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すぶんろこ!のジャパニーズドリーム

■『すぶんろこ』とは、コロンブスの逆転の発想

■日本国独立宣言!「日本国憲法」無効宣言、日本軍再構築宣言!

+ 中元の人・・・ しつこいマスコミ左翼の反原発キャンペーン  九電よ、国益のために戦え  

2011年07月16日 08時16分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 中元の  叔父臥せるらし  飯田橋 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 昨日は追い山にかくれてしまったが、陰暦満月の新暦の

中元であった。

 

 中元とは道教に由来し、千支暦の1元60千支を三分して、

上元(1月15日)、中元(7月15日)、下元(10月15日)とした

ことに由来するという。

 中元は罪滅ぼしのために、お世話になった人にお礼を

風習となったらしい。

 

 中元は、陰暦の行事であるが、新暦では昨日が中元とい

うわけである。

 デパートとしては、中元は二つあったほうが都合が良かろう。

 プレゼント消費は悪いことではない。

 たくさん、感謝の日を企画するとよい。

 

 

 

 

  

 しつこい、マスコミの反原発キャンペーン 


 「反原発」は反日左翼のキャッチフレーズである。

 九電が説明会参加を身内に呼びかけたメールが如何にも

重大犯罪のように連日報道し続ける。

 図に乗った政府が九電人事にまで口出しする始末である。

 

 原発停止こそが国益を損ない、信を失った亡国・民主党の

越権行為であるとすれば、原発再開に向けた運動画策こそ

は国益のための戦いであり、正義の戦いであるはずだ。

 

 九州電力よ、今こそ愛国の戦いをせよ。

 それこそが、これまでの特権的営業の罪滅ぼしともなるで

あろう。

 九電の中元商戦は、原発再開運動にこそある。

 ここで怯んではなるまい。

 

 マスコミでなんと叩かれようと、左翼政府からどう言われ

ようと、平然と対応せよ。

 菅総理に正義は無いが、菅総理のあつかましさを見習え。

 政府があつかましさの見本であるならば何を遠慮する

ことがあろうか。

 正義は原子力発電再開にこそあるのだ。

 原子力発電所増設にこそある。

 

 電力不足で海外移転をする企業を出しては、それこそ

独占企業電力会社の責任である。

 社会主義政権は本質的に嘘つきの政治をする。

 嘘が政治手法なのである。

 

 企業は、工場稼動を低下させてはならない。

 政府にその権限は無い。

 日本経済を壊滅することのどこに正義があるか。

 電力不足は回避できると言う根も葉もない嘘にだまされて

はならない。

 

 企業こそは、国家を守る砦である。

 ドラッカー先生の経営学の言わんとする状況が現れている

のだ。

 九州電力よ、獅子身中の虫を駆除し、マスコミや亡国・民主

党政府と戦うべきである。

 

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

 

  

  

  

  

    

  

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+ 追い山天に上る・・・ 奸賊の菅に日本を触らせるな! 

2011年07月15日 07時54分23秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

  追い山の  男の踏みし  水の跡 

    梅士 Baishi

 

 

 

 朝六時過ぎ、2011年の山笠が終わった。

 そこに駆けて行くのは後追いである。

 最期のアナログ放送で、その勇壮を眺めた。

 

 追っかけをするほどの山のぼせにはなれない。

 山笠は通りすがりである。

 しかし、博多の季節である。

 博多の夏が急峻な山を駆け上がり、山頂で解散して、

だらだらとした下り道を歩いて帰るというふうであろう

か。

 

 かくして博多の夏が終わり、余熱の夏がうだるのであ

ろう。

 しかし、日本革命は道半ばである。

 中国を睨み、韓国を睨む。

 日本を占領しようとは、思い上がりもはなはだしい。

 日本は、半島も大陸も獲物としてきた国である。

  

 日本の堕落は驕りであろう。

 商売だけでは日本らしくない。

 武士道精神あってこその商売である。

 マスコミと言う思い上がった商売人たちが日本を蝕ん

だ。

 駆除しなければなるまい。

  

  

  

 山立てて  山を動じて  奉納し 

   梅士 Baishi

 

 

 博多祇園山笠は神事である。

 神足が走るのである。

 山は転がすものではない。

 山は担ぐものである。

 そうでなくなれば、廃るであろう。

 

 今年は走りの東流が29分10秒という近年稀な好タイム

廻り止めをした。

 さすがに、東流と千代流は二傑である。

 

 


 

 追い山の  明けのすずめが  鳴きはじめ

   梅士 Baishi

 

 

  

  奸賊の菅に日本を触らせるな! 


 日本のエネルギー政策について、原子力発電廃止の方

を菅が発言している。

 

 菅は、国民の信を得た総理ではない。

 天災に乗じて日本をかき混ぜた奸賊にまだ総理をやら

せるつもりなのか。

 日本の将来を騙らせるな。

 騙っていることは、禁じ手である。

 

 北朝鮮のように開き直ってなお、日本を蝕もうとして

いる菅を許してはなるまい。

 亡国・民主党をこれ以上のさばらせてはなるまい。

 亡霊のように立ち上がった左翼民主党を祓わねばなる

まい。

 

 政治もまた神事である。

 私心でなされるべきものではない。

 商売としてなされるものでもない。

 

 王といえども、神と法の下にあり。

 これが、祭政一致の法理である。

 すなわち、民主主義の前提なのである。

 

 心ある政治家は、幸福実現党に結集せよ。  

   


立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 集団山見せの博多っ娘・・・ 政府は台湾に対する恩知らずで卑劣な差別をやめよ! 

