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+ 夾竹桃の紅の路・・・ 祝・ご生誕祭  平等思想の真髄  奪う論理としての平等社会主義を許すな

2011年07月10日 18時15分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 盆の路  夾竹桃の  花紅く

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 7月15日の盆まで、あと5日あまりになった。

 今日は流舁、明日は朝流舁と他流舁となって、いよいよ

激しく動き始める。

 12日は追い山笠ならし、水曜日の13日は日中の山笠

が最高潮となる集団山見せと流れ込み、金曜日の15日が、

早朝のフィナーレ追い山となるのである。

 

 しかし、今日は何事も無く、暑眠を決め込んでいる。

 東京幕張メッセではご生誕祭と講演が行われたのだろう。

 組織外の信者には遠い世界のことである。

 今はもう、若者たちが教団を支えている。

 昔は東京まで出かけていたものだが、ずいぶんと大きな

教団に発展したことである。

 

 その空にUFOフリートは出現したのだろうか。

 宇宙時代の法が、救世の法として説かれている。

 こうした発想や思想は救世主以外には説き得ないこと

である。

 日本人は謙虚になるべきなのだ。

 

 神も仏も、人間の肉体に宿れば、せいぜい、慈悲深い王

ないし指導者として働く短い人生の頸木からは逃れられ

ない。

 それを、所詮人ではないかと勘違いしてはならないのだ。

 その見分けは、その説く法の大きさ、深さ、叡智というべき

先見性に秘められている。

 

 法を理解しない限り、人間に宿って降臨した救世主を認め

ることはできないであろう。

 日本に降臨したのは、仏陀の頃からの計画であったろう。

 今がその時であるとは・・・。

 

 

  

  

 夏口に  夾竹桃の  紅を引き

   梅士 Baishi  

  

 

 

  

 平等思想の真髄~ 奪う論理としての平等を許すな 


 一党独裁の恐怖政治を生むために使われるイデオロギー

が「平等」という言葉だろう。

 差別なき世を作るために、みなが等しく暮らせる世の中を

作るために、といえば聞こえが良いが、全員が平等と言う

ことはありえないことである。

 

 なぜなら、社会あるところに権力があり、これを頂点に序列

階級が生まれるものだからである。

 社会も組織も、そうしたものである。

 平等という組織は既に、組織ではないのだ。

 

 社会主義社会であっても、権力者は平等世界にはいない。

 権力は常に、自由と競争の中にもまれて、社会に君臨する

ものである。

 それが、世の中を統治する権威としての必然なのだ。

 

 

 結局、「平等社会」は永遠に来ない独裁のためのプロパガ

ンダといってよい。

 自由を排除する平等などあってはならないことなである。

 平等とはいわば、太陽の光のようなものであろう。

 与える側の論理である。

 分け隔てなく与えよということである。

 

 ところが、社会主義では、奪うための論理として平等が

用いられている。

 格差是正・再配分と言う名の下に、義賊気取りに富者から

奪い、弱者に配分する。

 

 即ち、左翼の平等主義とは、自由を奪い、差別して与え

るのである。

 しかも、権力者は不平等の勝者の側に居る。

 すでに平等ではないのだ。

 

 市川房江が理想の国だという北朝鮮は世襲制の一党独裁

恐怖政治の盗賊国家であり、中国も権力者が貪り争う一党

独裁の差別国家である。 

 平等の仮面を被った社会主義思想の呪いは解かねばな

らない。

 

 確かに、身分差別の合理性は失われた。

 お助け小屋のような制度も必要だろう。

 そこに近代的平等主義の意味はあったろう。

 

 しかし、それ以上に奪う論理としての平等があってはなら

ないし、自由を奪う平等であってもならないのである。 

 独裁的支配の化けの皮というべき「平等主義」とは、奪う

論理としての平等主義である。

 逆差別の平等主義である。

 

 農業者への補助金、漁業者への補助金など、特定の職業

者への補助金は差別ではないか。

 公務員と言う自由主義の例外を30兆円もの人件費で賄う

ということも異常な自由制限と税金という収奪制度である。

 これを国家社会主義の肥大化というのだ。

 

 平等の真髄、それは、人は皆、自助努力の自由を享受

するということにある。

 すなわち、自由の本質を個人の視点ではなく、社会的な

視点でみたものというべきであろう。

 

 自由の本質は、弱肉強食ではなく、切磋琢磨し、慈悲を

与える者となる誉れにこそある。

 それを教えるのが「平等主義」の真髄であろう。 

 

 平等の名の下に、所得再配分という奪う論理を振りかざ

してはならない。

 それ自体が差別である。

 平等の名の下に、自由を制限し、奪うことを正当化する

社会主義を許してはならない。

 

 福祉事業は本来、人々や企業の寄付、植福によって賄わ

れるべきものである。

 社会主義政権を許してはならない。

 

 愛国、愛国民の国を創るべきである。

 だからこそ、信仰が大切なのだ。

 信仰とは愛だからである。

 これこそ、平等思想の真髄である。

  

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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