北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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マオイ

2021-10-26 20:41:10 | 石狩・空知地方

 

札幌から車で1時間ほどの、国道274号沿いにある道の駅。

 

 

長沼町にある「道の駅 マオイの丘公園」です。

 

 

 

表示板に書いてあることと重複しますが、この道の駅は、平成8年(1996年)8月5日付けで、表示板には国土交通省とありますが、当時の建設省の認可を受けた、道内で37番目の道の駅です。

最近、仕事で長沼町に行く機会が多いのだけど、道の駅の名前にもなっている「マオイ」という名前、恐らくアイヌ語なんだろうなあと思って調べてみると、アイヌ語の「マウ・オイ」=「ハマナスの実の多い所」というのが由来なんだとか。

ハマナスというと、海岸に咲く花というイメージが強いけれど、長沼町は海からは遠く離れた場所なのに、ハマナスなんて咲いているのかと思ったところ、隣接する由仁(ゆに)町という町では現在でも見られるのだそうで、この近くを流れていた川が沼に繋がる河口付近の砂州に、ハマナスの一大群生地があったのだそうです。

 

 

ところで、道の駅の「マオイ」はカタカナなんだけど、実は、このように漢字表記をする場所もあります。

では、何故、このような「馬追」という漢字表記になったのかなというのが疑問なんだけど、この表記と読みで思い浮かぶことに、福島県の有名な「相馬野馬追」があります。

これは、かの平将門が、野に放たれた馬を敵の兵に見立てて、その馬を追いかけることで軍事訓練としたことが由来とされているようですが、そのことと、この漢字表記には何か関連があるのかなと思って調べて見たところ、特段「これ!」という回答には出会えませんでした。

何かあるとすれば、地図の周辺に「馬追(「うまおい」とも読む)丘陵」という一大丘陵地帯があることから、そこに馬が放たれている様子を想定して、地名の由来とは特段関係のない字を充てたということなのかなと思うけど、実はこれ、今日仕事で長沼に行ったとき、同僚との会話で出てきた話だったので、これはぜひとも調べねばと思い、予鈴として記事にしてみました。

緊急事態宣言も明け、図書館も普通に本の閲覧などができるようになったので、調べてみたいと思います。

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TAKE ME HIGHER

2021-10-25 19:57:27 | 音楽&アーティスト

今朝の「イチモニ!!」で、間もなく解散するV6のベストソングランキングというのをやっていた。

このブログで、ジャニーズ系アーティストの話題に触れたことそれ自体はあったものの、それを主たる話題にするのは恐らく初めてかなと思いますが、V6は、初期の頃限定だけど、好きな曲が結構多かったので、これは記事にしようと思い、録画してから出勤しました。

V6が「MUSIC FOR THE PEOPLE」でデビューした頃(平成7年(1995年)11月)、私は大学4年生で、ちょうど就職が決まって、時間的にも余裕ができていた時期だったので、中学から高校の頃に聞いていた、平日夜に放送されていたラジオの電リク(もはや死語?)番組を久しぶりに聞くようになっていたのだけど、その番組で初めて「MUSIC FOR THE PEOPLE」を聞いて、それまでのジャニーズ系グループとはちょっと違うというか、独特な力強さみたいなのを感じたのを覚えています。

二枚目のシングル「MADE IN JAPAN」はカラオケでも歌った記憶があるし、番組の中でランキング2位だった、名曲と言っても過言ではない「愛なんだ」や、堂々1位に輝いた「WAになっておどろう」は、CDを借りてきてカセットテープにダビングして聞いていたこともあります。

では、そんな私にとっての、V6のナンバーワンソングはというと・・・、

 

 

やっぱりこれでしょう。

「ウルトラマンティガ」の主題歌にもなっていた「TAKE ME HIGHER」。

まあ、ウルトラマンの主題歌という話題性に押された部分の方が大きく、そうじゃなかったら果たしてどうだったかというのはあると思うけれど、これは、CDシングル(8㎝シングル。今の若い人にわかるかな・・・)も買って聞いたほど本当に好きでした。

今でも、ウォークマンに録音したり、カーステで聞いたりすることがたまにある(と言っても、ウルトラマン主題歌集の一つとしてだけど)、けれど、サビに突入した直後の力強いブレイク感は、今聞いても正直心が高揚するものがあります。

そんな彼らが、もう間もなく解散・・・。大変残念ではあるけれど、曲を通して幾つかの思い出を得ることができたという点では、本当に良かったと思っています。

長い間お疲れさまでした。

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6,000日

2021-10-24 16:05:05 | 日々のもろもろ

 

今日で、このブログの開設(平成17年(2005年)5月21日)から6,000日となりました。

1,000日前、5,000日のときの記事でも同じようなことを書いていたけれど、自分でも、よくここまで続けてきたと思います。

5,000日のときの記事で、「昨年終わり頃から、このブログを新たに読者登録してくださる方が増え、私もそれに合わせて新たに先方を読者登録させていただくなど、新たな交流が芽生え始めているのも有難いことだと思います。」と書いていたけれど、この1,000日の間で、ブログ上で相互交流させていただいている方の数も増え、色々と刺激をいただいたりしながら、やりがいを見出せているのも、長続きの秘訣かなと最近は思うようになりました。

本当、どこまで続けていけるか分からないけれど、やる気と気力が続く限りは続けていこうと思いますので、皆様今後とも宜しくお願い致します。

 

 

頂きものの、「柳月」の「魔女のパンプキン」。

オンラインショップでは人気第3位だそうです。

 

