本日(2012.10.02)付けの朝日新聞朝刊で、
「師匠」國分功一郎インタビューが掲載されています。
政治を話そうインタビュー
「退屈しのぎを超えて」
日本では政治もまた記号的に「消費」されてきた。
人間はそういう「暇潰し」をする。
だが危機において人はむしろ「動物的」に思考することになるだろう。
3/11以後、それは決定的だ。
気がつけば、「本当に民主主義でいいのか。そこまで考えざるを得ないほど、政治の制度疲労は厳しい」と批判した上で、政治家には「思想」が必要だ、
という。
また、個別の問題ごとにひとが危機において「動物的に」真剣に考えていることを、カタチにしていく仕組みが必要だ、
とも。
デモもそうだが、その次が考えられなければならない。
そのとき「個別に」が大事。
だからこそ、市民は立法権にかかわる権利を数年に一回投票で示すだけでは足りない。
行政権に市民が参加する方向がたいせつ。
そんな流れのお話でした。
この「動物的」ってのはドゥルーズの「姿勢」ですね。
安倍晋三を「思想」なきイメージの政治家にすぎないと斬る視点、納得。
ぜひご覧くださいませ。
「師匠」國分功一郎インタビューが掲載されています。
政治を話そうインタビュー
「退屈しのぎを超えて」
日本では政治もまた記号的に「消費」されてきた。
人間はそういう「暇潰し」をする。
だが危機において人はむしろ「動物的」に思考することになるだろう。
3/11以後、それは決定的だ。
気がつけば、「本当に民主主義でいいのか。そこまで考えざるを得ないほど、政治の制度疲労は厳しい」と批判した上で、政治家には「思想」が必要だ、
という。
また、個別の問題ごとにひとが危機において「動物的に」真剣に考えていることを、カタチにしていく仕組みが必要だ、
とも。
デモもそうだが、その次が考えられなければならない。
そのとき「個別に」が大事。
だからこそ、市民は立法権にかかわる権利を数年に一回投票で示すだけでは足りない。
行政権に市民が参加する方向がたいせつ。
そんな流れのお話でした。
この「動物的」ってのはドゥルーズの「姿勢」ですね。
安倍晋三を「思想」なきイメージの政治家にすぎないと斬る視点、納得。
ぜひご覧くださいませ。