すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 夏の名残り・・・ 反日世代の高齢者たちよ、国家に祟る事なかれ 

2010年10月14日 08時00分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 吟醸の  冷酒の夏の  なごりして

 薄紅き  夾竹桃に  夏残し

 せみ時雨  地面に浸みて  またの夏

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 
 夾竹桃に、まだ少し、紅い花が残っている。

 燭台の蝋燭の灯が消えるように、ああ、夏が消えようとしている。

 夾竹桃の未練にほんの少しの夏がすがっている。

 あんなに厳しい暑さだったけれども、やっぱり秋になると名残惜しい

ことである。



 名残りといえば、彼岸花さえ、もう名残惜しい花になった。
 
 田のそばに、すっかり枯れてしまった彼岸花に混じって、後進の花

が色あせながら咲いていた。

 そういう枯れた風景もまた秋の楽しみというべきか。



 

  

 

 

 

 

 反日世代の高齢者たちよ、国家に祟る事なかれ 】 

 


 日本の枯れつつある世代は、70歳代の60年安保世代と、還暦を

 

過ぎた60歳代70年安保世代の左翼ベビーブーマーである。

 その連中が、マスコミや亡国・民主党を動かしてもいる。

 この世代が日本経済を盛り上げてきた面もあろうが、他方で、ふた

 

たび祟りつつあるのである。

 特殊なのは、彼らが競争原理の中で左翼運動もまたやっていたと

 

いうことだ。



 矛盾した世代である。

 日本の長老にはふさわしくない人々であろう。

 若者たちが国を守るほかはないということだろう。

 しかし、彼らとて、ゆとり教育、いじめ世代という汚名を着ている。

 日教組の亡国の教育を受けている。



 税金で亡国の輩を雇っているとは、そこに国家百年の計というべき

 

教育を委ねているとは、おぞましい限りである。



 自助努力・自己変革なくしては、この国は救えない。

 われわれは、日本人として、日本国家として、そのリーダーシップ

 

が問われている立場である。
 
 中国人として、中国の属領として期待されているのではない。



 自己変革とは、愛国心に目覚めることだ。

 日本人としてのプライドと、使命を自覚することだ。

 唯物論・社会主義の過ちと恐ろしさに気がつくことだ。

 神も仏も無い世界は、暗黒と恐怖の世界だからである。



 幸福の科学は再誕の仏陀の光を放っている。
 
 幸福の科学は世界の希望である。

 無明の大衆のままにこの国を滅ぼし、アジア・アフリカに暗黒の支配

 

を許してはなるまい。  
 
 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

 

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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+ 山鳥みかん・・・ 伊万里特産  自由とは何か~ 自由を守るために信仰がある 

2010年10月13日 07時48分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 山鳥に  せがまれて買い  早生みかん  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 今年は天候不順の猛暑で、梨もみかんも、えらい高値である。

 ヒヨドリやメジロがキーとか、チーとか秋の声を上げているので、高値

ではあるが、つまらないみかんを買い込んだ。


 鳥が食べるのを見るほうが、おいしく感じる。
 
 そのうち、友人が、また上等の柿を送ってくれるだろう。

 その上等の柿を、いくつか、メジロに謹呈する。
 
 ところが、すずめが味をしめて群れで来るので、その抑制策が課題

である。

 思い切り窓際に餌を置こうか・・・。



 今年の梨は高い。

 大きいけれど、一個500円以上。

 しかし、伊万里梨をたくさん食べた。

 イチジクもいっぱい食べた。

 伊万里巨砲もたっぷりと食べた。

 伊万里牛もおいしかった。

 今年は伊万里に縁が深かった。

 

 伊万里焼きで有名なところであるが、伊万里牛、伊万里梨、伊万里

りんご、伊万里いちじく、そうした農畜産物が有名である。

 かつては、造船も盛んであった。

 伊万里で空母を造らないものか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 自由とは何か~ 自由を守るために信仰がある 】 

 自由を求めて命がけで戦った人々がいたのは、なにも近代に入って

のことではない。

 どの時代にも、抑圧・支配を行う者がおり、これを嫌う先進的人々が

いた。

 ソクラテスも、人々に自由とは何かを説き、その自由の為に毒杯を

あおったともいえる。

 しかして自由とは何か。

 

 自由とは、神、指導者、師、長老など、自分より上なる権威を排除

することではない。
 
 それは自由ではない。

 傲慢であり、無明であり、自己中心にほかならない。

 自由には方向がある。

 堕落の自由、転落の自由、自滅の自由は反省すべきことではあれ、

求めるべき自由とみてはならない。

 



 自由とは、教育されるものである。

 その最高の教育者を仏といい、神という。

 自由とは、仏神への自由に他ならない。




 仏神を排除する自由ほど自由にとっての恐怖はない。

 人の上に仏神の権威がなければ、人による人の支配が始まるから

 

である。

 信仰とは、権威ある希望であり、人による人の支配を抑制する自由

 

の守り神を持つことに他ならないのである。

 信仰を認めないものは、他人の自由をも認めない思想に組すること

 

になる。



 信仰とは、苦しいときの神頼みではない。

 信仰とは、自由への謙虚であり、誠意であり、決意である。

 信仰なくして自由なし。

 











 

 しかし、自由とは楽ができるということではない。

 自助独立、独立不羈の試練、修行でもある。

 独立不羈とは、他人の庇護を求めてその管理下に入ることを潔し

 

とはしない精神である。

 福祉、福祉と叫んでいる人は、他人を金で飼って、管理下に入れたい

 

という野心の表れでもあろう。


 
 企業家であるならば、安易に補助金に頼るべきではない。

 自由人であるならば、安易に福祉に依存すべきではない。



 自由とは、修行への気概でもあることを忘れてはならない。
 
 修行がきついから、助けてくださいとは言えないであろう。

 修行は、やせ我慢でもあるのだ。



 この試練とも言うべき自由があるからこそ、生きがいがある。

 人々の自由を守り、国家の自由独立を守るために、政治があり、

 

