札幌中心部から、北海道神宮の「第一鳥居」方面へと続いている、「表参道」とも呼ばれる、「道道宮の沢北1条線」。
現在は高層マンションが立ち並び、札幌市内でも有数の高級住宅街である「円山」地区のイメージを大きく印象付ける地区となっています。
先日図書館で古い住宅地図を見ていたところ、写真の二つのマンションの境界辺りに、かつて映画館があったということを発見しました。
斜めから見るとこんな状況ですが、昭和15年(1940年)、ここに「平和館」という劇場が開館したとされています。
映画解説者として人気を博していた「水島翠狂」こと「中居勇吉」という人物が館主を務め、一大娯楽施設として大いに賑わっていたそうです。
開園後間もなく太平洋戦争に突入して以降は、一時休館して、軍の食糧庫として使われたこともあったそうですが、戦後になって「円山映画劇場」と名を改めて復活し、昭和48年(1973年)に閉館されるまで、時には話題映画の封切りが行われるほどの人気を博していました。
札幌市内も映画館が一つまた一つと姿を消し、中心部にあるシネコンに集約されるような状況になっていますが、かつては、郊外にもこのような劇場が数多く存在していました。
住宅街として発展していく過程においては、こうした娯楽施設の存在というのも、大変重要な意味合いを持っていたということが窺えるエピソードだなと思いました。
「円山映画劇場」のあった斜め向かいには、現在は「東光ストア」というショッピングセンターがありますが、劇場が廃止された昭和40年代後半、この地域は小さな商店街として賑わっており、この位置には自転車屋さんがあったそうです(現在はその自転車屋さんは、通りから一本中へ入ったところで営業を続けています)。
「円山映画劇場」があった場所の向かいにも、現在は高層マンションが存在していますが、ここには、北海道開拓途上における国策銀行として設立され、平成9年(1997年)に経営破綻した「拓銀」こと「北海道拓殖銀行」の支店があったそうです。
銀行の支店も、かつては住宅街にも数多く存在していたのが、札幌市内でも大手銀行支店の統廃合が進み、かなり不便を強いられている状況にありますが、北海道に深く根差していた「拓銀」が存在することが、この地域の人たちの生活の大いなる支えになっていたであろうことは何となくだけど想像がつきます。
そんな歴史の先に、現在の住宅街としての発展があるのかなということに、歩いていて思いを馳せてみました。