楽農piano協奏曲

一日一生。一日一笑。


大噴火もう八年か御嶽山

2022年09月27日 | 登山・トレッキング
 1914年9月27日木曽御嶽が大爆発を起こした。

快晴のもとたくさんの登山者が

紅葉を求めて嶺に向かっていた。

大噴火は午少し前の出来事だった。

居合わせた登山者58人、行方不明者5人の

戦後最悪の災害だった。塩尻市の林さんも犠牲になられた。





⭕登山ガイドの小川さゆりさんは後日登山者案内の下見に

訪れ、噴煙や岩が降りかかる状況にありながら

九死に一生を得て下山した。

大きな岩石の陰に隠れはしたものの脚には岩石が当たり

クロネができたと言う。



27日夕方のニュースで彼女のインタビューを聞いた。


⭕28日私達夫婦は燕岳から常念岳縦走を行う、

綺麗に色づいた登山道を登り、山小屋燕山荘に到着。

燕岳にも登り、オーナーのホルン演奏や登山者心得、雷鳥保護

の話を聞いた。美味しい夕食を食べた後、安曇野の夜景を

眺めようと表に出た。

少し進むと暗がりで携帯電話中の女性の声。

内容が聞こえてくると御嶽山の噴火の話だった。


2年前妻に導かれ、御嶽山に田ノ原から登った。

私には初めての三千米級登山の思い出の山。

話しが終わったので思い切って彼女に話しかけてみた。

明るい光の当たる方に彼女の顔が向いたとき、

昨夜見たニュースの人とピーンときた。

「テレビに出ておられた小川さん?

   怪我をされているのにどうしてここに」

「そうですよ。女性ばかり10人のガイドで登って来ました。

南信州には女性のガイドが少ないもので。

先ほどの電話は、明日下山したらテレビ取材を受けます」

前日には御嶽山で生死を彷徨う災害に遭いながら、

次の日には燕岳登山とは。

彼女の責任感とプロ魂に心打たれた夜の出来事だった。


翌29日燕山荘から表参道を行く。

前穂高岳の稜線から見る御嶽山。噴火から二日目の噴煙。










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