戦争があり、革命がある。

 国民は、自由を用いて政治に参加し、戦争に従軍し、革命の戦士

 

となる。



 社会主義とは、人々を飼育し、その自由を奪うことである。

 まさに、神を否定し、人の支配を確保する野望に他ならない。

 飼育されるほうが楽かもしれないが、人として恥であり、生きている

 

意味を問われるであろう。

 いつか、人の都合によって更なる貧困を余儀なくされ、粛清されて

 

きたのが社会主義の歴史的証明であった。



 仏神とは人々の自由に希望を与える存在である。

 人生最高の教育である。

 信仰とは、自由への決意であり、気概である。

 人々は、信仰を失うと共に、修行人生の自由をも見失ってきたの

 

である。


 
 幸福の科学は人類の希望である。

 幸福実現党は、自由実現の政治基盤となるであろう。

 
 信仰という自由を見失ってはならない。 
 

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 








 
 

 

  

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+ 旅の群れ・・・ 北朝鮮は中国の顔   マスコミ革命第二陣の予兆

2010年10月12日 20時31分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 




 

 秋津島  トロイの鳥が  ゴーと降り  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 秋の空は芸術空間のように、雲と風の造形がおもしろい

 その造形の中に、トロイの馬か、渡り鳥でもあるかのように、たくさん

の人を腹に含んで、轟音と共に飛行機が滑り込んでくる。
 
 博多の空港は、街の中にあるから、屋根を剥ぎながら空港に滑り

込んでゆくように見える。

 そのうち、雲に隠れているUFOが見えないものかと目を凝らす。

 
 
 今日もたくさんの海外便が離発着するのだろう。
 
 日本は美しい。

 九州も美しい。

 空から見ているだけでも、夢のような国である。

 この美意識を見失いたくはないものだ。



 チャイナに媚を売り続ける福岡市行政だが、尖閣列島問題以来、

あの騒がしい品のないチャイナご一行様が少なくなったようだ。

 中国共産党職員ご一行様というべきか。
 
 ファッショナブルな天神の街には異様な光景であった。

 今度来るときは、軍服か、おもいっきりおしゃれをしてきて欲しいも

のである。 

 
  

 

 

 

 

 

 

 北朝鮮は中国の顔 】 

 


 中国海軍将校を船長にして日本の巡視艇に体当たりをかましてきた

 

武装中国漁船事件以来、中国の言論や行動が北朝鮮そっくりだった

 

ことに、世界中が気付いたことであろう。

 

 盗人猛々しい恫喝、品の無い挑発言論、北朝鮮と同じである。

 これまでは、北朝鮮人形を操って腹話術の猿芝居をしていたが、

今回は、えい、まどろっこしい、とばかりに自分の本性を現したという

猿芝居である。

 

 この猿芝居に慌てて「漁船船長」をお返ししたという亡国・民主党政

権もまた、お粗末な猿芝居であった。

 しかし、民意を問うこともなく、こうした屈辱を日本国民として受けた

ことは、いかにも許しがたい。

 もはや、政局は、解散総選挙に追い込むこと以外にはないであろう。

 







 

 

 




 マスコミ革命第二陣 】 


 亡国・NHKをはじめとするメディアにそうした「国民的」批判をする

気がない以上、金融不正がないかの調査や、買収攻撃、そして、ネット

メディアによる政治批判継続しかないであろう。

 独占的メディアの政権交代を実現することがマスコミ革命の助走と

なるであろう。



 やはり、渋沢栄一先生が霊言されたように、幸福の科学がメディア

の主役として躍り出るべきなのではないのか。

 すなわち、政権交代は、マスメディア権力の中にも焦眉の急として

求められているということである。



 日本人はもっともっと、世界を知り、世界に関心と責任を自覚しな

ければならない。

 そのためにも、メディア革命によって、目から鱗をはがし取らなけれ

ばならない。
 
 もはや、メディアへの啓蒙活動から、政権交代へと主軸を移すべき

時なのであろう。

 
 第一陣のマスコミ買収攻撃は、あえなく葬り去られたが、その打撃

は確実にあったはずである。

 ライブドアも楽天もハゲタカファンドも、再起してくるのではないか。

 第ニ陣の戦いが始まろうとしているのではないか。



 テレビの地上波放送が終わるまでには、新しい形が見えていること

を願う。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  

 





  

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+ るる鳴いており・・・ 識字率の危機~ 教育荒廃の始末をつけよ!

2010年10月11日 17時17分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  蝉止んで  るる鳴いており  日暮れ道  

     梅士 Baishi

 

 

 

 

  

 もう、せみが絶えてから2ヶ月近く、昔のことのようでもあるが、
最近

のことでもある

 虫の声には違いないが、秋の虫は何かしらさみしさを感じさせる。

 その虫の声も、だんだん細くなってきた。

 まあしかし、焼き芋がおいしい季節にもなってきたと思うことにし
よう。

 

 秋の虫も別に世の中をはかなんでいるわけではあるまい。
 
 自音自賛しているのだろう。

 わが秋の句もはかなんではいない。

 自句自賛しているのである。

 「いや~、ちょっと冷えてまいりましたねぇ」と、横丁の銭湯に駆け

込んでいるという風である。

 はかなんではいないが、おおいに危惧することの多い秋ではある。

 
 如何。

 いかんのではないか。

 空母をつくらんというなら、空母型漁船を造船しようではないか。

 戦闘機をつくらないというなら、武装旅客機を作ろうではないか。

 核ミサイルを作らないというなら、中国の核ミサイルを強制的に自在

にコントロールする装置を開発しようではないか。

 尖閣諸島が日本の領土だというなら、その近辺に機雷を浮かべよう

ではないか。


 そうであってこそ、虫のか細い声も、楽しげである。

 
 
 
  

 

 

 

 

 