2011年07月14日 08時19分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 父の背の  おいさと走り  娘は風に         

   梅士 Baishi

 

 

 

 

 13日午後4時近く、天神界隈は博多祇園山笠の集団山

見せで、有事の賑わいとなった。

 何度見ても、この賑わいはわくわくとして楽しい。

 明日早朝には、早くも追い山である。

 山笠が一年先の夏に駆けすぎて行く。

 そして、セミたちがおとなしくジ~ジ~と鳴く夏になるの

である。 

 

  

 

  

  

 先陣の  押し渡りたり  中洲川

   梅士 Baishi  

 

 

 

 博多祇園山笠は博多の商人町の伝統である。

 商人の地域を博多といい、城下町の地域を福岡と言った。

 山笠は、博多の町を駆けたのである。

 しかし、集団山見せは、中洲の川を渡って、城下にその

勇壮を披露する儀礼でもあった。

 

 たしかに、天神には市役所があり、武家を気どっている

輩もいるのかもしれないが、現代の公務員には武士道精

神の高潔など無縁のものである。

 

 市役所前での集団山見せというのは、ちょっと山の穢れ

のような気がしないでもない。

 市役所は是非、人工島に移転して欲しい。

 それが、責任であり、けじめと言うものである。

 

 

 

 

  日本政府の台湾差別問題 


 『台湾は日本の生命線http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-1569.html

によると、政府の台湾に対する差別が目にあまる。

 東北大震災で被災した私費留学生に奨学金を支給する

救援をしたのは良いが、台湾人留学生は対象外とされた。

 諸外国からの救援金の標記からは、170億円もの支援金

を送った台湾には、その国旗がはずされて報道された。

 

 恥ずべき国家のありようである。

 恩知らずであり、卑劣である。

 中国の植民地ならいざ知らず、まだ、その軍門には下って

いないと言うのにである。

 

 だから、核武装し、中国に対抗する軍事国家の構えを

回復しなければならないのである。

 台湾はまさに、日本の生命線であり、友好国である。

 これ以上、中国の侵略横暴を許さないためにも、毅然と

して、独立国家としての気概を示すべきときであろう。

 

 台湾にも、国民党ではなく、民進党の政権を回復するべき

である。  

 台湾は亡命政府として大陸支配をもくろむのではなく、

独立国家としての道を明確にするべきであろう。

 国民党は、台湾の禍なのである。

 

 台湾が、日本と共に、独立国家として繁栄することを願っ

て止まない。


   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 集団山見せ・・・ 平和とはスポーツマンシップにある  自由主義と社会主義

2011年07月13日 07時40分33秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 軍神を  陣に据えたり  西流 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 今年の一番山の誉れは西流のようである。

 舁山の人形は天下を狙った武将、黒田長政。

 今日はいよいよ集団山見せ、追い山を見れない寝坊たち

にとっては最期の勇壮な走りである。

 今日ばかりは、子供も入ってほほえましい姿もある。

 

 博多祇園山笠の縁起は13世紀初頭、承天寺の住職、

聖一国師が施餓鬼に乗って、病魔退散の甘露水をまいた

のが始まりと言われているが、おそらく元寇以来は軍神が

走る祭りとなったであろう。

   

 軍神の国日本が、今や自立の精神を見失って餌をほしが

るばかりの愚かな国民による社会主義の国に成り下がって

しまった。

 国はなくてもよいのだ、中国に併合されたほうが平和なの

だという売国奴思想をもつ社会主義政権を選んでしまった。

 

 社会主義とは国民の自立を認めない独裁的管理社会で

ある。

 経済は配給経済である。

 それが競争の無い、平等で平和な社会なのだそうである。

 平和とは、争わないこと、言いなりになること、国を譲り

渡すこと、奴隷になることだという。

 

 しかし、日本に核ミサイルを向けている中国は良い国で、

日本を乗っ取るなんてありえないから安心して良いのだと

いうのである。

 敵の軍神に憑依されている輩の呪文に過ぎない。

 

 軍神よ、再び目覚めよ。

 平和とは、戦わない者には与えられない。

 戦わない者は、気概無く、不甲斐ない愚劣な者たちである。

 平和とは、力と気概を持つ者同士の尊敬にある。

 いわば、ライバル同士のスポーツマンシップである。

 

 自由と独立の新憲法を制定せよ。

 殻を破り、脱皮して新生できないようであれば、日本は

無用の国家として尊敬を失うであろう。

 山笠の走りに、日本独立の気概と勇壮を描き見たいもの

である。

 

 因みに、唐津くんちの曳山も有名だが、ごろごろと車で

転がすだけである。

 これでは、気合が入らない。

 唐津くんちが今一つつまらない理由である。

 

 

   

  

 

 社会主義と自由主義 


 社会主義とは生活の国家依存であり、権力者に逆らう

ことが許されない奴隷化である。

 奴隷の平等であり、精神的萎縮と経済の貧困は実証さ

れている。

 

 自由主義とは、自助努力の自由であって、依存ではなく

自立である。

 だからこそ、愛国のために権力者に対抗することもできる。

 民主主義とは自由の精神と努力に支えられるものである。

 北朝鮮の「人民民主主義」とはあつかましい詐欺的看板

である。

 

 ヨーロッパも日本も、国家福祉による国からの給付に依存

して、楽して生活したいと言う社会主義の傾向を強く持って

いる。

 しかし、ヨーロッパは軍隊を持って国家の独立を守ろうと

言う気概を当然の如くもっていることで独立国家であるが、

日本は、軍隊は悪と規定して、国家を守らないことが平和

であるとする。

 すなわち、防衛放棄の非独立国家である。 

 

 奴隷国家ないし植民地を希望しているが、主を中国にする

か北朝鮮にするか、アメリカの気持ちはどうなのかと迷って

いる状態である。

 まったくもって、ひどい状態になってしまった。

 

 亡国民主党とマスコミは、原子力発電を停止し、その再開

をけん制し、東北の野菜を出荷禁止にし、電力不足、野菜

不足で、国家配給制の基礎固めをしているところである。

 

 西日本新聞よ、お前たちの正義は亡国にあるとでも言う

のか。

 九州電力批判をやめよ。

 その非国民活動を謝罪せよ。

 

        立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 12日、追い山傘ならし・・・ 国民よ、民主主義の関門を知るべし!

