雪よりも 冷たき風の 日も暮れて
梅士 Baishi
読書をしながら居眠りし、雑煮を食っては眠りこける。
読書が連想のスピードに追い付かないと夢になるのだろうか。
今日は一日隠居のように、庭鳥をながめ、ギターを練習し、読書
をし、居眠りをし、早風呂をするという休日だった。
二カ月間音信不通だった会社から協力依頼の電話があった。
まだ倒産していないらしい。
どうやって資金をつないでいるのだろうか。
しかし、資金さえあれば大いに将来性のある技術をもっているが
経営力が乏しい。
経営には組織のマネジメント力と提案力が欠かせない。
そういうのを助けるのが本来のバンカーであるはずなのだが・・・。
実に日本の銀行は情けない。
本来、銀行とは、金融と企業育成が仕事である。
もう一つは、子供の将来投資としての教育ローンを進めてほしい
ということだ。
そういうことができないでは、ただの賤しい金貸しにすぎないので
ある。
財務省を解体しなければ、バンカー精神の復興はないのだろう。
ならば、財務省を廃止するべきである。
その代わり、民間の人材を入れて、日銀も併合する形で恵比寿
大黒省を組織するとよいのではないか。
そして、知能指数の高い者を兵隊に使い、軍師的人材を上に置
く組織にしなければならい。
そこに、民間登用の人事が必要な理由がある。
【 イスラム社会主義の間違い 】
オサマ・ビン・ラディンのインタヴュー霊言を一読したが、結論とし
ては中国と相通ずるイスラム社会主義の危険思想であると思う。
武士道を尊敬する心情は分からなくもない。
たしかに、日本は武士道を失い、堕落している。
しかし、武士道から無差別テロの論理は出てこない。
何が間違っているのか。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」という葉隠武士道精神があ
るが、無防備の民間人を無差別に殺害する自爆テロを武士道と
は言わない。
むしろ卑劣である。
武士道の戦い方は正々堂々、戦士同士の戦である。
そこには礼の精神があり、主君のため、天下国家のための正義
を立てた自己犠牲の精神がある。
礼の精神、正義の心得は、敵国の軍人にも尊敬の念をもったの
である。
イスラム原理主義の自爆テロには、そうした礼の精神、義の精
神がなく、憎悪と独善の欺瞞にすり替わっている。
それをイスラム教などと言ってはなるまい。
それこそ、アラーの神を冒涜する汚辱である。
神の前の平等という言葉を、自分が神のように用いてはならない。
平等ということを、人間が語るべきではない。
それは、神から見た人間観である。
そうではなく、公的精神が必要なのだ。
義のために死ぬ覚悟が大切なのである。
これが、日本武士道精神の神髄である。
たしかに、欧米の植民地主義の罪は重い。
非難されるべきである。
独善的で自己中心的なユダヤ教徒も非難されてしかるべきである。
しかし、日本は、アメリカ帝国と手を結んでいるわけではない。
アメリカの反省を察して、その公的な精神と結んでいるのである。
もっとも、自国を守ろうともしない亡国の政治経済は恥ずるべき
であり、ウサマの軽蔑はもっともなところがある。
しかし、だからといって日本へのテロが許されるわけではない。
アメリカは既に白人支配の国ではなくなりつつある。
ユダヤ資本に支配されている部分もあるが、それも今世紀中に
は衰退する運命である。
テロリストたちに粛清の正義はない。
自らの信仰を反省すべきであろう。
武士道を尊敬すると言うなら、そこに礼の精神と義の精神をよく
よく学びとることだ。
その上で、日本人もまた、ウサマに軽蔑されても仕方ない堕落を
恥じるべきだろう。
毅然として、イスラム諸国に尊敬されるべき精神性を復興するべ
きである。
そのために、主なる大川隆法が光を放っている。
幸福の科学が人々にイイシラセを発信し続けている。
謙虚に学ぶべきである。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党