 識字率の危機~ 教育崩壊の始末をつけよ 】 

 
 ちゃんとした仕事に就きたいということで、業務資格をとるために、

大学教育と専門教育を求めている人が少なからずいる。

 大学の学歴など、一流大学でもなければ、実質的に無試験で入学

できるし、卒業も簡単である。



 しかし、せめて掛け算の九九とか、文章の読み書きはできなければ、

どうにもならない。

 その意味では、形骸化した学歴であっても、多少の読み書きはでき

るという認定にはなるであろう。



 ところが、ほとんど漢字が読めない人も少なくない。
 
 頭が悪いのではない。

 いじめのために、中学からほとんど授業を受けていなかったり、高校

に進学しても、結局、退学を余儀なくされたりで、放置されている人たち

である。

 まったく、公務員教職員のいい加減さときたら、犯罪の共謀共同正犯

と言ってよいほどであるし、教育機会を奪った罪はさらに重い。

 そうした現実を目の当たりにすると、暗澹たる気持ちとともに、何と

かしなければならないという危機感を覚えるのである。



  日本の識字率は、実質70%程度に落ちているのではないか。
 
 35歳以下の識字率は、さらに低いのではないか。
 
 これは、文部科学省の責任である。

 文部科学省、教育委員会、公立学校は解散し、その後継に後始末

を委ねるべき事態である。


 国勢調査では足りないのであって、読み書きそろばんの試験を課

して、問題があれば基礎教育1年の補償を、公務員教育機関以外に

委ねるべきであろう。

 とにかく、将来的には、公務員教職員制度は廃止すべきである。

 
 文部科学省の許認可権も全廃すべきである。

 教育の結果は、学力検定で認定すれば足りる。

 合格しなければ、義務教育の終了を認定しなければよい。

 

 義務教育のありようを、根本から自由化、民営化する方向での立て

直しが急務である。

 教育の質の向上は、競争に委ねるべきことだからである。


 教育の荒廃を、これ以上許してはなるまい。
  

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  






 

  

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+ 一刀流・・・ 信仰決断の時代~ 宗教の序列  武士の気概を取り戻せ

2010年10月11日 11時17分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

 薄穂を  一刀流に  構えたる

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 この季節の芒穂は抜き身の新鮮な輝きがある。

 真剣を抜いて、一刀流に構えた気持ちにもなる。

 殺人剣は、胸元を突くか、骨を打ち砕くかであろう。

 今世、真剣を手にしたことはないが、真剣は、もののふの覚悟を
秘めている。

 
 阿蘇に行くと、芒が美しいであろう。
 
 しかし、高千穂の芒を見たいと思う。

 そこに歴史があるからである。

 国つくりの気概が、芒穂の一刀にも秘められているであろう。



 捕らわれてはいても、心は雲水のように動いている。

 芒穂とは言えども、一刀を構える。



 日本人よ、国家としての意識を持て。

 国家あってこその世界である。

 「世界市民」などというきれいごとは、未だ妄想である。

 なすべき努力があるであろう。

 それが、国家としての独立である。



 人時所を誤れば、悪となる。

 努力なき未来を現実に置き換えることもまた悪である。

 希望とは努力して達成せんとする願いである。


 軍神たちよ、国家独立の気概に目覚めるべきである。

 大和は、軍神たちが建国した国、武士の国である。


 秋を愛でた額田王であるが、軍船出陣の歌で時を告げた皇后で

もあった。





   熟多津に  船乗りせんと  月待てば

      潮もかなひぬ  今は漕ぎ出でな




 

 

 
  

 

 

 

 

 信仰決断の時代~ 宗教の序列 】 

 われわれは今、その信仰が問われているといえる。

 世界から日本人の気概が問われ、侵略をもくろむ中国からも神
国で

あるか否かが問われている。

 いつまでも、無神論であってはならない。

 神も仏も無い政治・教育・経済であってはならない。



 仏神とは、人格神、人の姿をとってこの世に生まれ、文明の構築、

正しい宗教の創始、救世の指揮、国づくり、時代精神作りなどの指

実績と歴史に耐える評価を得てきた人類の指導者である。

 そこには、当然にその魂の由来と歴史・功績による序列がある。
 
 八百万の神々というように、多くの神々が人類を指導し、民族を
指導

してきたが、そこには役割の違い、思想の違い、歴史の違いなどに

よる多様性がありかつ、神格の序列がある。


 その歴史は、「黄金の法」に詳しい。

 人格神の領域からさらに宇宙創成の意識としての根本仏の存在

も形而上には想定されるところであるが、人知の及ぶところではない。


 しかし、この神の対極には、悪魔の存在があり、宗教を指導してい

るという。

 それが、邪教の存在である。

 今、人類の危機の時代、侵略と防衛の戦争の危険をはらんだ時代

には、邪教を介した悪魔の暗躍が活発になっているという。

 だからこそ、時代をリードしてゆくためには正しい信仰が必要であ

るし、まちがっても、邪教に手を染めてはならない。

 大川隆法著 幸福の科学出版刊『宗教選択の時代』、『宗教決断

の時代』が刊行されているが、この時代を生きる人間にとっては肝腎

要の智慧であろう。


 新しい世界宗教が、再誕の仏陀、エル・カンターレ大川隆法総裁の

下に創始され、自分もた、そこに縁をいただいている。

 それが、幸福の科学である。


 しかし、それ以外にも、時代不適応を起していたり、神格の序列が

低かったりという問題はあれ、邪教ではないと認定されているものも

ある。
 
 世界宗教である、キリスト教(ただし、キリスト教を偽装する統一教

会、エホバの証人などは邪教である)、イスラム教のほかに、日本国内

の比較的新しい宗教としては、神道系の生長の家、天理教、日蓮系

の立正佼成会くらいである。


 人間は未来に指針を求め、精神性を求めるが、自助努力と慈悲の

心を見失ってはならない。

 努力なく他力にすがることは、やはり虫が良すぎる。

 かといって、無神論・唯物論は邪教に匹敵する社会主義ないし、拝金

主義の過ちを犯している。

 医療や産業科学技術の唯物論は、傲慢の過ちを犯している。
 

 

 日本人の気概が世界に問われている今、もはや、宗教音痴では

いけないのである。
 
 せめて、武士の気概を取り戻したいものである。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  

 

