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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