卒業の 人生などを 思いたり
梅士 Baishi
今朝の気温は3℃、夜はかなり冷え込んだ。
学生達は卒業の季節を迎えているが、自分も節目の時を迎え
ている。
ある意味安住している環境では、ゆで蛙同様の危機を迎える。
古巣を後にするべき時は遠からず来る。
ならば、学生と同様、巣立ちすべきかも知れないと思案する。
本領発揮すべき時であろう。
人生には転機がある。
試練の形で訪れるものだ。
逃げてはなるまい。
朝日新聞元主筆の若宮氏と櫻井よしこの対談が放送されて
いた。
従軍慰安婦報道についての朝日新聞の報道責任が問われ
ているが、行き過ぎた点はあったとしても、大筋間違ってはい
なかったといういいわけが、さすがにプロ棋士のように粘って
いた。
たしかに、報道は、官僚の文章のように解釈で逃げ道を作る
ことはある程度はできる。
しかし、その記事がどのようなインパクトと影響を与えたのか
が表現責任として問われるているのである。
日本統治下にあって、日本軍の需要により業者を介して慰安
婦を募集したのであるから、それも実際上は軍の強制であると
いうのである。
それを言うなら、朝鮮人が強制したのであり、軍は強制連行
したのではない。
「いや、強制連行とまでは言っていない」と反論するのだが、
強制の意味をどう解釈しても、従軍慰安婦という意味付けを
していると言わざるを得ないのである。
言葉はその状況や背景に反響して響くものである。
結果、「従軍慰安婦」という日本への侮辱的印象操作につな
がっていることが責任として問われていることである。
情婦たちは、十分な対価を得ているのであり、家族に送金
して感謝されている。
米軍やチャイナ軍、韓国軍に至っては、性犯罪が横行して
いたのである。
その責任との比較検討はするべきことである。
櫻井よしこさんのディベートは、さすがに鋭かった。
見習いたいものだ。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党