  

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+ 毒花、彼岸花・・・ 発展的違反~ 無認可ビジネスのすすめ   革命の論理

2010年10月10日 13時59分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 彼岸花  毒を含みて  清めたる

    梅士 Baishi  

 

 

 

 野生の彼岸花はもう終わったであろう。 

 葉のない不思議な花だが、花が終わったあとに葉がで

るのだという。


 今度は、彼岸花の葉を見に行こうか。


 彼岸花には毒がある。

 リコリンという毒だそうで、茎の汁が肌についたら炎

症を起こすのだという。


 虫が食うはずもない。

 毒のおかげで穢れがない。

 地獄花とも言うらしいが、やはり天国の花なのではな

いか。


 その根っこにはもっとたくさんの毒がある。

 しかし、水に溶ける毒なので、水にさらすと貴重なで

んぷんが得られる。


 飢饉のときの非常食になるのだそうである。

 やはり、人助けの花である。


 神社の花園には、白い彼岸花が咲いている。

 邪気を祓う、白道の花のようでもある。

 彼岸にも、花を咲かそうぞ。
 

 


 

 

 

【 発展的違反~ 無認可ビジネスのすすめ 】 

 発展を考えるとき、過去現在のしがらみや制度がそれ

を阻む。

 すなわち、発展とは過去現在の阻みを断ち切ること、

違反することだといえそうである。


 実際、許認可行政の中に発展はない。

 公務員が発展を阻害する。

 こうした、発展阻害の公務員権力は廃止しなければな

らない。


 法律に適合するかどうかは、必要があればその都度勝

手に調べばよいことである。

 企業活動が犯罪だとでも言うのか。

 違法性が推定される故に事前審査するということにな

ろう。

 
 これが、国家社会主義の権力作用である。

 企業活動にも、せめて、罪刑法定主義の論理が適用さ

れるべきではないのか。


 自由主義は信頼の原則であって、違法性を推定された

のでは発展が止まる。

 事前の許認可で発展のスピードを止めてはなるまい。


 先例の無いことを認めないのが行政であるから発展を

禁止するのが行政である。

 発展の主役は企業であるが、企業は私利私欲団体であ

るから公益性が無いといってはばからないのが公務員で

ある。


 すなわち、許認可ルールに違反しなければ発展がない

ということである。

 無認可にこそ企業の発展思考と知恵がある。

 無認可にこそ本物がある。


 公務員無認可こそは、発展のブランドである。

 そう考えなければならない。

 それこそは資本主義の精神というべきであろう。


 発展的違反こそは革新である。

 無認可のビジネスモデルを構想し続けることだ。

 公務員許認可に代わって、無認可を含めて品質の優劣

を格付けするブランド認定組織を民間で作ればよい。

 公務員よりも的確迅速に判断するであろう。

 

 日本の税金は重い。

 実質税率とすれば、平均的サラリーマンでも40%に

も達するのではないか。

 その税金が、公務員給与になっているのかと思うと、

許しがたいと思う。


 下っ端公務員でも、50代で年収1千万円を越え、退職

金は3千万円、その上、30万円近い年金が支払われるの

だ。

 その財源は全て税金なのである。


 重税こそは、消費意欲を失わせ、企業の発展を資金的

に阻害す社会主義的権力圧力である。

 なにより、公平でなく、公正を欠く。

 重税とは、収入の10%を超える課税である。


 こうした不条理な税制に対抗する違反が脱税であるが、

サラリーマンは逃れようがない。

 だったら、企業も税金のかからない社員報酬の方法を

考案するべきである。


 最後の革命的手段は、納税拒否であろう。

 茶会事件がアメリカ独立革命の端緒となったようにで

ある。


 しかし、脱税の正当性は、収入の10%を超える分に

あるのであって、この倫理に反する脱税こそは悪質な脱

税として非難されるべきであろう。

 発展的違反とは、そこに発展の倫理と正義がある。


 民主党社会主義政権の下で、革命への複線を含んだグ

レーゾーンに活路を開くべきであろう。

 革新とは、違反という手法にある。

 ただし、無秩序への違反ではなく、発展的違反でなけ

ればならない。

 それが、国や制度に依存しない、したたかな発展手法

としてあると考える次第である。


 その延長線上に、革命がある。

 売国奴にのっとられた日本であってみれば、革命とい

う正義が意されてしかるべきであろう。


 しかし、その日本を乗っ取ろうとしている中国で、致

命的な革命がころうとしている。

 その革命は国際的正義を安堵するであろう。

 中国輸入商品不買という支援を送りたい。 

 

 

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

  

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+ 萩の滝・・・ 「歌心」  「文化的天才に対する企業・国家の顧客責任」

2010年10月09日 08時13分27秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

   

 

 

  萩の滝  渡りし風は  紫に

     梅士 Baishi

 

   わが裾衣  いかに染みしか 

        馬草 Magusa

 

 

 

 


 相聞歌が一対になった歌である。

 いかにも、情景が目に浮かぶ。

 久しぶりに馬草 Magusaが登場した。

 歌のときだけ現れる、妹のような、恋人のような、茶目っ気と才気

あふれる彼岸の岸辺に住む娘のイメージである。



 盆が過ぎて、せみ時雨がぱったりと止んだとき、「ああ、こんなにあ

ついのに、どうしていなくなるのだろう」とつぶやいていると、「三途の

川の並木道ではせみ時雨がにぎやかよ。せみ時雨も三途の川を渡

るのね。」と言っていた。



 彼岸花も、今を盛りと、三途の川の岸辺に真っ赤に咲いているの

かもしれない。

 私は、三途の川の渡し守をしていたのだろうか。
 
 そして、川の渡しの茶屋の娘と恋をしていたのだろうか・・・。
 


  お~いと  三途の川の  渡し守

     今日も多いのね  と手を振って 



 

 さあ、今日も舟を出すか。
 
 
  

 

 

 

 

 

 

