一か月ほど前になっちゃったけど、地下鉄南北線幌平橋駅付近をブラブラしていて、久しぶりに「札幌護国神社」に寄ってみました。
日本史でも学習した「西南の役」こと「西南戦争」は、現在の熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県で繰り広げられた内乱ですが、それに屯田兵が出陣し、殉死者が出ていたというのは驚きでした。
開拓使によって実施された屯田兵制度の目的の一つに、士族の失業対策として、士族に「兵」という誇りを持たせながら開拓という自活の道を開かせようとしたことがあったとされており、実際に国内外の戦いにおいて、西南戦争の他に、日清戦争、日露戦争にも出陣していたとのことです。
西南戦争に出陣した屯田兵には東北諸藩の士族出身が多く、戊辰戦争において敵だった薩摩士族を相手とする戦いには奮い立たったものの、黒田清隆を中心とする薩摩閥が上層部を占めていたため戦意が乏しかったとされています。
そんな中にあって無念の死を遂げた兵士の霊がこうして祀られているということは、もっと広く知られていくべきことだと思います。
国歌「君が代」の詞に登場する「さざれ石」。
「さざれ石」とは、古代より「細石」と書く小さな石の別称で、文献では日本書紀にも登場していますが、「君が代」の詞にある「さざれ石」は、日本の七高山の一つである伊吹山のふもとにあるもので、石灰石が長い年月の間に雨水で溶解され、それによって生じた粘着力の強い乳状液が小石を凝固して巨石となり、河川の浸食作用により地表に露出し、苔むしたものとされています。
平日の夕方だったので、参拝客も少ないです。
「札幌護国神社」は二回目の訪問でしたが、境内のうち、前回訪問しなかった場所を重点的に見てきたので、そこは次回の記事で。
こんにちは。
昔から、「さざれ石」って何なんだろうということは気になっていましたが、こんな身近にそれを調べるきっかけがあったとは思いませんでした。
興味深いと言って頂けると嬉しいです。
今後ともよろしくお願いいたします。
こんにちは。
この記事に限った話ではありませんが、解説として書いてあることは、記事用にと思って調べた資料からの引用で、元々知っていたということは殆どないのです。
勿論、引用して終わりではなく、それをそのまま知識としてストックさせねばと思っていますが、なかなか難しいなと実感しているところです。
「さざれ石」って単なる言葉の修辞かなんかだと思ってましたが、
長年かけて形成される実際にあるものだったのですね。
ナナマガラーさん博識ですね。蒙が啓かれました。