JR八雲駅から、線路を挟んで少し北へ移動した所にあるこちらの建物。
外壁の色は変わっていますが、私が住んでいた40年前から、変わらず同じ場所にあります。
「八雲町郷土資料館」。
小学生のとき、副読本で町の歴史について勉強していたこともあり、当時もよく通っていましたが、写真の幟は、さすがに当時はありませんでした。
「熊彫のまち八雲」と書かれていますね。
そうなんです。40年前は「郷土資料館」の看板しかなかったのですが、ここ八雲町が発祥の地とされている木彫り熊の歴史を広く伝えるべく、現在は、同じ館内に「木彫り熊資料館」が併設されているのです。
立派な存在感のある熊がお出迎え。
こちらはまた、珍しい形の彫像です。
こちらは、5年前に閉店した、函館駅前にあったデパート「棒二森屋」にあった像だそうです。
市街地再開発準備組合が寄贈を受けたものを八雲町が一時借用しているということは、再開発の状況次第ではまた函館市に戻るということなんでしょうかね。
でも、その頃にはもう函館にはいないだろうなあきっと。
解説板の最後の方をご覧ください。
ベイエリアにある「北海道第一歩の地」碑のモニュメントをデザインした方の作品だそうです。
これが「北海道第一歩の地」碑のモニュメント。
八雲町に縁の方のデザインということで、木彫り熊の歴史も含め、ガイドするときに上手くエピソードを組み立ててみようと思います。
ということで、ここからが「木彫り熊資料館」です。
見ていて圧倒されるくらい立派な彫像が揃っています。
現在の八雲町に、道外から移住者が来たときの様子が描かれています。
先程の根本勲氏の解説が、こちらにも掲示されていました。
木彫り熊は、北海道のお土産と言えばと問われた人の大多数が真っ先に思い浮かべたほどの人気の民芸品で、現在でも根強い人気を誇っています。
八雲町で初めての木彫り熊が作られたのは、およそ100年前。町内の農場主であった、尾張徳川家第19代当主、徳川義親公が、スイスから持ち帰った木彫り熊を真似て、農民たちにお土産として作らせたのが最初とされ、そこには、厳しい冬の寒さや経済不況で悩む農民たちを救済するため、木彫り熊を日本で作り、農民たちの生活を少しでも豊かにしようという配慮があったとされています。
やがて木彫り熊は、北海道を代表する民芸品として、その地位を確固たるものとしていきました。一時、彫る職人の数が徐々に減少し、衰退の一途を辿っていったこともありましたが、近年になって、またその魅力が幅広い世代から注目されるようになり、SNSで国内のみならず海外まで発信され、再び人気の民芸品として脚光を浴びるようになっています。
八雲町にたくさん思い出のある私としても、木彫り熊が今後とも末長く大切にされていくことを願っています。
最近、八雲町内でこのようなロゴマークが多く見られるのだそうです。
次回また行く機会を作って、探してみようと思います。
「木彫り熊資料館」に隣接する公民館の敷地内に、先程触れた徳川義親公の像が建っています。
義親公は、木彫り熊だけでなく、町内における酪農業の礎を築いたり、農民の生活改善のために、レンガ造りの家や暖炉の家、ストーブなど導入するなど、町の発展の歴史に多大なる足跡を残しています。
今回、久しぶりにこの場所へ行ったことで、懐かしい思い出と共に、木彫り熊に対する思いを深く持って行きたいと思うようになりました。