 文化的天才に対する企業・国家の顧客責任 】 

 
 大川隆法著 幸福の科学出版刊『霊性と教育』の中に納められて

いるジャン・ジャック・ルソーの霊言を読み返しながら、天才を貧乏に

放置してはいけないということを痛感する。



 ルソーはエミールという代表著作で、左翼教員に愛読されているが、

競争社会不適合の正当化と、「一般意思」という思想を唯物論に悪

用されているということを嘆いておられた。

 ルソーの過去世は、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスであるという。
 
 しかし、思想家として貧乏になると、子供を育てられず、まともな社

会人ではなかった。


 フランス革命に影響を与えながらも、その思想書自体は売れず、

赤貧洗うが如しだった。

 それが、反社会的な雰囲気をかもし出したのかもしれないと本人も

おっしゃる。
 

 しかし、断じて無神論ではないし、国家社会主義的教育をよしとは

していない。



 もっとも、もはやルソーの時代ではなく、カントの時代でもない。

 ローマ法王庁の中世的支配からの脱却という課題から生まれた思

想を現代に応用できるほど、その思想の本質を把握することはでき

ていないというべきであろう。

 その結果が、唯物論社会となり、国家社会主義の危機を招いてい

るのである。


 

 そういう大きな問題もあるが、ここで言いたいことは、天才というべ

き人材やその生み出す思想、芸術という、経済活動に不向きな文化

的人材を貧乏に汚染させてはならないということである。

 街にも音楽家がおり、絵描きがいるが、資産家でもなければ生活

が成り立ちがたい。

 そうであってはならないのではないか。



 だからといって、彼らを公務員にすると堕落する。

 彼らの活動を促し、よい果実を生み出してもらうためには、成功し

ている企業や国家が理解のある顧客となることである。


 演奏会は、公費で賄うとよい。

 これも、有益な公共投資である。

 天才的な思想家であれば、国家の研究機関に所属させればよい。


 美術については、地獄的なものが多いのでいかがかとは思うが、

本当に価値のある陶芸や絵画などには、積極的に美術館が購入

し、公務所に展示するなどの文化普及の公共投資をするとよい。

 建築においても、一流の空間デザインナーが育つような建築を促

進しなければならない。

 当面は、業者の良心・良識にゆだねられることではあろうが、機能

性とデザインは建築の両輪である。



 一切が、経済的な競争原理の中に育つわけではない。
 
 公共投資は増やすべき時期でもある。

 産業投資のほかに、文化的投資の柱を立てるべきである。

 教育の無償化こそは無駄金である。

 教育の堕落である。

 そうではなく、文化・芸術への公共投資を育てることにこそ肝要な

のではないか。


 ストレスの多い時代でもある。

 素晴らしい音楽を、もっと世の中に溢れさせてもよいのではないか。

 一見無駄と思えるものの中にこそ、心の余裕を生み出す豊かさが

あるということである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  









 

  

 

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+ 椿の油壺・・・ 国家百年の計としての教育(大川隆法著『政治提言集』より)

2010年10月08日 11時03分17秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 


 


 

 侘び寂びて  椿油の  壷を下げ  

   梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 椿油の収穫の時期なのだろう

 花もない椿が、つやつやとした茶壷のような実をつけている。

 茶壷というより、椿油の油壺というべきか。

 なんとも、侘び寂びのきいた色艶であることよ。

 秋の味わいである。



 今日は長崎くんちの中日だが、日帰りで行きたいとまでは思わない。

 今年もパスか。

 じゃあ、次は唐津くんちにと思うのだが、これもとうとうパスしてしまう。

 尖閣諸島を守れ、民主党出てゆけ、というくんちなら、万難を排して

出かけるのだが。

 重要文化財とかいうけれど、伝統文化総動員で日本を護るべきとき

を心得たいものである。


 

 

 

 

 

 

 

 

