楽農piano協奏曲

一日一生。一日一笑。


大雪?

2014年02月08日 | 天候

 今朝7時過ぎ。細かな雪が降り続いている。積雪は9cmほど。

雪は軽い。冷えているからだろう。-4℃

雪が軽いと雪かきは苦労しない。

これから1日中降り続くという。

国交省レーダーでも雪雲が覆っている。

 

 時は過ぎて午前9時50分。

18cmとなった。

 

 まだまだ勢いは止まらない。さらさら雪が降りかかる。

午後1時50分、3回目の雪かき終了。31cmとなった。

 雪の造形をパチリ

 

大雪!!

 午後3時50分4回目の雪かき終了。40cmの物差しでは足りなくなった。

41cm。

 前のお家の車がすっぽり。近年にない大雪といっても間違いなし。

 

 

 午後7時50分5回目の雪かきをした。いくらか小降りになったか。

45cm。

7時45分の雪雲の様子

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孤高の人

2014年02月07日 | 文学

 新田次郎の山岳小説「孤高の人」を読み終えた。

山をこよなく愛してやまないSさんが貸してくれた。

 大正~昭和初期にかけて、日本登山界に不滅の足跡を残した加藤文太郎(1905-1936)の短い生涯を

描いた作品である。

 周到な計画のもとに単独行してきた彼が、初めてパーティを組み向かった槍ヶ岳北鎌尾根。

昭和11年正月5日吹雪の中に消息をたった。

 

妻と生まれたばかりの子となぜ一緒に正月を過ごさない。

なぜ単独行を最後まで貫かなかったのか。   ‥‥と私は思った。

 

 この小説で、加藤は燕山荘に寄る。(燕山荘は大正10年7月15日に赤沼千尋が建てた)

 

「たいへんだっつら、さあ、濡れたものを脱いで火にお当りな」 燕山荘の赤沼千尋は炉端から立ち上がって、

加藤文太郎を迎えた。

 

 早立ちする加藤に、赤沼は、

「きょうはどこまでいきなさる予定かね」 赤沼はまぶしそうな眼を空に投げかけながらいった。

「大天井岳、西岳小屋、槍ヶ岳、殺生小屋‥‥」

「そうかね、あなたならやれるずら。じゃあ注意してやるがいい、雷様が出そうだったら槍ヶ岳に登るのは

やめた方がいいな」

加藤は赤沼千尋にていねいに礼をいって燕山荘をあとにした。  

 

 さて、次の2冊の本は、近所に住む同い年の友人Tが貸してくれた。

Tの家は赤沼千尋さんの奥様の実家である。

千尋さんの随筆集「山の天辺」とその子息淳夫さんの「光彩の中で」

燕岳はもとより山小屋燕山荘の沿革やお二人を取り巻く交友関係がすべて語られている。

淳夫さん撮影の燕岳の絶景は眼を瞠る。

 

 

 小説「孤高の人」に実名で登場する穂刈三寿雄さんは、肩の小屋(後の槍ヶ岳山荘)を建設中だ。

燕山荘を後にした加藤が槍ヶ岳に向かう。その途中、植物採取していた学生矢部多門と会う。

建設中の小屋に荷物を置き、穂刈と話をしている矢部を残し、加藤は槍を目指す。

 

「あの人はあなたのお知り合いですか」 穂刈三寿雄は加藤のうしろ姿を見送りながら、矢部多門に訊ねた。

「神港造船所の加藤文太郎という人です。きょうはじめて山で会ったんです」

そうですかと穂刈はひとりでうなずいていたが、「あのひとはなんとなく嘉門次に似ていますね」

 

 肩の小屋は大正15年完成した。

巡りめぐって、穂刈さんのお孫さんは整形外科医として、私の住む地域に貢献されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

節分

2014年02月03日 | 出来事

 昨夜6時からのTV朝日「相葉マナブ」で紹介していた節分の豆まき学習。

この番組は好きな番組だ。

・節分は年4回ある。立春、立夏、立秋、立冬。その前の日が節分。

 なぜ2月だけ?=旧暦では1月末辺りが正月だったから。年取りの一連の行事となっていた。

・豆を炒る=魔目を射る

・福豆を一升ますに入れる。一升=一生 升=増す。福が一生増していく。

・臭いで鬼が来るのを防ぐ=柊の枝に目ざしの頭を挟んで玄関に飾る。

・豆まきは戸主が行う

・まくのであって、投げつけるのではない。

・戸を開けて「鬼はそと」と叫んだら、すぐ戸を閉める。そして、部屋の中に「福はうち」とまく

・鬼の顔とパンツ=鬼門の方角が牛と寅だから、頭に牛の角、パンツは寅柄。

・恵方巻は遊郭の酔狂から始まった。その後海苔業者が販売拡大策として復活。

・七福神にあやかって、玉子焼きやかんぴょうなど7種類の具を巻く

 

 区誌によると、

年男か戸主、男の子が豆をまく。その後を家族が「ごもっとも、ごもっとも」と言ってついて歩く。

豆をまく時はまず恵比寿大黒様に。それから他の神様、仏様、お勝手、各部屋にまいて歩いた。

終わったら、自分の年の数だけ拾い、食べた。1回でピタッと合わすことが難しい。

また、掴んだ福豆を紙に包んで神棚に備えておき、その年の雷が最初に鳴った時に食べると、

雷が落ちないとか、禍がこないといわれている。

 

 十二書きという習わしも。

豆がらを20cm位に切り、田作りの頭をさし込み、その下に十二と書いた紙を下げる。

また、木を半分に割った薪に炭で12本の横線を書いて立てかけておいた。

 

人間や農作物に害を及ぼすものすべてを防いでおきたいとの願いも。

一つひとつの行事は、生活の糧である農作物が順調に育ってほしい、農家の切実な祈りである。

その習わしは決しておろそかにできない。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする