北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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最北端の関所跡

2024-10-17 20:00:00 | 渡島・檜山地方

 

道南八雲町のレポートを再開します。

まずはこの看板の場所から。

 

 

「山越内関所之跡」とあります。

「関所」とは、古くは「大化の改新」の頃から江戸時代にかけて、交通の要所において、徴税や検問のために設置された施設ですが、日本最北端の関所が、ここ八雲町に存在していたのです。

 

 

先日の記事で、蝦夷地(アイヌ民族の居住地)と和人地(アイヌ民族の血を引かない日本人「和人」の居住地)との境界について触れていましたが、ここにもその解説がありました。

「アイヌモシリ」とは、その名のとおり、「アイヌ民族が住む大地」という意味の言葉です。

 

 

 

関所とその周辺の平面図がこうして掲示されています。

 

 

八雲に住んでいた小学生3年生のとき、町の教育委員会が監修している副読本を使って、町内の歴史や文化について触れる授業があり、その関係で、私も「関所」というもののことを知りました。

そして、ここに看板のある「夜泣き石」の伝説も。

 

 

因みに、これがその副読本です。

現在も大切に持っていて、今年、6年ぶりに道南に住むということで、函館にも持ってきました。

 

 

これは捨てられないぞ - 北の風に吹かれて~独り漫遊記~

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この「夜泣き石」のことは副読本には書かれていなかったのだけど、確か、関連して配付された資料に書いてあったと思います。

 

 

「八雲」という地名の由来が書かれています。

「八雲たつ」という枕詞、確かに聞いたことがあります。

八雲に住んでいた当時、鉄道少年だった私は、日本全国の特急列車大図鑑的な本(「ケイブンシャの大百科シリーズ」)を持っていて、山陰地方に「やくも」という特急が走っていることを知っていましたが、その「やくも」と、北海道の「八雲」とが関連が深いということは、この解説板で初めて知りました。

命名者として書かれている「徳川義勝公」については、後日、別な記事で詳しく触れたいと思います。

 

 

 

この地には、関所の他に、幕府直轄の「会所」(集会所)があったそうです。

1799年、ロシアをはじめとする諸外国の脅威から蝦夷地を守るため、幕府は東蝦夷地を松前藩から取り上げる形で直轄地とし、道南地方も幕府の直轄下となりました。

八雲町にもその歴史を伝える施設が残されていたことを、これまた今回初めて知りました。

 

 

昔ながらの建築様式で作られている「山越中央会館」。

「山越」は一つの集落となっている地域なので、現在もここで、住民たちの会合など、地域の行事が広く行われているということです。

 

 

おやおや、反応してしまう名前の神社があるようですね(「札幌諏訪神社」が大好きなので)。

ということで、長くなってきたので、この記事はここまで。

この神社は、次の記事で紹介します。


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