2011年07月12日 08時10分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 十二日  追い山ならしの  風吹いて 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 集団山見せ前日の今日は、追い山傘ならしで、街中に

清い水が飛ぶ。

 今年はその走りになかなか出会えない。

 今日はどこかで見かけたいものだ。

 ああ、飾り山笠もあと四日で姿を消すのか・・・。

 

 

 

 

  

 国民よ、民主主義の関門を知るべし 


 民主主義とは国民の参政権を補償する国民自治の政治

原理であるが、参政権にはその能力が求められるもので

ある。

 これを無視して、ただ選挙権をばら撒くと、国が亡びる。

 

 民主主義の前提には三つある。

 まず、国民に公的な精神、愛国心が根付いていること。

 次に、教養と財産があること、即ち、自立した国民であ

ること。

 そして、国民の知る権利というべき良質の情報が行き渡っ

ていること。

 

 現代日本の民主主義は、民主的統制を受けないマスコミ

権力の独裁的な政治体制になっている。

 国民は愛国心が薄く、マスコミに操作されやすい大衆民主

主義に陥っている。

 

 現代民主主義は、独裁国家、社会主義国家を生みやすい

状況だと言える。

 

 国民よ、主権者であるならば、そのハードルと責任を自

覚せよ!

 しからざれば、民主主義は国を滅ぼすことになるのだから。

 

        立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 夾竹桃の紅の路・・・ 祝・ご生誕祭  平等思想の真髄  奪う論理としての平等社会主義を許すな

2011年07月10日 18時15分41秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 盆の路  夾竹桃の  花紅く

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 7月15日の盆まで、あと5日あまりになった。

 今日は流舁、明日は朝流舁と他流舁となって、いよいよ

激しく動き始める。

 12日は追い山笠ならし、水曜日の13日は日中の山笠

が最高潮となる集団山見せと流れ込み、金曜日の15日が、

早朝のフィナーレ追い山となるのである。

 

 しかし、今日は何事も無く、暑眠を決め込んでいる。

 東京幕張メッセではご生誕祭と講演が行われたのだろう。

 組織外の信者には遠い世界のことである。

 今はもう、若者たちが教団を支えている。

 昔は東京まで出かけていたものだが、ずいぶんと大きな

教団に発展したことである。

 

 その空にUFOフリートは出現したのだろうか。

 宇宙時代の法が、救世の法として説かれている。

 こうした発想や思想は救世主以外には説き得ないこと

である。

 日本人は謙虚になるべきなのだ。

 

 神も仏も、人間の肉体に宿れば、せいぜい、慈悲深い王

ないし指導者として働く短い人生の頸木からは逃れられ

ない。

 それを、所詮人ではないかと勘違いしてはならないのだ。

 その見分けは、その説く法の大きさ、深さ、叡智というべき

先見性に秘められている。

 

 法を理解しない限り、人間に宿って降臨した救世主を認め

ることはできないであろう。

 日本に降臨したのは、仏陀の頃からの計画であったろう。

 今がその時であるとは・・・。

 

 

  

  

 夏口に  夾竹桃の  紅を引き

   梅士 Baishi  

  

 

 

  

 平等思想の真髄~ 奪う論理としての平等を許すな 


 一党独裁の恐怖政治を生むために使われるイデオロギー

が「平等」という言葉だろう。

 差別なき世を作るために、みなが等しく暮らせる世の中を

作るために、といえば聞こえが良いが、全員が平等と言う

ことはありえないことである。

 

 なぜなら、社会あるところに権力があり、これを頂点に序列

階級が生まれるものだからである。

 社会も組織も、そうしたものである。

 平等という組織は既に、組織ではないのだ。

 

 社会主義社会であっても、権力者は平等世界にはいない。

 権力は常に、自由と競争の中にもまれて、社会に君臨する

ものである。

 それが、世の中を統治する権威としての必然なのだ。

 

 

 結局、「平等社会」は永遠に来ない独裁のためのプロパガ

ンダといってよい。

 自由を排除する平等などあってはならないことなである。

 平等とはいわば、太陽の光のようなものであろう。

 与える側の論理である。

 分け隔てなく与えよということである。

 

 ところが、社会主義では、奪うための論理として平等が

用いられている。

 格差是正・再配分と言う名の下に、義賊気取りに富者から

奪い、弱者に配分する。

 

 即ち、左翼の平等主義とは、自由を奪い、差別して与え

るのである。

 しかも、権力者は不平等の勝者の側に居る。

 すでに平等ではないのだ。

 

 市川房江が理想の国だという北朝鮮は世襲制の一党独裁

恐怖政治の盗賊国家であり、中国も権力者が貪り争う一党

独裁の差別国家である。 

 平等の仮面を被った社会主義思想の呪いは解かねばな

らない。

 

 確かに、身分差別の合理性は失われた。

 お助け小屋のような制度も必要だろう。

 そこに近代的平等主義の意味はあったろう。

 

 しかし、それ以上に奪う論理としての平等があってはなら

ないし、自由を奪う平等であってもならないのである。 

 独裁的支配の化けの皮というべき「平等主義」とは、奪う

論理としての平等主義である。

 逆差別の平等主義である。

 

 農業者への補助金、漁業者への補助金など、特定の職業

者への補助金は差別ではないか。

 公務員と言う自由主義の例外を30兆円もの人件費で賄う

ということも異常な自由制限と税金という収奪制度である。

 これを国家社会主義の肥大化というのだ。

 

 平等の真髄、それは、人は皆、自助努力の自由を享受

するということにある。

 すなわち、自由の本質を個人の視点ではなく、社会的な

視点でみたものというべきであろう。

 

 自由の本質は、弱肉強食ではなく、切磋琢磨し、慈悲を

与える者となる誉れにこそある。

 それを教えるのが「平等主義」の真髄であろう。 

 

