国道12号、白石区菊水と菊水上町の境にある「白石こ線橋」。
「こ」が平仮名になっていますが、漢字で書くと「跨線橋」、線路を跨ぐ橋ということになります。
ですが、この橋の下は御覧のとおり、線路などありません。
下へ降りてみました。
確かに線路はありませんねえ・・・。
と、その先に小さな道が。
サイクリングロードのようです。
札幌の隣の北広島市まで19.8km。長いサイクリングロードになっています。
そう、実はこのサイクリングロードは、かつて「白石こ線橋」の下にあった、線路の跡地なのです。
「白石こころーど」というのが、このサイクリングロードの名称。
白石区のキャラクター、「しろっぴー」がデザインされています。
↓「しろっぴー」の紹介
サイクリングロードの先にある、「ラソラ札幌」という大型商業施設。
右が現在の地図、そして左が昭和25年(1950年)の地図。
そう、ここは、かつての駅跡なのです。
当時の駅名の「東札幌」は、現在でも行政地名として残り、地下鉄東西線の駅名にもなっていますが、その歴史は、明治4年(1871年)、仙台藩白石領片倉家の家臣、佐藤孝郷以下400名が移住し、「白石村」を発足させたことに始まります。
地図にある赤線は、この当時、白石村から開拓使札幌本府へ行くために開拓された道路で、札幌から江別方面を結ぶ大動脈としての役割を担っていました。
上の地図に「定山渓鉄道」という文字が見えますが、大正7年(1918年)にこの鉄道が開業した当時は、まだここには駅はなく、8年後に「北海道鉄道」、後の国鉄千歳線が開通したときに、「東札幌駅」が誕生しました。
戦後は函館方面への特急列車も走るようになりましたが、単線であることと、急カーブが連続していることが輸送力低下の要因となり、昭和48年(1973年)に、千歳線は、新札幌を経由する現在の路線に切り替えられました。その四年前には定山渓鉄道も廃止されていたため、東札幌駅は旅客輸送の機能を失い、貨物専用駅となってしまいました。
それでも、昭和61年(1986年)まで駅舎はこの地に残っていましたが、今はそれも取り壊され、ここが駅舎であったことも、こうして現在と過去の地図を見比べてみないと分からなくなってしまっています。
旧千歳線の跡地は、昭和51年(1976年)に開通した地下鉄東西線の高架部分(南北線の南平岸~真駒内間のような?)とする案もあったそうですが、現在はこうしてサイクリングロードとして整備されています。
「ラソラ」に近い「札幌コンベンションセンター」。
ここは、貨物専用の広い積卸専用ホームの跡地に開発されています。
今週もお疲れさまでした。
私、車の免許を持っていないので
いつも移動は自転車なのですが
サイクリングロードがあるのは良いですよね♪
色々と紹介してくれて、行った気持ちになりました。
いつか本当に走ってみたいです(⌒∇⌒)
おはようございます。
いつも移動は自転車なのですね。
日々自転車で移動して、あれだけの写真を撮られているという、その行動力が素晴らしいと思います。
読んでいただいて、「行った気持になった」と言っていただけると本当に嬉しいです。
これからの季節、暑さが収まるとサイクリングも快適な季節になってきますね。