1914年9月27日木曽御嶽が大爆発を起こした。
⭕登山ガイドの小川さゆりさんは後日登山者案内の下見に
27日夕方のニュースで彼女のインタビューを聞いた。
快晴のもとたくさんの登山者が
紅葉を求めて嶺に向かっていた。
大噴火は午少し前の出来事だった。
居合わせた登山者58人、行方不明者5人の
戦後最悪の災害だった。塩尻市の林さんも犠牲になられた。
⭕登山ガイドの小川さゆりさんは後日登山者案内の下見に
訪れ、噴煙や岩が降りかかる状況にありながら
九死に一生を得て下山した。
大きな岩石の陰に隠れはしたものの脚には岩石が当たり
クロネができたと言う。
27日夕方のニュースで彼女のインタビューを聞いた。
⭕28日私達夫婦は燕岳から常念岳縦走を行う、
綺麗に色づいた登山道を登り、山小屋燕山荘に到着。
燕岳にも登り、オーナーのホルン演奏や登山者心得、雷鳥保護
の話を聞いた。美味しい夕食を食べた後、安曇野の夜景を
眺めようと表に出た。
少し進むと暗がりで携帯電話中の女性の声。
内容が聞こえてくると御嶽山の噴火の話だった。
2年前妻に導かれ、御嶽山に田ノ原から登った。
私には初めての三千米級登山の思い出の山。
話しが終わったので思い切って彼女に話しかけてみた。
明るい光の当たる方に彼女の顔が向いたとき、
昨夜見たニュースの人とピーンときた。
「テレビに出ておられた小川さん?
怪我をされているのにどうしてここに」
「そうですよ。女性ばかり10人のガイドで登って来ました。
南信州には女性のガイドが少ないもので。
先ほどの電話は、明日下山したらテレビ取材を受けます」
前日には御嶽山で生死を彷徨う災害に遭いながら、
次の日には燕岳登山とは。
彼女の責任感とプロ魂に心打たれた夜の出来事だった。
翌29日燕山荘から表参道を行く。
前穂高岳の稜線から見る御嶽山。噴火から二日目の噴煙。