 平等の名の下に、所得再配分という奪う論理を振りかざ

してはならない。

 それ自体が差別である。

 平等の名の下に、自由を制限し、奪うことを正当化する

社会主義を許してはならない。

 

 福祉事業は本来、人々や企業の寄付、植福によって賄わ

れるべきものである。

 社会主義政権を許してはならない。

 

 愛国、愛国民の国を創るべきである。

 だからこそ、信仰が大切なのだ。

 信仰とは愛だからである。

 これこそ、平等思想の真髄である。

  

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 水鏡に冷やす夏・・・ 初蝉  極めて単純な政治状況と「エリート」とは化けの皮のバカどもの証明

2011年07月09日 21時18分37秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 水鏡  小暑大暑を  冷やしたる 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 梅雨がはねると、俄然猛暑になる。

 山笠の団扇も気休め程度で、絵に描いた水しぶきでは

どうにもならない。

 午後三時を過ぎた頃、唐突に家を飛び出して農学部の

森に出かけた。

 夕方といっても日が長い。

 

 耳の錯覚かと思ったが、山の出城はニイニイゼミの蝉時雨

だった。

 今年の初蝉である。

 ニイニイゼミ自体が少なくなった。

  懐かしい声だ。

 

 森に入ると、ヒグラシがかなかなと鳴いている。

 なんとも涼しげだが、どんなに枝を追っても姿は見えない。

 カナカナ、カナカナ・・・。

 長崎の山にも鳴いているが、いかにも高原の蝉である。

 突然に、夏になってしまったことである。

 

 トンボが飛んでいる姿を撮影しようと追いかけたが、終に

ピントを合わせることができなかった。

 広い草原に、カラスと自分とが間合いをとって、ピョンピョン

とはねた。

 

 梅雨明けの空は、奇妙奇天烈の雲が思い思いに造形して

流れている。

 蓮池の水面が水鏡になって写している夏空は信州の空を

見るように美しかった。

 

 

 

 

 初蝉は、山中のことであろうと思っていたが、なんと、天神の

街路樹では、クマゼミが鳴き競っていた。

 山笠も今日から全流れのお汐井取りで動き始めた。

 何とも忙しくなってきたことである。

 

 これから盆まではセミ時雨に交じってニイニイ、ワシワシ、

カナカナと鳴き競わねばならない。

 いよいよ、夏本番である。

 

 

   

 

  

  

 極めて単純な政治状況 


 菅総理は辞めないと断言している。

 菅総理は、原子力発電所は再開させないという姿勢を

孤軍奮闘貫いている。 

 明確なことである。

 それを「善意」に解釈してもめているのが愚かな政治状況

である。

 

 菅は辞める気は無い。

 原子力発電は停止したまま廃炉に追い込む。

 財政は、福祉によって破綻させ、重税を課して日本経済を

地に叩き落す。

 国民にはばら撒き税制と、原子力悪玉説によって懐柔し、

のしをつけて中国の奴隷として叩き売る。

 

 

 菅の直前の過去世は、サイパンで玉砕した若い兵卒だっ

たようである(大川隆法著 幸福の科学出版刊『国家社会

主義とは何か』)。

 婚約者が居たのに・・・手榴弾で自決したと。

 だから、アメリカ軍が嫌いだ、国そのもが必要ないと言う。

 

 それで、太平洋戦争における戦死の鬱憤を晴らすべく、

日本潰しに執着しているのである。

 その憎悪に憑依した悪魔は菅を指導し、政治、経済、国家

の安全をかく乱している。

 

 菅に憑依した上官とうべき悪魔は、しかるべき戦功をあげ

たら、菅を新しい悪魔に登録して、その労に報いるつもり

なのだろう。

 

 その程度の悪魔にかく乱されている日本のエリートたちは、

東大法学部だ、高級官僚だ、一流企業の高級会社員だとか

言っても、所詮は受験秀才に過ぎない。

 高級奴隷といったところだろう。

 

 彼らの高級な理論は、「目に見せて説明してくれ、それ

までは出鱈目だと言われても仕方あるまい」という否定の

社会主義であり、盲目の唯物論者に過ぎない。

 一言で言えば、救いがたいバカである。

 

 学歴、職歴ブランドだけではなくて実力がおありになる

なら、それをこそ証明して見せなさい。

 しからざれば、バカだと言いわれても仕方ありますまい。

 いやいや、本当にバカでしょ。

 事実とは、元を正せば、単純明快である。

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 桔梗包みのお中元・・・ 九州電力の「やらせメール」は正当な活動である。 非難報道を謝罪撤回せよ。

2011年07月08日 10時32分39秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 中元の  桔梗の花の  包み解き 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 関東ではお中元の季節である。

 お盆といっても、新暦の盆では梅雨が晴れなくて、仕事も

忙しく、一ヶ月前予告のようなものだ。

 その予告のようなお中元が、毎年決まって届けられる。

 東京の叔父さんからだ。

 

 今は入院しているのだと言う。

 お見舞いに行こうか・・・。

 久しく上京していない。

 桔梗の風船に乗って、瞬間移動したいものだ。

 

  

 

  

 

 桔梗玉  七夕頃の  星になり

   梅士 Baishi

 

 

  

 学生との七夕談義。

 「ミカんとこね、山に登ると星がいっぱい見えるのよ。でさあ、

銀河があって、あれって、雲なの?で、三途の川が見える

じゃん・・・、えっ、見えない?え~、みんな見たことないの?

あれって、三途の川だよお・・・」

 そこで、一同が爆笑した。

 

 でも、三途の川って、銀河みたいに見えるのかもしれない

なあ・・・、と爆笑した後、ふと思ったことであった。

 

 

 

  

 

 

 九電やらせメール非難をやめよ 


 九州電力の原子力発電再開運動として、原発の安全性

を説明する番組への支持メールを依頼した件で、「やらせ

メール」として極悪非道でもあるかのようにマスコミ各社が

扱っている。

 そうした報道に怒りを感じる。

 

 支持のメールを呼びかけるのがなぜいけないんですか?