 国家百年の計としての教育 】 


 国司・大川隆法総裁の『日本を自由の大国へ』という政治提言集に

まとめられた一言一言は、至言というべきものである。

 以下、紹介したい。




 『宗教を信じていない先生がたが、宗教を否定し、学校から追い出

すことをもって、「善」とし、「正義」としているために、いじめが決して

やまないのです。

 これは、善悪が完全に逆転していると言わざるをえません。

 しかも、国の予算において、教育費は5兆円も使っています。

 5兆円も使って、いじめ地獄を学校に作っているのです。』


 『日教組が学校教育を仕切っている今の流れのなかで、教育を無

償化しようとしていることに、私は非常な危機感を覚えます。

  これは、教師に対して、「もっとサボッてもよい」というメッセージを

出しているのと同じだからです。有料であれば、やはりサボれないの

です。』 




 『民主党の鳩山氏は、小学校や中学校の義務教育が無料である

だけではもの足りなくて、「高校まで無料にしたい」と言っています。

 しかし、『共産党宣言』の後ろのほうに、「公教育は無償とする」と、

明らかに書いてあります。

 鳩山氏は共産主義の人だったのでしょうか。驚きです。マルクスと

同じことを主張しています。』



 『 「最低限、学校で高度の授業を受けられて、受験しようと思った

ら、塾に行かなくても合格できるような状態をつくる」ということは、非

常に大事なことだと思うのです。

 今は、補助金を出すことばかりを言っています。学校に補助金をだ

すとか、高校の授業料をタダにするとか、全部お金で片付けようとし

ているけれども、お金ではなくて内容の問題なのです。

 本当に国民のためを考えるなら、少なくとも八割の国民のことを考

えるのなら、「公教育のレベルを上げる」ということは公務です。これ

は急務です。』



 『 「ゆとり教育」への揺り戻しが始まっています。

 ゆとり教育に戻せば、公務員である教員にとっては優しい社会が

到来しますが、それは、子供たちが欲求不満を起す社会でもありま

す。「悪い教育ではあるが、税金を投入してタダにするから、我慢し

ろ」というような考え方に向かっているように見えるのです。』



 『 「教員免許を十年おきに更新する」という制度を、あっという間

に、「いったん免許を取れば、永久に持てる」というようなかたちに

戻そうとしています。

 制度の変更によって、教師がよい教育をするようになれば結構な

ことだと思いますが、怠け者を数多く作る結果になるようであれば

困ります。

 もし、成果が上がらず、「ゆとり教育」型にユーターンしていくので

あれば、やはり、言論で戦わなければいけないと考えています。』



 『学校教育については、もう一つの選択肢があります。それは、

学校に行かなくてもよいことにするのです。

 「学校に行きたくなければ、塾に通ってもかまわない。そして、一

定の学力認定試験を受けて、それに通れば、中学や高校を卒業し

たものと認める」という選択制にすれば、学校への補助金がなくて

もやってゆけるわけです。』




 亡国・民主党政権下の教育政策は、国家百年の計が、国家の

堕落と崩壊にあり、その仕上げに入っているかのごとくである。


 国司・大川隆法総裁の言論は、目から鱗の一転語に満ちている。

 この国を救済できる至高の叡智の所在であることは明白であろう。





         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ ステーキランチ・・・ 議会の廃法府シフト  法律のリストラ、公務員のリストラを!

2010年10月08日 09時35分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 

  天高し  ステーキランチを  所望せり   

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 医者の処方した咳込み促進剤のせいか、叱咤激励しては咳をする
 
 おぬし、たぬき医者の処方でコンコンと言うのは不条理であろう。

 が、コンコンと咳があふれる。

 労働とは咳をすることであるか。



 ああ、全くの貧乏くじ、風邪なんか引きたくは無いものである。

 ツキを変えようと、古くからあるステーキ屋に引き寄せられていった。

 メニューは決めていた。

 「ステーキランチ!」

 
 昼飯にしては少し高い1995円。

 客層は中流である。

 分厚い鉄板とステンレスのヘラの音が小気味よい。

 ああ、おいしかった。


 
 
 デフレの時代、メリハリをつけながらも、本当によいものを味わいたい

ものである。
 

  

 

 

 

 

 

 

 議会の廃法府シフト 】 


 仕分けをしてリストラしたいものは、公共工事ではない。

 法律と公務員である。

 大川隆法総裁の提言の中に、廃法府をつくってはどうか、というのが

あったと思うが、その通りだと思う。

 手取り足取り、公務員の仕事を作るためでもあるかのように微細な

規定を作り続けて膨大な量が堆積している。



 規範というのは、シンプルでなければ行為規範として機能しない。

 行為規範として機能しなければ裁判規範としての正当性を持ち得ない。

 すなわち、法の体系はシンプルでなければならない。

 その行間を埋めるものとして、物事の本質を抑えた基本法があり、

条理があり、教育があり、判例がある。



 ちなみに、判例の解釈法としての役割を考えると、裁判官の資格は、

35歳以上、見習い期間3年以上で、法的素養のある人材から広く登用

するようにするべきである。

 そのためにも、法学教育は義務教育の時代から必要であり、教員も

また、法的素養が要求されてしかるべきである。

 法の本質は、正義と公平にある。

 そうした教育のできる人材は現在の教職員にはほとんどいないので

はないか。

 

 膨大な法律群を大幅にリストラするべきである。

 条例の類は廃止し、法律事項として審議すべきであろう。

 同様に、税制についてもシンプルに整理統合する必要がある。

 立法府たる議会の性格を、廃法府にシフトするべきである。

 殺人法というべき臓器移植法ももちろん、廃止すべきである。

 

 日本の独立・新生のためには、やはり、革命が必要なのだろう。

 革命や如何。


 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ セセリチョウのつぶらな目・・・ 報道責任を放棄した傀儡放送局を許すまじきこと

2010年10月06日 20時18分16秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  秋の蝶  一期一会の  目を合わせ 

       梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 セセリチョウは秋の装い

 忙しく、花の周りを飛んでいる。

 地味な枯葉色だが、よく見ると、パッチリとした黒い目が漫画の女

の子の目
のようである。

 楽しげにさえ見える世界であるが、ここにも生存競争はあるであろう。

 

 小室直樹博士の投げかける資本主義の精神が、まだ完結していない。

 経済発展の原理にも、成長抑制の効かない恐竜型と、小型で子孫を増や

して発展しようとする哺乳動物型があるのではないか。

 あまりに大型化しすぎると、管理社会になり、社会主義化して自滅する。

 そこに、中小企業の戦い方があるのではないか。 



 国家もまた同じではないのか。

 アメリカは連邦制で凌いでいるが、日本レベルが最適かもしれない。

 中国は自滅型の規模であろう。

 国家分裂しない限り、資本主義は育たない。



 張子のチャイナに火を放て!

 その火とは、反社会主義、自由の火の手にほかなるまい。 

 

 

 

 

 

 

 

 マスコミの不正を糾弾する 】 

 10月3日、東京と沖縄で、「尖閣諸島を守れ、緊急でも集会」が開か

れた

 ところが、NHKはじめ、マスコミは一切報道しなかった。
 
 断じて、許されるべきことではない。

 なぜ、放置するのか。

 民主主義の根本にある報道責任を果たさないのなら、報道の特権を

剥奪するべきである。



 NHKが公共放送であるはずがない。

 もはや、視聴料を支払うべきではあるまい。

 有料放送として、契約しなければ見れないようにすればよい。

 革命前夜の様相というべきではないか。


 チャイナの傀儡政府、傀儡マスコミ、傀儡公務員教職員、駆除すべき

獅子身中の虫である。


  

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

 

 

  

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 萩の川・・・ 橘曙覧の歌  小室直樹博士を追悼する~ 資本主義の精神と革新

2010年10月05日 18時23分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  白萩の  花を定めぬ  しぶきかな 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

  萩の花の群生は、滝の飛沫のようである。

 

 夏には花が少ない

 その流を受けて、秋にも花が少ない。

 どれも、地味な山野草の花が主流である。

 その中で、残暑を潜り抜けた萩、桔梗、そして彼岸前後の曼珠沙華

が秋の色彩というべきか。

 山が色づくにはまだ早い季節である。

 

