春の闇の 山の深きに 椿咲き
中村 梅士 Baishi
今日は少し早めの夕食の後にジャズタイムになった。
マイルスの物語をテレビで見て、やっぱりジャズを聴きた
くなったのだ。
しかし、マイルスなら何でもよいとは思わない。
基本的には思索的なジャズが好きである。
今日は外には出なかった。
ハムストリングに痛みが残っていたので、走るのをやめた。
筋疲労を重ねるのはトレーニングとしてもよくない。
明日は日曜日だから、花遍路がよいかもしれない。
読書は『ブレないスポーツ報道』を読んだ。
元産経新聞スポーツ記者の著作である。
まあ、いろいろと新聞記者の内部事情が見える所が面白か
った。
もはや、新聞社は就職説明会でも学生が寄り付かなくなっ
ているという。
社会システムそのものが、随所で老朽化しているのだ。
組織に染み付いた体質の老朽化というべきだろうか。
選手交代である。
新聞やテレビがビジネスモデルとしては寿命を迎えつつあ
るようである。
SNSに押されて新聞離れが進み、CMスポンサー離れが進
んだテレビも減収に追い詰められつつあるという。
しかし、真相は、情報に価値がないからである。
新聞は足で稼ぐ取材が遠のき、伝聞記事が多くなった。
テレビは軽薄で、真相を伝えるという信用がなくなった。
フェークニュースとは新聞テレビのことであろう。
かと言って、SNSだからと言って、情報は現場取材が鉄
則である。
媒体が機動的だからと言って、情報がインテリジェンスに
通じているというわけではないからである。
メディアの多様化は必要だが、質の劣化は避けなければな
らない。
そうなると、戦場特派員のようなプロのジャーナリストな
いし、諜報活動員を戦力とする必要がある。
もう一つは、マスコミ企業ではなく、政党や宗教団体がメ
ディア経営者となるのがメディアを選ぶ方も分かりやすいし、
信用できる。
同様に制度疲労が深刻なのが、教育分野とスポーツである。
スポーツは体育会系的体質を駆除するべきである。
その上下関係が自由の空気というべき自律性を阻害してい
るからである。
しかし、宗教も文化疲労を起こしている。
キリスト教も、イスラム教も、体育会系と同様なのだ。
どちらも一部共産化していることも見過ごせない。
神を信じる者が、なぜ、唯物論の共産主義を信奉するのか。
おかしいとは思わないらしいのだが、癌化しているとしか
言いようがない。
プロテスタントだけではなく、ローマ法王までもが共産化
しているのだから、終えている。
健全な宗教団体は、おそらくは、世界に幸福の科学以外に
はあるまい。
救世主が降臨している唯一の奇跡の宗教団体でもある。
ここが新文明のプラットホームになるのだ。
現代は神の性質である創造的自由の精神が危機に瀕してい
る。
悪魔勢力との闘いだが、悪魔の本質は嘘による謀略と、法
に隠れてするいじめの暴力である。
関わらないための損切が一番だが、戦うためには兵法が必
要である。
戦う方法は、信仰による悪霊撃退の法力を使うことと、暴
力を司法に晒す証拠収集の対策である。
中共が最も恐れるのは、悪行の実態が露見することである。
しかし、労力と金がかかる。
国際政治的には、「核心的利益」として侵略を進めている
のだから、防衛戦を進めなければならない。
諜報戦が欠かせない。
物的証拠でしか防衛システムが働かないとすれば、侵略者
に有利である。
だからこそ、ウィズ・セイビアと呼びかけられているのだ。
司法も、蓋然性による立証責任の転換理論によって、法的
正義を優先させるべきなのだ。
疑わしきは被告人の利益にではない。
疑わしきは被告人の立証責任にである。
インテリジェンスなきマスコミに活路はあるまい。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party