 政治運動って、みんな「やらせ」になるんじゃないですか?

 民主党もマスコミも、ずいぶんとあくどい「やらせ」をして

報道統制しているじゃあないですか。

 これこそ許されませんよ。

 

 集団で動かなければ効果がないし、呼びかけなければ、

運動は広がらないでしょ。

 身内から運動展開して、一体何が悪いと言うのですか。

 支持メール、反対メールなんて、組織的な呼びかけ運動

で展開するのは当たり前のことで、まして、原発再開は正当

な要求でしょう。

 

 

 いかにも極悪非道をやったかのように報道すること自体が

非国民反日メディアの何よりの証拠といってよい、いかにも

軽率な扱いである。

 原発再開自体が悪いことだという扱いではないか。

 

 九電は、組織の全力を挙げて、原発再開、新規増設に

踏み込むことだ。

 九電は、当然のことをやっていると評価している。

 簡単に頭を下げるべきではない。

 原発再開は日本経済を支えるために電力会社が率先して

動くべき国家の大事です、と宣言すれば良い。

 

 亡国・民主党やマスコミにこれ以上、亡国の悪行を重ね

させてはならない。

 九州電力よ、そのグループ企業よ、反原発なら、その仕事

から手を引くことだ。

 内部告発というなら、なんという愚かなことだ。

 

 原子力発電所を香椎の人工島に建設しよう!

 打倒、亡国・民主党、打倒、反日メディア!

 パンツ被りの枝野は、謝罪して議員を辞職せよ!

 

 品のない政党のことでございますから、批判する言葉にも

品位が欠けがちになりますことで・・・。

 

 枝野という男、どうもいやらしい感じがする。

 マスコミよ、軽率な報道を謝罪して、九電を支持せよ!

 西日本新聞も同罪である。

 バカ新聞が・・・。

  

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 七夕の雨・・・ 亡国・民主党による粛清が始まる  節電熱中症を防げ

2011年07月07日 08時02分50秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 七夕の  銀河は今朝も  雨になり 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 今日は新暦七夕である。

 銀河は大雨増水中。

 でも、お中元の季節にはなった。

 縁起良く、七夕のお中元を贈ろう。

 何がいいだろうか。

 

 母にはひよこサブレにしようか・・・。

 東京のおじさんには、何がいいだろう。

 さくらんぼはいけない。

 ぐしゃぐしゃになるらしいから。

 糖尿病でも安心のカステラとか開発すればいいのに・・・。

 

 

 

 

 

 七夕を  渡りし巫女の  花揺れて

   梅士 Baishi

 

 

 

 今日は、主エル・カンターレのご生誕祭の日である。

 主のご降臨を、心より感謝します。

 主の説かれる法を魂の糧とできる幸いを感謝します。

 主の指し示される未来に立ち向かうことのできる生きが

いに感謝します。

 

 主が、遺憾なく、その崇高な使命を果たせるよう、少しで

も貢献することができますように!

 

 

 

  

  

 亡国・民主党による粛清~ 節電型熱中症被害増える! 


 悪魔・菅総理は、東北大震災の隙を突いて、左翼の反核、

反原子力イデオロギー路線を原発全面停止という暴挙で

実現している。

 その上、次ぎは、反原発で選挙をしようという目論見で

ある。

 それが、亡国の切り札であることを、理解しなければな

らない。

 

 リバティーwebによると、ヨーロッパを熱波が襲った2003年

の夏、熱中症で5万人が亡くなったという。

 社会主義政権の粛清は、節電熱中症による処刑という

ことになりかねない。

 既に、6月中だけで、6877人が熱中症で搬送され、15人

が亡くなったという。

 反原発節電消費税値上げという亡国民主党の悪政のため

に、既に犠牲者が出ている格好である。

 

 でありますから、みなさん、節電なんてよしましょう。

 原発全面再開、原発増設を訴えましょう。

 非常時冷却水給水ポンプの稼動電力は、津波発電をマイクロ

波送電技術で供給するというのはいかがですか。

 対策はすぐにもできることでしょう。

 

 国民がお仕事に熱中できるよう、節電熱中症にならない

ように自己防衛しながら、国家のエネルギー政策の危険

性を訴える夏にいたしましょう。

 一難去ってまた一難、ほんとうに、亡国・民主党政権は

日本に祟りますねぇ。 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 蕎麦の梅雨・・・ 人権左翼を許すべからず  自治体は人権活動をするな  人権無用論

2011年07月06日 21時41分54秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 

 

 雨降って  つゆかきなでて  蕎麦を食い 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 今日は大雨だった。

 アスペルガー星人が変人星人の先生に怒られて、大声

をあげた。

 それよりもっと大きな声で変人星魚食レプタリアンが吼

えた。

 それでも、顔をしかめながらついてきて水泳をした。

 少しづつだが、上達した。

 ほめてやるとうれしそうだった。 

 

 帰りはいっそうの大雨だった。

 学生と蕎麦を食い、地下鉄で帰った。

 蕎麦にはやっぱりつゆが合う。

 梅雨には蕎麦が一番だ。

 アスペルガー君は一番高い天ざる蕎麦を食った。

 まあ、いいか、少しいじめたし・・・天高く、蕎麦食らう梅雨

というではないか。

 

 ハイレグ女子水泳部は実現しなかったが、おぼれそうな

草食男子水泳部はなんとか浮かんでいる。

 海洋国家日本である。

 国民たる者、イルカのように泳いでしかるべきであろう。

 

 おばあちゃんが初めての水泳に挑戦するらしく、手探りで

プールを移動していた。

 ゴーグルに値段シールが張り付いたままだったらしく、監視

員の適切なアドバイスで、目が見えるようになった。

 なかなかの監視眼に感嘆した。

 

 老いてなお健康、これが一番だ。

 

 

 

  

  

 人権団体に公費を出すべからず 


 「人権擁護」の「市民団体」のために、自治体の部署があり、

左翼系の人権団体に多大な公費が支給されている。

 人権とは左翼のブランドである。

 なぜ、そんなことが許され、放置され、公務員までつけ

るのか。

 

 辞任劇で顰蹙者の松本議員が、そうした人権左翼の筆頭

をして暴力団以上におそれられ、建設業に関わらず、不況

知らずの大資産家になっている。

 

 あの横柄振りを、「九州の人間ですので・・・」とはふざけるな!