 さて、今日は台風の吹き返しのように咳き込んで体力を消耗した。

 なかなかすっきりとしない体調にじれったくなる。

 三年分の風邪をひいたという風である。

 

 この吹き返しの咳には注意しなければならない。

 一種、誤嚥性肺炎と同じような被害をもたらしかねないからだ。

 肺炎を引き起こすのは、ウィルスだけではない。

 痰などの異物が気管を刺激すれば起こりうる症状である。

 

 尖閣列島領海侵犯の中国武装漁船の船長解放問題をゼミのテーマ

にして発表してもらったが、その解説にまるで戦闘状態のように咳き

込んでしまった。

 

 『国をおもひ 寝られざる夜の 霜の色

   月さす窓に 見る剣かな』

 

 橘曙覧(たちばなのあけみ)という、幕末の歌人であり、勤王の志士でもあっ

た方の歌だという。

 自分にも、その時がくるのかもしれないと思う。

 小室直樹先生の追悼にと読み返していた『資本主義のための革新」

という、2000年発刊の著作に紹介されている歌である。

 

 

 

 

 


 小室直樹博士を追悼する~ 資本主義の精神と革新 】 

 小室直樹先生が先月亡くなられていたそうである。

⇒ (ミントさんのブログ『巨星墜つ 小林直樹博士死去』より)
  
http://demosika.blog35.fc2.com/blog-entry-390.html

 

 親しんだ先生ではないが、天才肌の異色の経済学者、数学者として

関心を持って何冊かの本も買い込んでいた。

 単刀直入の本質論は天才的であって、NHKの御用タレント立花隆な

どが批判できるレベルではない。

 

 博士は、資本主義には精神がある、その精神には三つの側面があ

るとして、次の三つを掲げておられる。

 

 1. 労働それ自身を目的とする精神(自立・勤労の精神というべきか)

 2. 目的合理的精神(自助努力の精神と言ってもいいのだろうか)

 3. 利子・利潤の正当化(経済発展の精神と言ってもいいのだろうか)

 

 資本主義の精神とは、キリスト教的経済発展の原理として、ローマ

法王庁の中世的支配に取って代わったキリスト教改革的価値観であ

る。

 しかし、その問題意識自体が小さく、普遍性を持ち得ない限界に来

ていると思われる。

 

 そこで示されつつあるのが、幸福の科学的経済発展の原理である。

 いずれにしても、経済発展の原理には神の御心に叶うという正当性

が欠かせない。

 唯物論経済の原理(共産主義・社会主義)は貧乏神の論理である。

 経済の発展とは、物欲が満たされるということではない。

 精神的豊かさが発展する、人間関係の豊かさが発展するということ

が欠かせないところに、肝心要があるのではないか。 

 

 そうした歴史的転換点において、博士がこの世を去られたのは惜し

いことではある。

 戦後日本の社会主義の欺瞞に抗してこられた戦士であったという称

賛を送りたい。

 

 また、時代の歯車がカチンと音を立てた。

 

 合掌 
  

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 


 

  

 

 

 

 

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+ 朝顔の雨・・・ 前原外務大臣殿  傀儡・亡国民主党政権を許すまじきこと

2010年10月03日 23時13分55秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  朝顔の  単衣の花の  雨重く 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 朝顔は雨の花ではない

 今朝は朝顔の単衣の花には少し重たい雨だった。

 思うこと、考えることが多く、なかなか読書に集中しない。

 

 気まぐれに、オーストラリア産という鰻を買った。

 1350円だから、安くはない。

 市場の名物鰻でも1700円だが、ほんとうはそれを買いたい。

 が、間が合わない。

 

 ぶりぶり太った鰻だった。

 まあ、豪州ならチャイナ鰻みたいに水銀入りということはなかろうと

半信半疑ながらの買い物だった。

 初登場の輸入品でもある。

 ものは、ためしだ。

 

 しかし、食べられた代物ではなかった。

 鰻のくせに脂身がなく、わら草履を食べるようで気分が悪くなった。

 結局全部捨てた。

 猫も食べないだろう。

 鰻というやつは、全く持って、得体の知れない魚?である。

 

 豪州のOGビーフは食えないことはないが、うなぎはいけない。

 日本人でなければ、うなぎはおいしく育たない。

 あ~、気持ち悪かった。

 もうちょっと、良心的な商売して欲しいなあ~。

 鰻は和製に限る!

 浜松さん、頑張って!

 

 

 

 

 

 


 

 前原外務大臣殿 】 


 なんであなた、亡国左翼民主党の、しかも内閣にいるの?

 尖閣列島領海侵犯で、かつ海洋巡視艇に攻撃してきた武装漁船逮

捕の指揮を執ったにかかわらず、頭越しの船長解放、しかも、政府は

関与しておりませんという嘘つき菅の下で、閣僚として何も申し上げる

ことはありません、ではすまないでしょ。

 

 じゃあ、何で領海侵犯の漁船を、政府が指揮しないんですか。

 閣僚として、その無責任はどう始末するんですか。

 

 民主党の中に保守がいるのは、自民党改革の志としては理解する

けれども、もはや、亡国左翼民主党にとどまってはいけないでしょう。

 日本人として、恥ずかしくないですか。

 一日も早く、小沢さんと民主党を割って出てください。

 一ヶ月も菅政権を続けさせるんですか。

 

 チャイナの傀儡政権党というべき亡国左翼民主党を、さて、どう始末

つけますか。

 嘘つき菅、空き菅、売国菅、痴菅・・・、こういうやつが出世すること

のある世の中であり、こういう輩が出世すると、全くもってひどいことに

なるという実験はもう結論が出たのだから、危険な実験資材は廃棄し

てください。

 

 以上、お願いするスジではありませんが、あのおとなしいタイ国民で

さえも内戦状態になっていることを忘れませんように。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ ぎんなんのにほい・・・ マスコミ解体と新制の考え方について

2010年10月02日 08時38分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  銀杏ginnan の  臭きほどよし  櫛田宮miya 

