待つ人か 待宵草の 標して
中村 梅士 Baishi
そうか、待宵草だったなあと思いだした。
花の少ない残暑の候に黄色いハンカチのように咲いている。
ちょっと、大正ロマンの雰囲気がある。
台風も過ぎて、風も止んだ。
仕掛けていた庭木の大リストラに泥まみれになった。
しかし、あらかた輪郭ができた。
十数年来育ててきた葡萄の木ともお別れした。
盆栽で葡萄を育てるというのもあるが、かなり高度だ。
ブルーベリーの木は植え替えた。
植え替えながら、熟した実をいただいた。
今年の冬鳥は、様相が一変したので戸惑うかもしれない。
しかし、はちみつジュースやミカンがあればすぐに親し
むに違いない。
人の手にかかる植物は、寿命を全うすることは難しい。
牛や豚は数年でと殺されてしまうのだ。
命ある仮の世のこと、ひと時の役割があればよかったと
思わなければなるまい。
犬や猫も同じことである。
自分もまた、数十名の子弟に強い影響を与えただけでも
生きた甲斐があったかもしれない。
さて、あしたはひとっ風呂浴びに行く。
休養も修行のうちである。
万葉集でも味わうとするか。
文寅がムッソリーニだとすれば、ヒトラー役は誰か。
習近平かジョンジョンかであろう。
習近平だとすれば戦争になるが、日米が相手ではナンチ
ャイナも二、三年で終わるだろう。
世界もまた、大リストラが始まるのである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party