 九州伝統の男は情熱的だが、高貴なのである。

 やくざに汚されたくはない。

 人権が左翼ブランドとはひどい話ではないか。

 

 人権の本質とは、自助努力の自由を言うのである。

 平等を言うのではない。

 平等思想の悪徳をのさばらせてはならない。

 人権と言う言葉は廃止したほうがよい。

 自助努力の自由を不当に制限してはならないと言えば

足りることである。

 

 民主党の左翼ぶりには、いよいよあきれるばかりである。

 左翼の本質は否定することにある。

 このことを忘れてはならない。

 重要ポイントである。

 

 否定による破壊と喪失、これが左翼の嫉妬体質の結論

である。

 おぞましい政権を、日本が菅しているとは・・・。

 

 この程度の雨では流せまいて。

 怒涛のように降るべし。

 龍の威力を見せるべし。

 天の怒りと知るまで、押し流すべし。

 死してなお、天の怒りは天地を動揺することであろう。

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 七夕の恋の笹・・・ リバティーWeb報道の貴重  泥棒国家、嘘つき国家、暴力団国家中国を処断せよ

2011年07月06日 08時09分24秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 七夕の  恋などありや  笹立てて    

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 「あ~あ、ふられちゃったあ、わたし・・・」

 「え~、も~ぉお?」

 「うん、そうなんよお」

 ずいぶん気軽に、「私とつくあってくれ~ん」なんていって

たもんなあ。

 

 

 まあ、星が見えない、それが七夕なのかもしれない。

 

 

 


 
 泥棒国家中国、嘘つき国家中国、暴力団国家中国 


 リバティークリップには、見逃せない時事問題が指摘され

ている。

 

 日本の新幹線技術を盗んで特許申請、抗議した松本外相

に対して、「これは中国の独自技術」とうそぶく。

 南シナ海、東シナ海での侵略行動については、日本には

関係ないと開き直る。

 揚外相の発言は、そっくり北朝鮮に伝授した本家の正体を

開陳している。 

 

 やはり、中国に対しては国際的に一致した制裁が必要で

ある。

 泥棒をそのまま許してはならない。

 それが、国連安全保障理事会の常任理事国だなんていう

のは、国連が犯罪者の下で防犯体制をとろうというとんでも

ないまやかしを示してもいる。

 もっとも、国連とはダミーであって、安全保障体制は別途

構築しているのではあるが、そのダミーに本気で資金提供

している日本は、バカである。

 

 ソウル東部広津区のカンビョンテクノマートビルで謎の上下

振動が10分あまりも続いたというニュースも出ている。

 倒壊の予兆としても、北朝鮮から地下工作されているのか

もしれない。

 

 日本の首相は悪魔に乗っ取られ、政権もその組織と化し

ているが、悪魔の国中国にアジアを乗っ取らせるわけには

行くまい。

   

 最近、街頭演説の右翼のご老体の論調がずいぶんと

やさしく、おとなしくなった。

 市役所から寄付金でも出たのだろうか。

 

 買収されていないのなら、九電に原子力発電せよ、NHK

に民営化せよ、市役所に人工島のプレハブ庁舎に移転せ

よと厳しくぶち上げてはいかがか。

 

 機会があったら、そんな立ち話でもしてみようか。

 幸福実現党福岡にはそんなアドリブはできないようである

から、右翼も捨てたもんではないかもしれないのである。
   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 通り雨・・・ 犯罪本質論~ 行為無価値・社会防衛論の再評価

2011年07月05日 07時45分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 通り雨  雷神激geki し  人走り

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 風は吹いていたが、どうせのんびりとした曇りだろうと

思っていた。

 ところが、昼頃に土砂降りが駆けていった。

 目の前の雨の大きいこと。

 そして雷が光った。

 有事の様相に、人が右往左往した。

 

 そろそろ、梅雨も明けるっぺ。

 どか雨がざんぶり落ちるっぺなあ・・・。

 

 そういえば、宇都宮は雷の名所であった。

 大雨、大洪水にご用心。

 獅子身中の虫を押し流したいそうですので・・・。

  

 

  

  

  

  

 犯罪本質論~ 行為無価値・社会防衛論の再評価 

 


 刑法における犯罪本質論は、結果無価値論をベースに

している。

 権力は恐ろしい、何をするかわからないというフランス的

権力不信をベースにして犯罪の成立を制限的に解釈する。

 その分、国家の免疫力は落ちている。

 

 確かに、人は権力をもつと横暴になりやすい。

 日本でも拷問やそれに類したことは大いにあったし、今でも、

その惧れを危惧することはあるだろう。

 あるいは、権力は本質的に国民の自由を制限する立場に

あるが故に、小さな政府を目指すべきだというのは正論で

あろう。

 

 現代の肥大化した公務員組織は、国民から税金を取り立

てて自己保身を図る組織になっているのをみても、小さな

公務員組織に仕立て直す必要がある。

 公務員組織は国民の自由と財産に寄生する。

  

 しかし、それでも警察制度は社会の安全を守り規律を

維持するためには欠かせない。

 検察の立証責任をあいまいにしてはいけないが、立証

できたことを前提にすれば、犯罪の本質は危険犯であると

いうべきである。

 その結果、犯罪の成立範囲が広がるとしても、それは必要

なことである。

 

