昨日の記事では、既になくなってしまった出口の話を紹介しましたが、今日は、私が子供の頃から未だに残り続ける通路の話を。
こちらは、札幌駅の地下にある「ESTA」の地下入口横にある通路の出入口。
見てのとおり、「東急デパート」へ通じる通路となっています。
なんだけど、左側にしか矢印がないのが、何となく不自然に感じてしまうのは私だけでしょうか。
こちらの通路は、階段を降り切ると、左右両方向に繋がっているのですが、
左側が、こうして東急デパートに繋がっているのに対し、
右側は既に閉鎖されてしまっています。
この先には、かつて、札幌駅前の買い物の中心地であった「五番舘」というデパートがあり、私も子供の頃から、何度もこの通路を通って買い物に行ったものでした。
ということで、閉鎖されてしまったものは仕方がないので、東急デパート方面へ。
このエスカレーターと階段、ちょこちょことリフォームはされているのかもしれないけど、基本的な造りは、私が子供の頃から変わっていないと思います。
大通にある「三越」なんかもそうだけど、東急も、もうかなり長いこと入っていないと思います。
何となくの記憶では、社会人六年目で札幌在住だった平成13年(2001年)の何月かに、当時入っていた書店に行ったことがある気がします。
子供の頃、このデパートで画期的だなと思ったのが、今では珍しくもなんともない、こうして外から見えるタイプのエレベーター。
これに乗りたくてわざわざ行ったことも、あったようななかったような。
札幌の東急デパートは、私の生まれた年でもある昭和48年(1973年)に開業し、現在も変わらずに営業を続けています。
売り上げや客の出入りは、全盛期に比べれば・・・なのかもしれないけれど、開発による移り変わりが激しい札幌駅前エリアにおいて、50年もの間変わらずに多くの客に愛され、営業を続けているというのは、素晴らしいことだと思います。
さて、続いては、こちらの駐車場・・・?
先程の地下通路の反対側から通じていた「五番舘」は、この駐車場の場所にありました。
「五番舘」は、明治32年(1899年)、種苗、農機具の販売業であった「東京興農園札幌支店」が、横浜の外国人居留地の洋館を模した赤レンガ造り、二階建ての店舗を開設したことに端を発するお店で、同39年(1906年)に、「五番舘」の名称で北海道初の百貨店形態となりました。
「五番舘」という名前の由来は、当時の電話番号が「五番」であり、建物のモデルとなった洋館のある横浜では、そうした洋館を「〇〇舘」と呼んでいることから名付けられたとされています。
昭和57年(1982年)に西武百貨店と業務提携し、その後、「五番舘西武」という店名を経て、平成9年(1997年)には正式に西武百貨店に吸収合併されて「札幌西武」となり、長く親しまれた「五番舘」の名前は消えてしまいました。
私も、そんなに思い出があるわけでもないけれど、子供の頃の懐かしい記憶は、今でも時々頭をよぎります。
こんにちは。
こちらは一気に寒くなりましたよ。
昨夜は掛布団と毛布、厚手の寝間着じゃないと眠れません。
札幌のデパートは、平成以降にできたのもありますが、長く営業を続けている老舗もあるので、変わらずにいれくれている有難さを感じますね。
こんにちは。
そう言っていただけて嬉しいです。
地図を載せているのは、私自身が忘れてしまわないようにというのが大きな理由なのですが、お付き合いくださる皆さんにもイメージを掴んでいただければ、載せて良かったという気持ちになりますよ。
今日も1日お疲れさまでした。
今日のこちら、とっても寒くて~
明日も今日より気温が低くなるかもしれません。
そちらも寒かったでしょう?
風邪など引かないように気をつけてくださいね♪
コロナが流行ってから、デパートとかに
まったく行っていません(;'∀')
札幌の東急デパート、すごいですね♪
広い北海道。
ブログと地図で旅行している気分になります。