風の道 最期の花が 通り過ぎ
中村 梅士 Baishi
ぼんやりと外を眺めていたら、数編の桜の花びらが風に乗
って通り過ぎていった。
一瞬だったが、手を振って別れを言いたくなった。
さよなら・・・。
今日は大発見があった。
プランターのシュロの木に大きな花芽が付いていたのだ。
10年以上水遣りをしていた「破れ傘」である。
植物とは言ってもペットのようなものである。
一体、どんな心境なのだろう。
植え替えたいと思ったが、プランターから抜けない。
本当はもっと大きな木になるのだが、少し大きめの盆栽で
いてもらいたい。
さて、今日は一体何をして過ごしたのだろうか。
朝食には、映画『タイムシャッフル』を見た。
居眠りから覚めて、昼食には映画『アリータ:バトルエン
ジェル』を繰り返してみた。
夜は、三本目の映画『グランド・ブタペスト・ホテル』を
見ようかと思っている。
映画はフィクションの世界ではあるが、異文化の世界を疑
似体験するという意味もあるだろう。
もちろん、英語のヒヤリングの訓練も兼ねている。
しかし、つい字幕に目が行ってしまうのがよくない。
宇宙から霊界まで、映画製作者よりも詳しい知識を養って
いる幸福の科学会員の目から見ると、無理筋の映画が多いが、
全く根拠のないストーリーともいえない仮説や遠い記憶の影
響が感じられる。
それが楽しい。
さて、今日のジャズタイムは、スクリューキャップの安い
イタリアワインを飲みながら、キースジャレットの「サンベ
アコンサート」大阪を聴いている。
コルク・ワインは開けるのが面倒なので、安物でもスクリ
ューキャップだとほっとするのである。
浜松医科大学が、チャイナへの臓器移植ツアーに関わった
患者の予後治療を拒否する姿勢を確認し、移植あっせんの禁
止と、渡航移植の規制法整備を求める教授の見解を大紀元に
発表した。
そもそも、脳死判定による臓器移植は脳死移植を認める法
律を作ってはいても殺人に変りはないので、禁止するべきな
のだ。
ナンチャイナの臓器ビジネスは、法輪功信者やウィグル人
をドナーにいつでも殺して臓器を商品化できるので、かなり
の国家的ビジネスになっているらしい。
空港には、迅速に入出国できるように、臓器専門のゲート
が整備されているという。
これ幸いにチャイナに臓器を求める移植希望患者が世界中
にいるというわけである。
医師と患者を含んだ殺人教唆と臓器売買集団が日本にもい
るというわけである。
人を殺してまで、人の死を待ち侘びてまで生きる権利は人
間にはない。
所詮、臓器の霊的意識が合わないことが大半なので、移植
をしても長生きはできないし、さまざまな障りが起こる。
人は必ず死ぬのであるから、寿命と心得て、潔く死ぬべき
である。
魂を穢してはならない。
臓器移植に関わる医療関係者は殺人に関わっていると知る
べきである。
脳死は人の死ではない。
心臓は動き、身体は暖かく、霊体も肉体にとどまっている。
生きているのだ。
脳死状態で臓器を取り出されると、その恐怖と痛みが霊体
に遺り、成仏を妨げると言う。
人の死は、心停止後24時間くらい経過したころに魂と脳
神経をつなぐ霊子線が切れた時であると教えられている。
そのための時間を確保するためにお通夜があるという。
その間に、引導を渡して、あなたはもう死にましたから、
霊人としてあの世に還ってくださいと諭すのが坊主の役割で
あると。
共産主義の悪魔に魂を売っているのは、日本人も同様であ
る。
霊的世界を理解しないとは人として恥ずべき無教養である。
何れ、死んだときにその意味が分かる人はまだ救われる。
しかし、唯物論信仰者は死んでも分からないという。
孤立無援の悪霊となるのである。
そうしたことが、今、警告され、テストされているのである。
嘘だと思うなら、死んでみるとよい。
どうせ死ぬのだから、分かることである。
臓器移植はやめることだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party