 結果無価値とは、犯罪行為の結果として実害(構成要件的

法益侵害)が発生したことを犯罪認定の基本とする考えであ

るが、殺人未遂を考えた場合は、被害者を想定しなければ

ならないのか否かという問題にもなる。

 

 しかし、犯罪の本質を、個人法益侵害に対するペナルティー

というなら、全て親告罪とすべきであろうし、あえて、国家が

司法権力で裁く意味はないということにもなろう。

 すなわち、犯罪の本質は国家社会の安全を脅かす危険で

不道徳な行為から社会を防衛するという意味が基本にある

と考えるべきなのである。

 

 その上で、教育刑として死刑を含む処断がなされるという

考えでよいのではないか。

 死刑の教育性は、けじめという反省と、処刑までの反省

期間にあるし、あの世での反省を容易にするという意味もある。

 

 「個人的法益に対する罪」という考え方にも、結果無価値で

はなく、行為無価値・社会防衛の観点が基本にあるという

ことを反省すべきである。

 

 たとえ、人形を狙撃した場合であっても、行為者の立場

からそれが生きた人間と見える状況であれば、これに乱射

した者は殺人未遂の危険性をもった者であり、こうした凶悪

な行為におよぶ人間から社会を守る必要があるということ

になる。

 

 すなわち、殺人未遂で処断すべきだと言うことである。

 刑罰についても、社会防衛・教育刑の観点から再整備さ

れるべきであろう。

 そこに危惧される権力の横暴を防止する仕掛けは別途

考慮されるべきことである。

 

 自由主義的観点から国家権力を警戒する考え方の延長

線上に社会主義の発想があり、アナーキズム(無政府主義)

がある。

 

 亡国・民主党は、国家はないほうが良いのだという国家

無価値の思想を持っていると思われる。

 60年安保、70年安保の頃の左翼学生に蔓延していた

国家観ではなかったか。

 亡国こそは、彼らの理想であるということである。

 

 しかし、権力無き社会秩序はない。

 権力無き自由は無いということである。

 だからこそ、権力は愛国心、さらには信仰心という私心を

超えた正義への謙虚が求められるのである。

 

 因みに、刑法の空洞化も問題である。

 猥褻の罪、堕胎罪というのも、もう一度立て直す必要が

ある。 

 表現の自由を社会主義的にしてはならないし、人命の尊重を

胎児にまで認めることも必要である。

 性のモラルとは、社会的退廃防止の理性でもある。

 

 そもそも、性がなければどうなのかを考え直してみることだ。

 そこに、性のモラルということも見えてくるのではないだ

ろうか・・・。  

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 梔子の香りに振り返り・・・ 貧乏神政権打倒の秘策~ 保守政変のすすめ

2011年07月04日 07時50分47秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 梔子kuchinashi の  何処に咲くや  見返りて

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 この季節、夾竹桃が咲き始め、桔梗が咲き始め、紫陽花

とゆりが終わりを迎えつつ、何より、梔子の花が夏の始めの

白花をつける。

 

 これほどに香り高く、甘く高貴な香りの花であるに関わらず、

野生的でもある。

 野生の梔子を見ることは滅多にないことであるが、白十字

の花の香りは、園芸種にはない鮮やかなものであった。

  

 梔子が香る頃、いよいよ夏なのである。

 そういえば、もうすぐ新暦の七夕であるし、新暦の盆でも

ある。

 しかし、雨の季節でもある。

 七夕よりも、雨もありがたい山笠かなあ。

   

  

  

  

  

  貧乏神政権打倒の秘策~ 保守政変 


 財界も国民も、政権打倒の意欲はなさそうである。

 一種、アパシーであるとしたら、危険である。

 民主主義によって、変革をもたらすことは難しかろう。

 目を覚まさせるには、目を覚ますまでびんたを張るほか

あるまい。 

 

 もう一段の人災、天災が起こるであろうことを意味している。

 目を覚まさない国民の自己責任である。

 だから、悲観的な予言にも理由はある。

 

 政権打倒の秘策、天変地異の前に、議員は一致して政権

打倒、毅然とした国づくりのための政変を断行すべきである。

 新しい不文律の手続きが適用されるべきである。

 さて、自民党の残党にそれができるか、最後のチャンスで

あろう。

 

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

  

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+ 大ざる蕎麦を食い・・・ ギター論議  社会主義を選ぶ国民は家畜であり、その代表は泥棒である

2011年07月03日 20時41分03秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 山笠も  カンカン照りて  蕎麦を食い 

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 出の日曜日である。

 いつもより、気が抜けている。

 明日は日曜日かと、ふと勘違いする。

 え~~~~、あした月曜日~~~。

 

 今日が日曜日であることを自覚するべく、ギターを一曲

かき鳴らした。

 ヤイリのギターは安物でもつくりが良く、音も良い。

 しかし、60年代のオールドヤマハ№100の深みには勝て

ない。

 家では、アストリアスのルネサンスを愛用するが、それく

らいでちょうど良い。

 分相応である。

 

 

 

 

 モグラのように穴から外に出てふらふらと昼飯の筋を辿った。

 お櫛田さんの近くを通り過ぎ、結局あたまをカンカン照ら

されながら、元に戻って、ざる蕎麦を食った。

 低カロリー、アンチエイジングの健康食、すりこんだわさび

がピリッと血液を浄化する感じで、涼しい昼食となった。

 

 まあ、途中に見かけた中洲や土居の山笠も見ようによっ

は力作だが、千代の迫力には遠く及ばない。

 千代の飾り山がやっぱり一番だった。

 東流も横綱級だが、一歩譲っている。

 飾り山笠の勝敗は決した。

 

 

 

 

  

