
谷地頭電停から徒歩10分~15分ほどの所にある観光名所「立待岬」。
なんだかんだで、この時以来八年ぶりに足を運びました。

何やら、表示板と石碑らしき物が見えます。
一体何でしょうか・・・?


かの歌人、与謝野寛・晶子の歌碑がここに建立されています。

ここに刻まれているのは、
「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる立待岬の岩かげの土」(寛)
「啄木の草稿岡田先生の顔も忘れじはこだてのこと」(晶子)
という二つの歌。
「郁雨」とは、かの石川啄木の歌人生活を援助し、啄木と、函館の文芸結社「苜蓿社」(ぼくしゅくしゃ)の同人であった「宮崎郁雨」のことで、「岡田先生」とは、先日紹介した、函館における図書館の創始者として知られる、「岡田健蔵」のこと。
晶子の歌の方には「啄木」の名前も出てくるが、岡田健蔵は、1913年(大正2年)年4月13日の啄木一周忌の際に、郁雨と共に啄木追悼会を開き、函館の立待岬に墓碑「石川啄木一族の墓」を建て遺骨を移すという形で啄木と関わりを持っており、その岡田の功績を顕彰する意味で、1957(昭和32)年8月に、岡田と、その親友であった郁雨のことを歌った歌碑が建立されています。

続いて紹介するのは、「あさり坂」を上った所にある、文学に関する碑。


1907年(明治40年)に函館で生まれ、「大和古寺風物詩」「我が精神の遍歴」などの作品で知られる作家・亀井勝一郎。
修正函館を愛した亀井の文学碑が、生家(カトリック元町教会の隣)に近く、少年時代の思い出の地であったこの場所に、1969年(昭和44年)に建立されています。

ここに刻まれているのは、
「人生邂逅(かいこう)し開眼(かいげん)し瞑目す」
「人生は多くの出会いを通じ、見えないものに気付かされ、そして終わっていくもの」
という意味を持つ、亀井の直筆による寸言です。
さて、おおよそ接点がなさそうな、歌人と文学者の碑を同時に紹介しましたが、今回これらを紹介した理由は、この二つが、「はこだて検定」の上級の題材として取り上げられたから。
初級が全て択一式であるのに対し、上級は記述式も何問かあるのだけど、今回は、「岡田先生」と「開眼」を問う問題が出題されました。
因みにこの二つは、公式テキストには記載がなく、函館の歴史本を参照しないと出てこないネタで、そういう問題も出題されるのだということを知っていただきたいと思い、紹介してみた次第です。
「亀井勝一郎文学碑」はこちら。