晴れつつも 二百十日の 雨が降り
中村 梅士 Baishi
今日も気持ちが晴れず、集中力がなかった。
晴れていたのに、雨が降った。
読書をするとすぐに睡魔に襲われた。
ほんとうに魔が邪魔しているのだろうか。
そうだとしたら、よほどの魔抜けである。
こんな時は映画をみるのが一番よい。
それで、200円のレンタルビデオで『Concussion』を観
た。
Concussionとは、脳震盪を含む脳への衝撃を意味する。
アメリカの国技とも言うべきアメフトによる、死に至る
脳障害を発見したある検死医・オマルの実話を映画化した
ものである。
彼はナイジェリアからアメリカを夢見て、検死医として
赴任する。
そこで、ある英雄的アメフト選手の死因を調べているう
ちに、MRIでも分からない慢性外傷性脳症(CTE)を発見す
るに至る。
しかし、巨大組織NFLは全否定、研究を妨害する。
正義の始まりはいつも零細だ。
それでも戦い続ける検死医・オマルに、障害に苦しむ選
手たちの協力もあって、ついに事実は公表され、脳震盪会
議の実現に至る。
オマルはついにアメリカ社会に認められることになった
が、その報酬というべき地位も断って現場に立ち続けるの
である。
脳震盪が死に至るということで、一度脳震盪を起こした
選手は、引退させるのが大学スポーツのNCAAルールにな
っている。
しかし、選手たちはコンカッションによって廃人同然と
なることを覚悟のうえで戦っていることになる。
実話に基づく映画なのでリアルだった。
高校野球も燃え尽きる青春を見て称賛し、楽しむスポー
ツだが、アメフトも死に至るスポーツの激しさを賞賛して
観て楽しむスポーツであり、巨大ビジネスだといえる。
しかし、人生は命懸けだが、ヘルメットでも防げない脳
障害を放置することは人道に反する。
正義は往々にして権力者たちの既得権益に反する。
だから、理不尽でも正義を潰しにかかるのである。
小さな社会でも、日常茶飯事にパワハラとして起こって
いることである。
そんなことを考えているうちに日が暮れた。
さて、明日は、安堵している自分がいるのか、落胆して
いる自分なのか、いずれにせよ、責任は自分にある。
すでに、サイは投げられている。
案じても仕方がない。
丁か半かイカさまか・・・。
さて、ナンダコリア国は日本国民を侮辱し、領土や財産
を侵奪する許しがたい敵国である。
話し合いの余地はない。
国交を断絶するべきである。
ナンチャイナ国も国家間の約束を守らず、資本主義とい
いながら契約を守らず、法も形骸に過ぎない独裁国家であ
る。
危険な侵略国家であり、経済依存すべき国ではない。
ナンチャイナ包囲網を強化するべきである。
しかるべき独立国家の初歩的決断ができない日本政治は、
すなわち、独立国家ではない。
日本は独立するべきである。
独立政府を作るべきである。
植民地法を守るべきではない。
幸福実現党は政治的主張として、独立宣言をして選挙に
臨んだことはない。
明確に独立宣言を出してほしいと思う。
であれば、憲法無効宣言でよいはずである。
新・憲法法案も持っているのだから。
どう考えているのだろうか。
党員も、国民も、今一つ支持できない理由ではないか。
政治的影響力を持っていることは事実だが、自ら革命政
府を形成する覚悟は見られない。
単なる言論政党では、心は動かないのだが・・・。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party