  なぜ日本人は社会主義政権を求めるのか 


 愚かなことに、日本国民は、かつてない亡国・社会主義

政権を選んでしまったことである。

 菅に至っては、何の誠意もなく、亡国の野望に燃えている。

 それにしても、なぜ、日本国民は社会主義を選択するのか。

 社会主義の嘘に騙されるのか。

 

 一言で言えば、おもらいしたい家畜に成り下がっているか

らである。

 餌をばら撒けば集まってもっと餌くれと泣き喚くのである。

 

 なんのことはない。

 国民を国ごと売るためであり、家畜国民を食うためである。

 社会主義の権力欲とは、バカな家畜を手なずけて、バカな

奴らだとほくそ笑んでいるのである。 

 

 国民は、自分たちの代表を選んだのではなく、餌を選んだ

のである。

 それが家畜の習性である。

 だったら、選挙では餌をばら撒くのがよい。

 嘘八百ならべて、よだれをたらすバカどもの票を集めた

ほうが勝ちである。

 これが従来の選挙であった。

 

 それをしようとしないのが、幸福実現党である。

 家畜に法を説いて、正論を説いて、苦労して努力して、世

の中を作り変えようなどと、本気でやっているから素人呼ば

わりされるのだ。

 

 たしかに、民主主義の原点には、国民への信頼がある。

 家畜ではなく、仲間としての寛容がある。

 信仰とは、そうした神のみでなく、人をも信頼しようとする。

 愚かな、とは思うが、エル・カンターレがそうするのだから、

そうなのである。

 

 日本人は家畜に堕落していると思うが、主がそうではない

とおっしゃるなら、そう信じて教化啓蒙するほかないであ

ろう。

 やっぱり劣等な人間だと思うのだが・・・。

 しゃ~しゃ~として人間面をして、それでいて、餌を欲しが

るのが許せないと思うのだが・・・。

 

 やっぱり、自分はレプ系列なのだろうか。

 獰猛な気持ちが裁き心のように湧いてくるのだが・・・。

 放射能も別にこわくない。

 ゴジラの吐く息は放射能だから。

 

 それにしては優秀ではなかったかな~。

 あんな小ざかしい司法試験に受からなかったなんて・・・。

 カッパ型レプタリアンだろうか・・・。

 泳ぐの好きだし、魚も大好きだし・・・。

 

 「レプタリアンの逆襲」を読んでない人には意味不明であろう。

 既に、差がついているのである。

 やっぱり、自分は優秀なのかもしれない。

 

 ともかく、バカで愚かな日本国民も信じてやらなければ

ならないようだ。

 しかし、一人前の人間ならば、ばら撒きを欲しがるな!

 欲しがるのは、家畜動物の習性だ。

 お前らが家畜なら、食うぞ!

 

 福祉とは、豊かな人間が、おすそ分けに慈悲を垂れて

やることなのである。

 貧乏人が福祉、福祉と泣くんじゃない!

 ナイチンゲールの福祉は英国有数の貴族だったからに

他ならない。

 

 力もないくせに、福祉を施すなどとは思わないことだ。

 他人の財産にたかってまで、弱者に分け与えるというのは、

義賊とはいえ、ドロボーなのだから。

 福祉ビジネスなら、ちゃんと稼げるように、ビジネスとして

考えることだ。

 

 卑しい福祉主義(社会主義)論者にはなるなかれ!

 社会主義とは、義賊を騙るドロボー思想にほかならない。

 自由主義とは自助努力の精神に咲く花である。

 

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

  

  

  

    

  

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+ 動かざる・・・ 神社本庁よ、皇室よ、宗教の原点に戻れ

2011年07月03日 08時21分22秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

 汐井とって  まだ動かざる  祇園かな   

    梅士 Baishi

 

 

 

 

 博多祇園山笠3日目の日曜日、躍動する飾り山笠に関

わらず、初日のお汐井取りからは再び静寂の陣に戻った。

 動き出すのは9日(土)からである。

 そして、午前三時からの追い山が15日(金)となる。

 

 ふと思うことがある。

 そういえば、飾り山とは、結界を成しているのではない

かということである。

 

 それにしは、結界であることを忘れた単なる見世物の飾

り山がちゃらちゃらと立つが、迷惑なことである。

 お櫛田さんを中心とした結界であることを忘れてはなる

まい。

 

 博多祇園山笠は、神事なのである。

 軽薄・不浄を入れず。

 日本神道も、観光産業化してはなるまい。

 宗教たれ!

 

 

ラン科の植物「ネジバナ(モジネリ)」  

 

  

  神社本庁よ、皇室よ、宗教の原点に戻れ 


 神社は宗教的権威を失っている。

 国家のために神事を行うということを聞いたことがない。

 お祓い商売に現を抜かしている場合か。

 

 天照大神の憂国の怒りにそ知らぬふりをする。

 宗教として、神を降ろし、警鐘をならすべきときであろう。

 それとも、神などいるものかというのが本心か。

 日本神道の神々は、幸福の科学に降りておられる。

 その霊言を無視して良いはずがないではないか。

 

 天皇家もふがいない。

 象徴として、この国の滅び行く姿そのものになるとでも

言うのか。

 天皇は日本神道最高神官である。

 その職責こそが象徴の国事であろう。

 神官としての自覚と職責に戻られよ。

 

 幸福の科学は日本神道を含んでいる。

 エル・カンターレの下の結集して日本の使命を果たさん

とされている。

 神官たちよ、観光商売が本道なのではない。

 使命を遂行してこその商売である。

 権威なき神官は辞職せよ。

 

 天皇もまた、引退されて良い。

 そうしてでも、日本の危機を訴えられよ。

 民主党政権を許さないと告げられよ。

 象徴とはそういうものではないのか。

 そうであってこそ、象徴としての尊敬もまた集まると言う

ものである。

 

 神聖・九州やまとの国として、申し上げておきたい。

  

   

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

         

  

  

  

博多祇園山笠硬式HP
 ⇒  http://www.hakatayamakasa.com/index.php

 

 

 

  

  

    

  

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