こんと鳴る 祠hokora 地蔵や 小正月
梅士 Baishi
運動不足は人体に深刻なデフレをもたらす。
楽ではあるが血の巡りが悪く、どよんとした停滞に陥
る。
デフレを脱却するには、決意して汗を流す快速なる運
動をしなければならない。
人間、楽な暮らしに慣れることは健康に悪い。
幸福実現党も運動不足なのではないか。
毎日辻に立って情報を発信し、意見を述べ続けなけれ
ばならない。
少なくとも博多には見かけない姿である。
まあ、そういわけで、およそ3kmの通勤距離を歩走
りすることが多くなった。
平均時速は6kmだから、ジョギングの半分のスピー
ドである。
それにしても、マラソンの42.195kmを二時間
十分というスピードは、時速20kmほどだから、全く
恐れ入る速さである。
すごいなあ・・・。
早じまいの商店街を抜けたところで、こんという鈍い
鐘の音がした。
見ると腰の曲がったばあさまが、地蔵の祠で手を合わ
せていた。
日本の原風景である。
成仏できますように!
【 スポーツと暴力 】
自殺問題を引き起こした高校のバスケット部教員の暴
行、日本柔道の監督、かつては相撲部屋で起こったリン
チ殺人など、スポーツマンシップとはおよそかけ離れた
暴力事件が取りざたされるようになった。
暴力とは、身体活動を伴う有形力の行使である。
人間の身体活動が他人に圧迫的影響を与える場合は暴
力の定義にあてはまる。
すなわち、スポーツは多かれ少なかれ暴力を要素とし
て競い合うところに面白さがある。
しかし、問題は、それが暴行罪の構成要件に該当する
と言うのではスポーツは成り立たない。
スポーツは、暴力を用いても、それが他人に対する不
当な侵害とはならないように、ルールがあり、危険行為
に対しては厳重なペナルティーが科される。
スポーツはボクシングでさえもスポーツであって、単
純な殴り合いの暴力ではないのである。
同様に、スポーツの鍛錬の場でも、教育の場でも、単
純に体罰がいけないというのではなく、そこに教育合理
性の範囲でのルールが必要である。
刑罰的暴行は許されないのは当然である。
トレーニングとしての合理性の範囲で、その目的合理
性の範囲で「暴力」は許容されうるものである。
それ以外の上下関係は、信頼と良識の問題である。
安易にセクハラなどとはいうべきではあるまい。
教育も部活も、スポーツマンシップとフェアプレイの
精神で文化の高みを目指さなければならない。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党