北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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第5巻

2016-12-17 18:53:44 | 本&CD
いやあ、今日はヒヤヒヤしました。
車を運転していて、ある交差点を右折しようとしたら、凍結路面でタイヤがロックされてしまい、ハンドル操作ができずクルッと一回り。
幸い何とか体勢を取り戻して走行することができたけど、あの場に他の車や歩行者がいたらと思うと・・・。
で、自分は体勢を取り戻してその後は通常走行できたけど、その先で、やはり横道から入ってきた車が、私と同じように制御不能に陥り、しかも、私は一回で体勢を取り戻せたのに対し、その車は、三回ぐらい車の後部が尻振り状態になってなかなか通常走行に戻れず、危ないのなんのって。
明日から一週間くらい高温が続き、雨の日もあるそうなので、恐らく昨日までの雪も融けるとは思うが、こういうことがあると本当に怖い。
皆さんもどうぞお気を付け下さい。


で、その運転で向かった先で買った物がこれ。





はい、買いました。
我が北海道の札幌&小樽編が収録されています。
札幌の現場は、年末の帰省時に見てこようと思っているけれど、小樽はいつ行けるかなあ・・・。
小樽運河沿いは何度も行っているけれど、水天宮は一度も行ったことがないので、春にでも行ってみようかな。

第5巻もこれまでどおり見応え満点だけど、小樽編で、桑子アナがラムネの蓋を開けた時の驚いた表情について触れられていなかったのが残念・・・。
あれ、私の中では、桑子アナのベストシーンだったりするのだけど・・・。
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直線化の理由

2016-12-17 16:45:35 | 函館



西部地区にある坂の中でも特に幅員の広い坂の一つ「二十間坂」。
一間(1.8m)×20=二十間(36m)という幅員に由来しています。
幅員が36mなんて、国道でもそう滅多にない、広い道路です。

坂はご覧の通り直線ですが、何ゆえ、このような、直線かつ幅員の広い坂が整備されたのか、さらに、この坂に限らず、何ゆえ西部地区の坂は直線揃いなのでしょうか?
(坂の名前と位置関係はこちらをご参照ください)





現在の西部地区では、明治初期に大規模な街区改正が実施されていますが、そのきっかけとなったのは、1878年(明治11年)、1879年(明治12年)と二年連続で市内を見舞った大火でした。
明治から昭和初期にかけて、函館は度重なる大火に見舞われますが、もともと西部地区の坂道は、幅が狭く曲がりくねっていて、火災が発生すると、すぐに対岸に燃え移って延焼が広がってしまうという問題があったことから、これを解消するために、街路の直線化と拡幅が実施されたのです。





函館の歴史上最も大規模な大火は、1934年(昭和9年)3月21日に発生したもので、全市の3分の1を焼失し、罹災者約10万2,000人という悲惨な出来事となってしまいましたが、西方へ延焼を続ける中、明治初期の大火後に整備されたこの二十間坂が防火道路としての機能を発揮し、この坂よりも西側(上の写真で言うと右側)への延焼を食い止めることができました。





二十間坂の上から一枚。
防火道路を目的に坂の直線化を実施した結果、山の麓から海岸地区までが一直線に連続することで景観を楽しむことができるようになりました。
「ブラタモリ」でも、この直線化された坂道の沿道で灯される明かりが直線的な模型を作り、世界的に名高い現在の夜景が作られることとなったことが紹介されています。
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