龍の尾亭<survivalではなくlive>版

いわきFCのファンです。
いわきFCの応援とキャンプ、それに読書の日々をメモしています。

松たか子、旬だなあ。

2012年10月21日 16時27分17秒 | 大震災の中で
松たか子の『ジェーン エア』を観てきた。
舞台上にしつらえた特設のステージでの観劇は始めてで、それだけでもおもしろかったが、

『ジェーン エア』

がこんなにキリスト教満載とは知らなかった。
というより、今までは、キリスト教の描写があってもそれは「時代考証」と場面設定としか考えていなかったから気にならなかったのかもしれない。

こんなにキリスト教的なはなしだったとは!

途中、家庭教師のジェーンが、フランス生まれの貴族の女の子にラテン語を教えるシーンがあって、格変化の暗記を子供がさせられるっていうのに思わず笑っちゃいました。
ヨーロッパの人にとってはラテン語の文法学習が、日本人にとっての英文法学習の無味乾燥さに相当する(っていうか、メソッドがもともとラテン語のそれ、なんだとか)って感じがよくで出ておかしかったです。

それはさておき、松たか子はすごいなあ。だってね、素敵なんだよこれが。美人とか、きれいとかかっこいいとか、なんかそういうのがどうでもよくなっちゃう。
大竹しのぶは正気を超えてる。天海祐希は男前、菅野美穂はあの存在感、でも松たか子は、なんていうか、文句なく素敵。

同じ時代に生きていることに感謝、です。


國分功一郎『スピノザ入門』第7回メモ(その1)を

2012年10月21日 11時53分09秒 | 大震災の中で
メディア日記に書き込みました。


http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980395

<スピノザは考え方のフォーマットが(現代の私たちとは)違う>

と始まった講座が、いよいよ『エチカ』にたどり着きました。

よろしければごらんくださいませ。
個人的メモですから、間違いは多々あります。そこのところはよろしくです。


昨日書いた理性=合理性に基づく演繹的記述(と見えるもの)が、決してそれだけではなく、いよいよ直感的な「知」をはらんで立ち上がる予感(^_^)/に満ちた講座です。

なんのことだ?

ですよね。

でも、すごくスリリングです。

センセの言葉でいえば、新しい言葉を作るのではなく、今まで通用していた言葉の意味を解体(脱構築といってもいい)して、その言葉は保持しつつ、なお新しい意味を再編制していくスピノザの言葉の歩みを、丁寧なテキストクリティークによって露わにして行くワクワク。

スピノザは合理主義だ、ともいわれ、無神論者だともいわれ、神秘主義的な側面もあり、神即自然とかもいわれ、個人的には、よく分からないのに惹かれる、という状態が続いていたのだが、その思考の軌跡=痕跡が、ようやく整序されて丁寧に示された感、があるのです。

『エチカ』はよく神から始まる精神の自動運動の記述、みたいにも言われ、なるほどだからモードが全然違っていて分からないのか、と一瞬納得してしまいもするのだけれど、単にそういうことではなく、その「理性的」というか幾何学的様式の記述がなぜ必要とされるのか、その前提にある「知「のフォーマットが理解できはじめた、ということです。

いきなり「神即自然」じゃないし、いきなり神からはじまるわけでもない。
個物の完全性と、世界の完全な秩序をどう捉えるか。
神についての論述が、そこを教えてもらった途端に身近なモノに感じられ始めました。

それを捨てて密教的に「分かる人には直感される」といって悟ったりはしないのですね。
いわゆる東洋的な
自然=神
とも違う。

理性的な説明だけでは足りないのであって、「分かる時には分かる」。
だから、前半の読みにくさは後半の呆気ないほどの読みやすさ(分かりやすさと同じではありませんが)と合わせて考えねばならないのでしょう。

個と世界が向き合う孤絶した臨場感、とでもいえばいいのでしょうか。

よく素人のスピノザファンは、スピノザという孤高の哲学者というイメージを消費しているだけだ、みたいな言い方をする人がいるけれど、それは哲学者の「文体」っていうことをよく理解していない「哲学プロパー」の誤謬じゃないかな。

それを、逆説的ではあるけれど、何よりもよく「読めない」文体が示している。

「直観知」

にたどり着くためにこそ、テキストに沈潜しなければ見えてこないものがあるっていうことであって、その逆ではない(ここ重要です)。

幾何学的様式を、どういう「知」のフォーマットの中に位置づけるか、っていう問題意識の有無といってもいいでしょう。

哲学の講座でそういうことを教わるって、凄くないですか?
だいたい哲学を「教われる」ってのも凄い。

その場で哲学のテキストを「読む」行為をするってことですからね。解説じゃなくて。

國分功一郎センセの講義の魅力は、そのテキストクリティークの魅力で「も」あるのでした。