札幌市北区に「あいの里」という地名があります。
昭和59年(1984年)に誕生した地名なんだけど、ちょうどこの年に札幌に引っ越してきて、夏休みや冬休みの自由研究のテーマにするなど札幌の地理に興味を持っていた私は、この「あい」とは、「愛」なのかなとずっと思っていました。
ということで、↑の信号の場所からはかなり離れている場所にあるこの広場へ。
「藍栽培ゆかりの地」とあります。
ん?「藍」?ということはもしかして・・・?
そうなんです、「あいの里」とは「藍の里」という意味なのです。
こちらに書かれているとおり、明治15年(1882年)に徳島県から入植していた滝本五郎という人物が、この地で藍の栽培を行ったのが、この地の歴史の始まりとなっています。
こちらは、その滝本五郎が創設した「興産社」の歴史を伝え、功績を称える碑です。
滝本五郎が明治32年(1899年)10月に死亡したことから、翌年の9月に、興産社の社員が建立したものでしたが、時代の経過と共に、刻まれた文字が読みにくくなってしまったため、平成19年(2007年)8月19日に、現代文に改められて再建されたものです。
そんな滝本五郎の功績を、昭和43年(1968年)に、当時の北海道知事の書で記した碑までもが設置されています。
それくらい、この地に深く根差した歴史的影響があったということが分かりますね。
隣には、興産社の取締役であった、原文吉という人物を称える碑も設置されています。
この広場には、他にも幾つかの碑が。
「頼母」という名前、「水戸黄門」に登場する代官だか奉行だかの名前で聞いたことがあった気がしますが、「宮西頼母」という歌人がいたのですね。
「チモシー」という品種は、仕事の関係で一応知ってはいましたが、こういうカタカナの文字が短歌の中に取り入れられるのって珍しい気がします。
「あいの里」は、昭和59年に行政地名となる前は「篠路町拓北」というエリアの一部でした。
当初は藍の栽培を行っていたものの、やがて雑穀、米の栽培が中心となっていった歴史が刻まれています。
この広場の前の通り。
現在も「藍の道」という名前で地域を見守っています。