陽の射して 秋日和らし 窓を開け
中村 梅士 Baishi
今朝は6時ちょうどに目が覚めた。
涼しくなったせいか、熟睡できている。
今朝の気温は17℃、キンモクセイが香りそうな秋の
気温である。
明日が彼岸明け、霊感はないが、いろんなことが思い
出されるのは彼岸のせいだろうか。
いずれ渡ることになる彼岸だが、どんな人生だったと
総括できるだろうか。
この世での成功にはあまり熱心ではなかった。
中途半端だった。
だから成功しなかった。
それは、ある程度覚悟していたことではある。
しかし、この世では戦わなければ意味がない。
競争しなければ悟りも浅い。
美しく勝利せよ、そこへのこだわりが不足した。
競争への厳しさに欠けていた。
競争といっても、相手に対する優位性が目的ではない。
競争を手掛かりに質を高める意欲が大事なのだろう。
そういうライバルも現れたが、謙虚になれなかった。
自分の器が小さかったのだろう。
いろいろと反省する彼岸の後半である。
ナンダコリア国とは国交を断絶するべきであるが、コ
リア人全員が反日というわけでもあるまい。
もしそうだとしたら、救いようのない民族である。
強硬論を主張しているが、良識あるコリア人に再生の
期待をする気持ちはある。
しかし、独立国家の在りようとしては国交を断絶する
べきである。
結果、ナンチャイナ国に依存する伝統的中華傀儡体質
に戻るのだろう。
しかし、反米路線に転換して軍事対立することは自滅
行為である。
文寅はそれをやろうとしているから狂気である。
しかし、それをやれば、躊躇なく半島空爆に踏み切る
だろう。
そのほうがすっきりとするからだ。
内憂外患の危機に陥っているナンチャイナ国としても
それは望まないだろう。
文寅の思惑は、逮捕されて処刑されるムッソリーニを
再現することにもなるだろう。
それはそれで、対岸の火事を監視すればよい。
火の粉はかかってくる距離である。
その時は、日本にも革命が起こっているだろう。
日本もまた滅亡して再生せざるを得ない。
滅亡する日本とは、「戦後民主主義体制」といわれる
反日半植民地的「日本国憲法」体制である。
革命とは、「日本国憲法」無効宣言と新憲法発布を目
指す革命政権の樹立10か年計画である。
その後、改正選挙法に基づく選挙で政権の信任国民投
票を実施すればよい。
まあ、10年はかかるだろう。
秩序立てるための教育的一節である。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party