 

かぼちゃ味のバウムクーヘンです。

今はハロウィンシーズンだけど、最近「柳月」は、かぼちゃを基にしたお菓子が人気のようです。

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地下街の歴史~ポールタウン~

2021-10-23 18:34:03 | 札幌

昨日、札幌地下街「オーロラタウン」の歴史について紹介したけれど、「『オーロラタウン』でそういう展示があるのなら、恐らく『ポールタウン』でもやっているだろう」「でも、『ポールタウン』には『オーロラタウン』の『オーロラプラザ』のような広場もないし、どこでやっているのかな・・・」と思いながら、ちょっと足を延ばしてみました。

 

 

 

やってました。

場所は、狸小路と交差する場所の地下。ちょうど工事中だったので、囲いを利用して展示しています。

 

 

「ポールタウン」は、子供の頃から、「オーロラタウン」ほど頻繁に行っていたわけでもないので、こういう施設が設置されていたということも聞いたことがなかったような気がします。

 

 

 

「オーロラタウン」の「オーロラの滝」ほどではなかったのかもしれないけれど、訪れる人たちの目を引くスポットだったということは間違いないようですね。

 

 

 

へぇ~、「オーロラタウン」が小鳥なら、「ポールタウン」には魚がいたんですね。

これは残しておいてほしかった気がします。

 

 

現在も残っている「HILOSHI前」。

以前紹介したことがありましたが、そのときの記事でも書いたとおり、「HILOSHI前」となったのは平成6年(1994年)だそうです。

 

 

このショーケースも記憶には全くないけれど、「ダンダンフェア」は覚えています。

「ダン」は「暖」のことで、毎年冬になると開催されていた大人気のフェアでした。

私も子供の頃、母親の買い物でもらった引換券で抽選に並んだ記憶があります。

 

 

「ポールタウン」の歴史は、昭和30年代、自動車の利用が急増したことで、現在の札幌駅前通り(国道36号)が、当時の18mから36mへ幅を広げることとなったことに端を発します。

これにより、駅前通と交差する狸小路の東西の移動がスムーズにできなくなることが懸念されたことから、問題解決のため、地下に通路を作る案が出ました。しかし、当時の地下通路は「暗い」「汚い」「怖い」というマイナスのイメージが強かったことから、単なる通路ではなく商店街を作るということで構想が固まり、また、ほぼ同時期に地下鉄の工事計画も進んでいたことから、新たに用地買収をしなくて済むよう、地下鉄と同じ幅で整備することが決定され、昭和46年(1971年)11月、着工から一年半という驚異的な速さで開業にこぎつけました。

当時(現在もですが)、駅前通りは札幌市電が走っており、工事に当たって市電の運行を止めるわけにいかないことから、ポールタウンの工事は、まず駅前通りの舗装を撤去し、そこに鉄板を敷いてその上に市電のレールを走らせ、市電の運行が終わった深夜から早朝にかけて、その鉄板を一時的に撤去して地下を掘り進め、また朝が来たら鉄板を戻して普段通り市電を走らせるという、なかなか大変な工程で進められていたそうです。

 

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地下街の歴史~オーロラタウン~

2021-10-22 21:00:06 | 札幌

 

緊急事態宣言が明けて・・・というわけでもないのだけど、なんだかんだで一か月以上行っていなかった地下街オーロラタウン。

ブラブラ歩いていると、イベントの開催や休憩目的で使用される「オーロラプラザ」に、何やら展示が。

 

 

そうなんです。以前も触れたことがあるのだけど、今年は札幌地下街開業50周年の記念の年ということで、地下街の歴史を今に伝える写真展が開かれています。

ということで、まずはオーロラタウン編から。

 

 

この「オーロラの滝」は、リアルタイムで見た記憶はないのだけど、今年に入ってから、HBCの「今日ドキッ!」など、テレビ番組の特集で取り上げられる機会が多く、見てみたかったなあと思います。

大通公園の真下ということで、地下街にも憩いの場を作ろうと、特に力を入れて整備された施設だそうです。

私はインスタグラムはやっていないけれど、もし今もあったら、インスタ映えする写真が数多く撮れていたのではないかと思います。

この滝の前で結婚式を挙げたカップルがいるというのも、ドラマチックでいいですね。

 

 

 

そう、通路の真ん中に、こんな川もあったんですってね。

 

 

 

今も憩いの場となっている「小鳥の広場」、以前は違う場所にあったんですね。

それだけでなく、当時は17種類もの鳥がいたというのも興味深いです。

 

 

 

 

「希望の鐘」というのがあったんですね。

昭和56年(1981年)1月31日には、このオーロラプラザにあったということか。

響く希望の鐘を聞いてみたかったです。

 

※ この日は、「電子戦隊デンジマン」最終回「ひびけ希望の鐘よ」が放送された日。すみません、「希望の鐘」と聞いて、真っ先にこれが頭に浮かんできてしまいました。(;^_^A

 

「コインが投げ入れられた」とありますが、多いときには年間70万円ほどが集められ、被災地などに送られていたそうです。

 

 

 

えっ、昭和63年(1988年)にできた物?

じゃあ見ているはず(当時15歳)だなあと思うけど、すみません、記憶にないです。

 

 

昭和45年(1970年)7月に着工された「オーロラタウン」は、大通公園の1丁目~3丁目を完全に閉鎖し、僅か1年6ヶ月という短期間で整備されたそうです。

なかなかの一大プロジェクトということだったんですね。

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