昨日の続き。
「金森赤レンガ倉庫」について、もう少し紹介します。
くどいようですが、「金森」と書いて、「かなもり」ではなく「かねもり」と読みます。
由来も書かれています。皆様も、ぜひ記憶に留めておいていただければと思います。
創業150周年。
創業の年は、昨日の記事でも触れましたが、「渡邊熊四郎」が、現在の函館市大町に「金森洋物店」を開業し、屋号を「金森森屋」とした、1869年です。
函館市民の憩いの場として人気の「函館公園」に関するエピソード。
一見赤レンガ倉庫とは関係なさそうですが、渡邊熊四郎が設立費を寄付していたという点で繋がりがあるということなんですね。
一口に倉庫と言っても、自社製品を保管する場合や、荷物を預かる場合など様々ですが、金森赤レンガ倉庫は、荷物を預かる方式の営業倉庫だったということです。
しかも、函館では初の営業倉庫ということで、これもまた、歴史上大きな意味を持つと言えますね。
これはですね、追って紹介しようと思っていて準備(学習)を進めているところなのですが、渡邊熊四郎は、ビール工場にも関わっていました。
これもまた、函館初どころか日本初?実に興味深いですね。
纏まり次第記事にしたいと思います。
明治期から昭和初期まで、100戸以上を焼く大火が実に26回もあったという函館の歴史にあって、金森赤レンガ倉庫もまた被害を受けていたことがあったというエピソードです。
なるほど、こういう風に番号が振られているんですね。
正直、これまで意識したことはありませんでした。
へぇ~、赤レンガだけじゃないんですね。
これがその、函館市内で最も古いとされる、鉄筋コンクリート製の倉庫。
これはぜひとも、ガイドの際には強調して説明しようと思います。
昨日の記事で書いたことの再掲になりますが、昭和後期になって、輸送形態が飛行機主流になったことや、北洋漁業の縮小などの影響で、倉庫業は徐々にその規模を縮小せざるを得なくなりましたが、倉庫の建物は「伝統的建造物」に指定されて、商業施設、多目的ホールなどに業種転換され、現在は函館を代表する観光スポットの一つとして、多くの人で賑わうようになっています。
色々なイベントが開催されていたのですね。
私がこれまで見たイベントと言うと・・・、あ、そうそう、一つありました。
「函館港イルミナシオン映画祭」。
今年は第30回という節目だそうなので、ぜひ観に行こうと思います。
「金森赤レンガ倉庫」と、向かいの倉庫との間の道路。
ここは、かつて掘割だったのを埋め立てて、現在のような道路が出来上がっていますが、その話は、後日また別な記事で触れたいと思います。
「金森赤レンガ倉庫」と道路を挟んで向かいにあるのが、「BAYはこだて」という、同じような業態の赤レンガの建物があります。
この倉庫は、三菱商会函館支社の倉庫として1882年に建てられたもので、金森赤レンガ倉庫と違い、自社の荷物を保管するための倉庫でした。
1885年に、三菱商会と共同運輸が合併して新会社「日本郵船会社」が誕生したことで、「日本郵船函館支店」の直轄となり、それから100年ほど使用された後、1988年には、「レストラン&マーケットBAYはこだて」として生まれ変わりました。
2002年、日本郵船の函館撤退に併い、金森赤レンガ倉庫が建物を譲り受け、現在は主にショッピングゾーンとして人気の施設となっています。
昨日の記事もそうでしたが、今日もまた、レンガの外観写真で終わりにしたいと思います。
こちらは昨日も掲載した写真ですが、大きな違いがあることにお気付きでしょうか?
詳細はまた次の記事で。