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 博多には銀杏の並木が散在する

 祇園山笠で激走する櫛田神社の銀杏並木も立派である。

 この季節、もったいないほどたくさんのぎんなんが落ちて、道路につ

ぶされて掃き捨てられている。

 惜しいことだ。

 どうやって食べるかは知らないが、茶碗蒸しのぎんなんは貴重であ

る。

 

 なぜか、ぎんなんは臭い。

 鳥は食べないのだろうか。

 しかしその臭さが、秋の匂いとなり、栄養一杯の秋の実りを感じさせ

てくれる。

 何億年も続いた銀杏の秋であることよ。

 

 

 二日間自宅入院してやっと風邪を撃退した。

 三日目はふらふらと職場にむかった。

 チャンポンを食べるのに45分もかかった。

 すこしづつ精気がもどってきた。

 

 「少しおなかがゆるくなるかもしれません」といわれた薬ともおさらば

だ。

 なんと、he he he と笑ってごまかす現象だった。

 さあ、きょうからまた、元気はつらつ! 

 

  

 

 

 

 

 

 

 マスコミ界のあるべき姿について 】 


 マスコミが世相を狂わせ、大衆化を進め、低劣愚劣を社会標準化して

きた。

 民主主義を衆愚制にしたのも、マスコミである。

 国家社会主義を進めてきたのもマスコミである。

 マスコミの犯罪は、関係者の万死に値するというべきである。

 打ち首獄門の咎人たちである。

 

 そのマスコミ解体を進めなければならない。

 NHKの解体民営化は避けては通れない。

 さらに、市場競争の原理で整理されなければならない。

 報道の多様化に反映しないままに数が増え、公務員が増えすぎた

と同様に、権力をかさに来て高給取りのマスコミ人間が増えすぎたの

である。

 

 地方公務員の廃止、小さな政府への切り替えを進めると同時に、

銀行の統合化、マスコミの解体と統合化が進められるべきであろう。

 マスコミには、海外のメディアが視聴できるように普及する必要が

ある。

 同時に、日本のマスコミが世界で放送されるようにするべきである。

 そして、インターネットTVの整備である。

 周辺から、情報攻撃にさらすことで、中国の民主化も進むであろう。

 海外のメディア支局もどんどん誘致し、その取材活動を助けるべきで

ある。

 そこに、新しい雇用も生まれる。

 

 そうしたことのできる立場の人に投げかけたいことである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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+ 寄り道・・・ デフレの裏をかく逆発想~ 変人よ、大志をいだけ!

2010年10月01日 20時13分18秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 

  帰り道  オシロイバナに  寄り道し   

     梅士 Baishi

 

 

 

 

 

 

 行きがけはみな閉じていた花が、夕暮れの帰り道には見違えるよう

におしろいをして咲いていた

 朝方にも咲いているから朝帰りのお姉さんのようだ。

 

 若ければ遊びもしてみたかったが、今はせいぜいからかってさいなら

するくらいのものだろう。

 というより、最近の若い夜の娘たちは、気味が悪いほど品がない。

 からかって絡まれたら大事である。

 さわらぬ女に祟りなしということか・・・。

 

 さて、昔の遊郭の女はどうだったろうか。

 といっても、自分の魂の過去世には、女遊びといい、結婚といい、あ

まり縁がなかったのではないかと思う。

 女と女神の区別がつかなかったものを、最近はそうでもなくなった。

 なんで、これが同じ女のなのかというのが微妙に不明である。

 

 現実に生きる女ではあれ、女というものはやはり女神のようであり

たいものだ。

 そうであってこそ、気高く美しい。

 歳をとっても、そういう方がいらっしゃる。

 お化粧より、教養と品格ですかね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 デフレの裏をかく逆発想~ 変人よ、大志をいだけ! 】 


 不況というと、どうも周りが言い訳がましくなっていけない。

 その上、何かと安売りをしたがる。

 学生の就職活動も同じである。

 9月末時点での内定率は55%程度と出ていたが、実際はもっと低

いはずだ。

 

 すると、後半戦の就職活動は一層デフレ型の就職活動になる。

 すなわち、安売りである。

 ハエのように手をすり、足をすり、「何とかおねげぇしますだ」と言わ

んばかりの卑屈な、弱気な就職活動をしているのではないか。

 本来希望であるべきものが、恐怖にすり代わってはいないか。

 それでなお一層、「人材」としての値段がつかなくなってくる。

 結果、在庫品になる。

 

 「みんなと一緒のことをやってもだめだ、逆発想でいけ」と檄を飛ばす。

 すなわち、自分を高く売れ、強気で行けということだ。

 デフレの時代でも、本物にはそれなりの高値がつくものだ。

 時代は本物を求めている。

 

 みんなと一緒という弱気相場は、結局は自己保身であり、人材とし

ての積極性を欠いているのだ。

 会社が求めているのは、将来性のある、発展的な人材である。

 就職難といわれる中で強気に売るのは勇気がいるだろうが、それが

できなければ、結局は仕事も人生も発展的ではない。

 

 それにしても、張子のチャイナに対して、ハエのように手もみして卑

屈たらたらに擦り寄る日本企業の情け無いことよ。

 チャイナ製品など、買いたくはないものだ。

 チャイナ依存の企業の商品も、よしとはしない。

 デフレに求められる商品とは、安物ではなく、高くても本気で作られ

た本物である。

 

 みんながそのことに気がつけば、いつの間にか、デフレではなくなっ

ている。

 安売り促進型の企業も姿を消している。

 ユニクロも、トライアルもである。

 

 安売り競争に血道をあげているスーパーなどは、その先はもう長くな

いことであろう。

 安売り競争は、国を安く売っているようなものだと、よくよく反省すべ

きことである。

 

 逆発想で、高くてもいいものを買うようにしてみようではないか。

 逆発想の中にこそ、新しい芽があるものである。

 大衆の中ではなく、変人の中に新しい芽がある。

 そういうものが求められているのが現代ではないだろうか。

 

 変人よ、少数派よ、脱落者よ、大志をいだけ!

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi        

          

 

  

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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