地下鉄円山公園駅の近く、私の日々の通勤経路にある建物。
「札幌独立キリスト教会」という建物です。
「W.S.CLARK」とは、「少年よ大志を抱け」でおなじみの、かの「ウィリアム・スミス・クラーク」博士。
「K.MIYABE」とは、札幌農学校で学んだ植物学者で、「札幌市栄誉市民」の称号を受けている「宮部金吾」博士。
以前、宮部博士の居宅跡に整備された公園を紹介した際に、宮部博士のプロテスタントとしての経歴について触れたうえで、「宮部博士がプロテスタントとして足跡を残している場所も市内にあるので、そこはまた別途」と書いていましたが、そう、それがこの場所なのです。
札幌農学校(北海道大学の前身)の教頭として赴任したクラーク博士は、「聖書によらずに道徳を教えることは不可能」でとの信念から、授業開始前に聖書を講じ、それに感化された学生たちが「イエスを信ずる者の契約」に署名するに至りましたが、その署名した剥製の中には、後に「札幌バンド」と呼ばれる、日本のプロテスタントの三大源流の一つとなる、内村鑑三、新渡戸稲造、そして宮部金吾がいました。
クラーク博士が札幌を離れた後も活動を続けていた彼らの中から、やがて自主独立の教会を持ちたいとの気運が高まり、明治14年(1881年)9月に、「白官邸」と呼ばれる教会が誕生。同年10月、諸教派に別れていた学生たちが再び一緒になって初めての礼拝が持たれ、「独立宣言」を公にしました。
しかし、内村鑑三たち理想主義的急進派は、各教派を離脱して新教会の形成に尽力し、翌明治15年(1882年)1月に、「札幌独立教会」という、日本では最初の、教派から独立した教会が誕生するに至りました。
これが現在のこの教会のルーツとなっており、昭和38年(1963年)年に、大通西22丁目に、「W.S.クラーク・宮部記念会堂」が建てられました。この名前には、宮部金吾が昭和26年(1951年)に亡くなるまでの間、教会の中心にあって教会を守り通し、内村との厚い友情に支えられて、その重荷を負い続けたことを記念したものとされています。
私は特定の信仰はありませんが、こういう話は、一度聞いてみたいという気持ちもあります。
お寺の法話もそうですが、最近ちょっと興味を持っていて、図書館などで関連する本を手に取ったりもしています。